Real McCoyになっていた:
昨20日の夕方には何気なくNHKにチャンネルを合わせたら、大坂なおみさんがオーストラリア・オープンの決勝戦でアメリカのジェニファー・ブレイデイーと試合をしているところに出会った。中継があるとは知らなかったので、第1セットの確か3:3の所から2セットを取って優勝するまでを、少しだけ手に汗を握って見てしまった。恐らく彼女の試合をあれほど長く見たのは初めてだったと思う。立派に成長していた。感心した。まさしく本物(一寸気取った言い方がReal McCoyなのだ)になっていたと実感させられた。
いきなり全く予断だが、Bradyという名字は、我が国の時間で去る8日に中継されたアメリカNFLのスーパーボウルを制覇したタンパベイバッカニアーズのQBトム・ブレイディーと同じだったのも偶然とは言え興味を惹かれた。因みに、トム・ブレイディは43歳にして、スーパーボウルの7度目の制覇を成し遂げた名手である。
実は何を隠そう、私は大坂なおみさんがUSオープンとオーストラリア・オープンを取った頃(記憶は不確かだが、一昨年の事か?)には、全くと言って良いほど評価しておらず、「あの勝ちは出会い頭の出来事であり、故野村克也氏が言う「不思議な勝ちあり」の部類だ」としか見ていなかった。理由は「如何に外国人の血を引いていて抜群の資質があるとは言え、技術的にも精神的にも未熟であり、単に力任せで打っているに過ぎないので、あの優勝は真の実力で勝ち取ったものではない」のようにしか見ていなかったのだった。
その後、彼女はコーチを取っ替え引き換えしていた為か、折角の日系人としては類い希なる素質を活かしきれずに、世界のランキングも寧ろ乱高下していた。そこに、アメリかでは昨年からCOVID-19に襲われて練習環境も整っていないとか聞かされていたので、もしかして伸び悩むか調整不十分かと危惧していた。私はテニスのような個人競技の事は全くと言っても良いほど解らないので、確かなコーチに恵まれないとどうなるかは予想が出来なかった。
オーストラリア・オープンでは、ニュースにあった限り一時ラケットを地べたに叩きつける場面が出たので、未だに精神的な面(何故にこの事を形容詞である「メンタル」などと言うのだろう。“mental”は「精神の」という意味の形容詞であって、名詞の前に使うべきなのだ)が未熟なのかと気になっていたが、この決勝戦ではそういう面を見せる事なく安定していた。その基礎の上に、あの180 cmもあるという恵まれた体格で、あれほどまでに体幹と筋力を鍛え上げて出てきたのでは、陳腐な言い方をすれば「鬼に金棒」かと思わずにはいられなかった。
大坂さんのテニスを見ていると、確かにサービスのスピードなどには目覚ましいものがあるとは思って見ていた。たが、アナウンサーが「ダウンザライン」と叫ぶショットなどを見ていると、相手の動きを見て、巧みに且つ見事に裏を取ってしまうショットなどは「上手い。素晴らしい技巧派である」と唸らせられた。私は高校の頃だったかに「テニスがあらゆるスポーツの中で最も難しく、脚でボールを扱うサッカーは難しさの点では2番手だ」と活かされて悔しい思いをしたが、彼女のテニスはその難しさを徐々に自分ものにして、凄いと言いたいほど駆け引きが優れていた。
大坂なおみさんのテニスはもう世界最高の域に入ったというか、少なくともそこの正門を通過して、本館の玄関へ道を歩いていると評価して良いと思うに至った、見事な勝ち方だった。だが、個人競技であり、コートがオーストラリアのようなハードコートとやらの他に、芝生と赤土があるそうだから、彼女もより一層精神面を鍛え上げて、安定した精神状態で「練習と同じ気持ちで大試合の臨めるようになれば、世界に敵無しというような年が近い将来出てくると、十分に期待できる。だが、私には個人競技の難しさと恐ろしさが、今後彼女にどのように迫ってくるかは予測できない。
最後にカタカナ語排斥論者としては試合開催の都市の“Melbourne”を「メルボルン」とするカタカナ表記にはウンザリだった。何で業者どもは“r”に出会うと「ル」と表記したがるのだろう。あれは「メルバーン」でしかあり得ないのに。こんな事を言っても無駄だと知っていても、言っておかないと気が済まないのだ。因果なものだ。
昨20日の夕方には何気なくNHKにチャンネルを合わせたら、大坂なおみさんがオーストラリア・オープンの決勝戦でアメリカのジェニファー・ブレイデイーと試合をしているところに出会った。中継があるとは知らなかったので、第1セットの確か3:3の所から2セットを取って優勝するまでを、少しだけ手に汗を握って見てしまった。恐らく彼女の試合をあれほど長く見たのは初めてだったと思う。立派に成長していた。感心した。まさしく本物(一寸気取った言い方がReal McCoyなのだ)になっていたと実感させられた。
いきなり全く予断だが、Bradyという名字は、我が国の時間で去る8日に中継されたアメリカNFLのスーパーボウルを制覇したタンパベイバッカニアーズのQBトム・ブレイディーと同じだったのも偶然とは言え興味を惹かれた。因みに、トム・ブレイディは43歳にして、スーパーボウルの7度目の制覇を成し遂げた名手である。
実は何を隠そう、私は大坂なおみさんがUSオープンとオーストラリア・オープンを取った頃(記憶は不確かだが、一昨年の事か?)には、全くと言って良いほど評価しておらず、「あの勝ちは出会い頭の出来事であり、故野村克也氏が言う「不思議な勝ちあり」の部類だ」としか見ていなかった。理由は「如何に外国人の血を引いていて抜群の資質があるとは言え、技術的にも精神的にも未熟であり、単に力任せで打っているに過ぎないので、あの優勝は真の実力で勝ち取ったものではない」のようにしか見ていなかったのだった。
その後、彼女はコーチを取っ替え引き換えしていた為か、折角の日系人としては類い希なる素質を活かしきれずに、世界のランキングも寧ろ乱高下していた。そこに、アメリかでは昨年からCOVID-19に襲われて練習環境も整っていないとか聞かされていたので、もしかして伸び悩むか調整不十分かと危惧していた。私はテニスのような個人競技の事は全くと言っても良いほど解らないので、確かなコーチに恵まれないとどうなるかは予想が出来なかった。
オーストラリア・オープンでは、ニュースにあった限り一時ラケットを地べたに叩きつける場面が出たので、未だに精神的な面(何故にこの事を形容詞である「メンタル」などと言うのだろう。“mental”は「精神の」という意味の形容詞であって、名詞の前に使うべきなのだ)が未熟なのかと気になっていたが、この決勝戦ではそういう面を見せる事なく安定していた。その基礎の上に、あの180 cmもあるという恵まれた体格で、あれほどまでに体幹と筋力を鍛え上げて出てきたのでは、陳腐な言い方をすれば「鬼に金棒」かと思わずにはいられなかった。
大坂さんのテニスを見ていると、確かにサービスのスピードなどには目覚ましいものがあるとは思って見ていた。たが、アナウンサーが「ダウンザライン」と叫ぶショットなどを見ていると、相手の動きを見て、巧みに且つ見事に裏を取ってしまうショットなどは「上手い。素晴らしい技巧派である」と唸らせられた。私は高校の頃だったかに「テニスがあらゆるスポーツの中で最も難しく、脚でボールを扱うサッカーは難しさの点では2番手だ」と活かされて悔しい思いをしたが、彼女のテニスはその難しさを徐々に自分ものにして、凄いと言いたいほど駆け引きが優れていた。
大坂なおみさんのテニスはもう世界最高の域に入ったというか、少なくともそこの正門を通過して、本館の玄関へ道を歩いていると評価して良いと思うに至った、見事な勝ち方だった。だが、個人競技であり、コートがオーストラリアのようなハードコートとやらの他に、芝生と赤土があるそうだから、彼女もより一層精神面を鍛え上げて、安定した精神状態で「練習と同じ気持ちで大試合の臨めるようになれば、世界に敵無しというような年が近い将来出てくると、十分に期待できる。だが、私には個人競技の難しさと恐ろしさが、今後彼女にどのように迫ってくるかは予測できない。
最後にカタカナ語排斥論者としては試合開催の都市の“Melbourne”を「メルボルン」とするカタカナ表記にはウンザリだった。何で業者どもは“r”に出会うと「ル」と表記したがるのだろう。あれは「メルバーン」でしかあり得ないのに。こんな事を言っても無駄だと知っていても、言っておかないと気が済まないのだ。因果なものだ。