新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月27日 その2 全柔連のパワハラ問題に思う

2021-02-27 09:32:39 | コラム
権威者乃至は上席者による嫌がらせか虐め:

この見出しにはカタカナ語排斥論を展開するつもりはないが、「『パワハラ』なるカタカナ語を解りやすくしようとすればこうなるだろう」と思って使ってみた。内容は全柔連と山下泰裕JOC会長、全柔連会長、東海大学副学長についてである。山下氏は全柔連でかかる「嫌がらせ」があった事を報告されていなかったと言ったとかだ。その事がマスコミにとっては絶好の非難または批判の材料になっているようだ。私はあれほどの重責を重複して担っておられる山下氏の問題なのか、周囲の配慮不足かなどは知らない。だが、「不味い事をしたものだ」とは言いたい。

私は山下泰裕氏がオリンピックで金メダル(私はこのメダルに拘泥する表現は好みではない。素直に「優勝」では何でいけないのか)を取得された大選手だとは承知している、だが、その輝かしき実績と大きな組織の頂点に立って管理・運営する能力が同じ性質だとは、残念ながら認識していない。しかしながら、多くの競技の上部団体では「同一だ」と思い込んでいた節があって、これまでに方々で管理・運営上で破綻を来しいていた。私はこれが選ばれて君臨した元大選手の責任だとは見ていない。選んだ方も選ばれた方も「管理・運営とは」が解っていなかっただけの事だろう。

「では、どうすれば良いのか」だが、この点についてはつい先日「MBAとは」を論じた際に言及してあった。それは、我が友YM氏から聞き及んでいた事である、それは「アメリカのビジネススクールには経営学専攻以外に、学校や病院等の大きな組織を運営するコースがあって、同じMBAであっても内容に違いがある」という事だった。これについては、先頃検索してみたWikipediaにも同様な記述があった。即ち、大学の学長に有名教授を任命するとか、大病院長に名医を任じるのではないという意味だ。経営はその専門家に任せようという考え方だ。

私は「この辺りが山下氏か彼が長として在任しておられる組織に適用出来るのではないか」と言いたいのである。山下氏と雖も全知全能ではないだろうから、三つの組織の責任者を兼任されるよりも、管理・運営を専門とされる人物を選んで任せておかれれば、あのような事態にはならなかったのではないかと言う事。別な例を挙げれば、嘗てはサッカー協会長を務められた川淵三郎氏がある。川淵氏は大学卒業後に古河電工という大きな組織に就職され、部長職にまで昇進された。

即ち、大勢の人の上に立って組織を管理・運営する経験を積まれた上で、サッカー協会の会長も努められたのだった。その経験はサッカー界でも十二分に効果を発揮したし、バスケットボール界の再編の際にも活かされていたのだった。語弊があるかも知れないが「単なる選手上がり」ではなかったと言う事。その点では後難を恐れて言えば、橋本聖子さんも大選手の上がりであるが、組織委員会長就任の前までに参議院議員を務められたので、国政の経験を如何に有効に活用されるかにかかっているのではないか。

私が言っておきたい事は「過去に大選手という輝かしき実績と、組織の長としての能力は必ずしも同一ではない」という辺りと「個人種目の選手と団体競技の名手でキャプテンを経験してきた人」とは経験の種類と質が異なるのではないか」との点である。思い出して頂きたい事がある。それは、マスコミや野党が寄って集って袋だたきにした森喜朗氏の講演の中で、山下泰裕氏をどのように形容しておられたかという点だ。かなり率直に言っておられたが、その点を誰も問題にしなかった。私はおかしいと思っているが。これって「何とかハラ」ではないかと感じたが。


私は我が国のマスコミの程度を問題にしたい

2021-02-27 08:25:52 | コラム
菅首相は「同じ質問ばかりだ」と指摘された:

昨26日夜の菅首相の所謂「ぶら下がり」(下品な言葉で、私の好むところではない)は偶々最初から聞いていた。聞いていた感じた事をそのまま言えば「新聞記者というのか全般的に『記者』で括るべきか知らないが、彼らの礼儀作法も含めての程度の低さには呆れるしかなかった」となる。先ずは言葉遣いの乱暴さである。「彼らは如何なる理由と根拠があって一国の総理大臣に向かってあのような居丈高と言っておかしくないような礼を失した口調で問いかけるのか」とあらためて驚くと同時に情けない」と痛感していた。「この程度の連中は信用ならない」と思っていた。

毎日新聞の何とか言う記者は首相に「2回目だ」と注意されても怯むことなく、解りきった事を何度も質問していた。司会する報道官か司会者が不在だとあのように礼儀も作法も弁えずに質問を繰り返すのが彼らマスコミの実態かと思うと、今更ながら心底情けなくなった。しかも、非常事態宣言の解除についての会見だったはずなのに、矢張りと言うべきか何と言うべきか、山田真貴子報道官に関する事をしつこく訊こうとするのは、私は失礼の部類に入れたいと思っていた。

菅首相は「同じ質問ばかりだからもう良いだろう」と打ち切られたのは尤もだと思う。だが、私は一件落着だと思っている山田真貴子報道官の件は、彼らマスコミと野党から見れば「未だに突っ込みどころあり」なのだろうと危惧している。私が奇異に感じている事は、彼ら記者たち以外にも、テレビに登場される所謂専門家の中にも「総理のご子息が同席していれば」としたり顔で指摘する勘違い振りである。

総務省の高官の場合はいざ知らず、私は「山田氏の場合は2019年では官房長官の息子さんに過ぎない存在ではなかったのか」と見ている。菅首相もその周辺にいる連中も何故その誤解を訂正しないのが不思議に思っている。雑誌「HANADA」の花田氏は「7万円の接待をしてくれと依頼した訳ではないだろう」と指摘していたのは「なるほど」と受け止めた。だが、当分の間は「首相の息子」と「7万円の接待」は、菅首相が何と言われようとも二人歩きし続けるだろうと思う。困った事だ。