新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月18日 その2 森喜朗氏の発言についてのアメリカからの反応

2021-02-18 09:26:44 | コラム
森喜朗氏の女性蔑視発言について:

あの森喜朗氏が40分も語られた中からマスメディアが切り取って女性蔑視発言としたところだけを英語にして、昨17日にワシントン州の住人たちに送って見解を尋ねてみた。全員が速効で返信してきてくれたのは有り難かった。何れは全部かどれかを訳してお伝えする予定だが、取り急ぎ反響を纏めてみると下記のようになる。

今朝までに来た返信では森氏の舌禍事件報道を知っていたのは5人中2人だった。カリフォルニア州で「頂門の一針」を読み、桜チャンネルを見ているSM氏が承知していたのは当然だと思うが、ワシントン州の住人たちに関心がなかったとしても、何の不思議もないと思う。彼らがNY TIMESもW POSTもその気になって電子版でも読まない限り、知り得ない事案だったと思う。また、CNNは日本のニュースに関心が低いのだから、大きく採り上げない危険性が高いと思うのだ。なお、森氏と同学の早稲田出身のSM氏は森氏の発言には否定的だった。

だが、残念ながら(と言うべきか?)返信してくれた全員が「森氏はアウト」の判定だった。中には「時代は女性に対する批判は如何なる事情があって許されない時代になったのだと知るべし」という意見もあったと申し上げておこう。

そういうアメリカの事情をマスコミの連中が何処まで承知して「アメリカのサキ報道官が駄目だと言った」と如何にもにも大事件のように報じているのは、私には疑問に感じてしまう。それにしても、私は彼らマスメディアの森元総理大臣で組織委員会長の叩き方は異常ではないかと思っている。あの日までの森氏の会長としての功績と功労を一気に葬り去ることが、正しい報道姿勢なのだろうか。私はおかしいのではないかと思っているのだが。

だから無闇にカタカナ語を使うのを止めろと言うのだ

2021-02-18 09:22:37 | コラム
橋本聖子大臣は「プロセスに則って」と言った: 

だから「無闇にカタカナ語を使うのを止めろ」と言いたくもなるのだ。密室ではないかと非難されている次期組織委員会長を選出する理事会で一本化されたと報じられた橋本聖子大臣は、ぶら下がりで例によっておかしな日本語である政治家用語で「差し控えます」(何を差し控えるのか目的語がないのはおかしい。恐らく「コメント」というカタカナ語が出てくるのだろうが)と逃げておられた。

そこまでは良かったのだが、橋本聖子大臣はその前に「プロセスに則って審議されている云々」と言っておられたのは、カタカナ語排斥論者としては「やれやれ。大臣ともあろうお方が」と大いに残念だったのだ。 

ここから先は意図的に揚げ足を取る。プロセスは“process”であり、その意味するところはジーニアス英和には「(物を作り出すための過程、工程;処理、措置)とある。私の推定では橋本聖子大臣は「手順、順序;手術、処置、処分」を意味する“procedure”と言いたかったのだろうとなる。発音は「プロスイージャ」が近い。この二つの単語は「プロ」までは同じだし、意味も多少似ているので、つい誤用されたと揚げ足を取ろうと決めたのだった。その意図は「あの場で組織委員会で定められた手順に則って」とチャンとした日本語で言うべきだったと批判したい点にある。 

私は橋本聖子氏を責めるよりも、前後も何も考えずに無闇矢鱈に難しい文語的な英語の単語を、日常会話や公式(ぶら下がりは公式か?)の場で濫用する風習を戒めたいのだ。繰り返して指摘して来たことは「圧倒的多数のカタカナ語は英語本来の意味とは違うことを表現するのに使われている。特に、マスコミはその濫用と誤用の代表選手であるのが怪しからん」なのである。橋本聖子大臣はバッハ会長とも昵懇の間柄との報道があったが、まさか英語で交信しておられるのではあるまいな。 

ここまでで誤用を採り上げたので、先頃発見した珍しい正しい表記をしておられた方の例を挙げておこう。それは週刊文春に連載のコラムを持っておられる十文字大学教授の東畑開人氏だ。東畑氏は「クライアント」と語表記されている“client”を、そのコラムの中で正しく「クライエント」と表記されていたのだった。思わず「偉い!」と声を上げて読んだ。カタカナ語製造業者はあの綴りをどう読んで「クライアント」と表すと決めたのだろう。何処の何方が「嘘の表記をして良し」と決めたのだろう。また、その誤記を平気で使うマスコミの無神経さが恐ろしい。