新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月22日 その2 「森喜朗氏の発言についてのアメリカからの反応」を一括に

2021-02-22 14:13:11 | コラム
森喜朗氏の発言についてのアメリカからの反応:

アメリカの知人たちからの反応を2回に別けていた紹介していたが、一括した方がより良く解っていたけるかと思って、一纏めにした次第。実は、森氏の発言の「切り取られた部分」だけを訳していて気が付いた事があった。それは、英語にする為には原文を慎重に読んで理解しようとするので、訳し続けている間に「これは駄目だ。アメリカ人には批判されるし、通用しないだろう」と感じ始めていた。何れにせよ、アメリカ人からの反応は厳しかった。

*男性からの穏やかだった反応;
私の地元(ワシントン州)ではこの森氏の失言の件は報道されてない。私は女性蔑視については、未だにアメリカでも日本でも十分に理解が行き届いていないと言えると思う。

女性が創立した会社等では少数の女性が経営に直接携わる地位に就いている例は確かにある。だが、それも未だに例外的だと思う。その場合でも女性の年俸は、同様な地位にある男性よりも低いようである。私は未だ我が国でもこの問題点を声高に批判している者たちがいるとは承知していない。

結論的に言えば、アメリカでもそういう状態なので、日本での森氏の発言に対して怒りが渦巻いていると言うのは、余り良く理解できないのだ。

*男性の冷静で分析的な反応:
私は当地で(オレゴン州)この発言について聞き及んでいる。マスコミの報道は「森氏が女性の発言は多過ぎるし長過ぎると言われた」となっていた。貴方の訳文にもそれと同様な事を意味する箇所があったようだ。

私は(日本の状況については語れないが)アメリカの現状は「如何なる発言でも他の如何なる集団との相違点に触れていると認識された場合には『政治的公正性乃至は妥当性を欠く』(politically incorrect)と看做される。

それ故に「女性が男性とは何らかの異なる行動乃至は言動をした」などと発言すれば、一切容赦されないのだ。私は男性の一人として女性の経験は容易に理解できていないので、森氏の発言が如何に丁寧に翻訳されていても、女性がこれを読んでどのように反応するかは解りかねる。

しかし、森氏が女性を蔑視する意図ではなく発言されたとしても、地雷を踏んでしまったのだと言えるだろう。現在はこの点では非常に微妙な時期になっているので、私は一般大衆を牽引するような地位に就いていなくて良かったと思っている。権力者の全ての発言は細部まで検討されてしまうのだから。

このような傾向は何もアメリカだけに限られている訳でもあるまいと思う。だから、日本の報道機関は森氏の発言も「待ってました」とばかりに採り上げて(過剰に)報道したのではないか。

*高齢の男性の反応:
21世紀のアメリカにようこそ。アメリカの歴史上でも、今日ほど権力の座にある者の行動と言動が監視され且つ批判されている時期はなかった。その中でも特に厳しいのが「平等」に関する事柄だ。

特に、今日までの女性と黒人問題に関する規範は、最早通用しなくなっている。これは合理的であると思う。即ち、我々一人ひとりは年齢・性別・人種の点で平等である権利を有し、発言できるからだ。

森氏は長時間の会議に馴れて、聞きたくない事柄も受け入れるようになるべき時代だ。バブ・デイランの歌詞に「時は変わって行く」との一節があるように。

私は北欧の諸国は女性を指導者の地位に就けるという点では、先進国の中でも最も優れているとみている。

*高齢で知的な女性より:
森氏の発言については、私は女性蔑視であると批判した人たちと同意見であると言わざるを得ない。断定的に言えば「女性が出席している会議では、彼らの発言は男性よりも長いか、あるいは指導者的立場にある女性が発言すると、全員が続いて発言する必要があると思うものだ。その種の発言は時間の無駄遣いである場合にもなるし、私にはその内容には偏見であるか、事実に即していない嫌いがあると見える。

森氏は元総理大臣だったので、アメリカの大統領や大企業の経営者たち等と同様に、その発言は注目の的となるのだ。即ち、指導的立場にある者の発言は常に熟読され、注目され、その人物がその地位に相応しいかどうかが、厳しく細かく追求されてしまうのだ。

私は森氏の発言が女性蔑視と解釈された事は理解できると思う。その内容を見ると、全ての女性が発言を短く出来ないし、余り意味がない事を言っていると思われているのではないかとすら感じた。

この発言で、私は抑圧された社会では男性が常に尊敬されており、優れた女性は沈黙を守っているという状態にあった事を想起させられた。どれほど賢明で自尊心が高い女性でも、今日この時にあっても、男性が誤った事を言っても、沈黙を守っていなければならないように思える。

特に、森氏がこの発言の中でオリンピックパラリンピック組織委員会に触れている以上、この組織には男性と同数の女性理事等が選ばれているべきだと思うと同時に、全員が平等に尊敬されて然るべきだと思う。


続・森喜朗氏の発言に対するアメリカからの反応:

2021-02-22 10:29:38 | コラム
矢張りアメリカ人は厳しい反応だった:

やや訳してお見せするのに時間を空費してしまったのは申し訳ない次第だが、“Better late than never.”とご寛容のほどを。矢張り、女性からの反応の文章が最も長かった。

*男性より:
21世紀のアメリカにようこそ。アメリカの歴史上でも、今日ほど権力の座にある者の行動と言動が監視され且つ批判されている時期はなかった。その中でも特に厳しいのが「平等」に関する事柄だ。

特に、今日までの女性と黒人問題に関する規範は、最早通用しなくなっている。これは合理的であると思う。即ち、我々一人ひとりは年齢・性別・人種の点で平等である権利を有し、発言できるからだ。

森氏は長時間の会議に馴れて、聞きたくない事柄も受け入れるようになるべき時代だ。バブ・デイランの歌詞に「時は変わって行く」との一節があるように。

私は北欧の諸国は女性を指導者の地位に就けるという点では、先進国の中でも最も優れているとみている。

*女性より:
森氏の発言については、私は女性蔑視であると批判した人たちと同意見であると言わざるを得ない。断定的に言えば「女性が出席している会議では、彼らの発言は男性よりも長いか、あるいは指導者的立場にある女性が発言すると、全員が続いて発言する必要があると思うものだ。その種の発言は時間の無駄遣いである場合にもなるし、私にはその内容には偏見であるか、事実に即していない嫌いがあると見える。

森氏は元総理大臣だったので、アメリカの大統領や大企業の経営者たち等と同様に、その発言は注目の的となるのだ。即ち、指導的立場にある者の発言は常に熟読され、注目され、その人物がその地位に相応しいかどうかが、厳しく細かく追求されてしまうのだ。

私は森氏の発言が女性蔑視と解釈された事は理解できると思う。その内容を見ると、全ての女性が発言を短く出来ないし、余り意味がない事を言っていると思われているのではないかとすら感じた。

この発言で、私は抑圧された社会では男性が常に尊敬されており、優れた女性は沈黙を守っているという状態にあった事を想起させられた。どれほど賢明で自尊心が高い女性でも、今日この時にあっても、男性が誤った事を言っても、沈黙を守っていなければならないように思える。

特に、森氏がこの発言の中でオリンピックパラリンピック組織委員会に触れている以上、この組織には男性と同数の女性理事等が選ばれているべきだと思うと同時に、全員が平等に尊敬されて然るべきだと思う。