新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月24日 その3 カタカナ語の問題点を指摘すれば

2021-02-24 14:22:14 | コラム
百害あって一利ないカタカナ語の氾濫:

私の年来の持論である「カタカナ語を使うのを止めよう」については、未だに支持者乃至は同調される方が少ないのは非常に遺憾である同時に、残念だと思っている。私は今日のような多方面でカタカナ語が濫用され多用されている事の原因には「我が国の至らざる英語教育にある」と確信している。特に「単語偏重」と「英語教師たちの発音の悪さ(不正確さ)」に加えて「ローマ字読み」も負の貢献をしていると指摘しておく。

そこに、テレビ局等が英語の単語の意味を理解せず、言葉が誤用されているとも知らずにカタカナ語を濫用している上に、彼らが起用する無学のタレントどもが訳も解らずに多用しているのだから始末が悪い。何故悪いのかといえば、言葉は耳から入って行く場合の影響がかなり強いので、それを聞かれた罪なき視聴者もついウッカリと真似をしてしまうのだというのが、私の見解である。その結果と言うべきか、現在では猫も杓子も「カタカナ語」となったと見ているのだ。

私は特に意識してカタカナ語を避けて書いたり話したりしている訳ではないが、多くの方には理解して頂いている(あるいは「通じている」)と解釈しているが、勝手な考え方だろうか。今日までの主張の繰り返しであるが「英語教育を徹底し、普及させて国際人を養成しよう」などと(政府乃至は文部科学省が)本気で考えているのであれば、英語教育の内容を根本的に変えなければ、「百年河清を待つに等しい」事になるだろう。敢えて指摘するが、小池百合子東京都知事のように「ひけらかし」で英単語擬きを使うような傾向を、可及的速やかに止めるべきなのだ。

ここまででは具体的に何処が悪いのかを語っていないので、あらためて「カタカナ語の問題点」を簡単に指摘しておこう。

造語:
先ずは「造語」であるが、英語擬きでもある。幾つか例を挙げておけば「フリーサイズ」がある。これは英語では一寸面倒な“one size fits all”なのだ。「オーダーメイド」なども如何にもそれらしいが、英語では“custom made”か“tailor made”となっている。「プライベート・ブランド」も英語っぽいが“private label”なのだ。「ヒーローインタビュー」などは文法的誤りに分類出来るが、英語では「目的語が後に来る」ので、“interviewing the hero”辺りにしないと据わりが悪い。未だ未だ幾らでもあるが、これくらいにしておこう。

ローマ字読み:
「ローマ字式読み方乃至は恣意的なカタカナ表記」を採り上げておこう。最も最近の例にはアメリカのCOVID-19用のワクチンのメーカー「モデルナ社」という最悪傑作がある。英語の表記は“Moderna”だった。これをどう捻くって読んでも“Modelna”ではなく「モダーナ」である。我が国では綴りの中に“r”が入っていると「ル」にしてしまう傾向がある。Morganという銀行があるが「モルガン」となっているが、アメリカ人に幾ら頼んでもこのようには発音してくれないと思う。“security”は断固として「セキュリティ」ではない。辞書を引いて見ろ。「セキュアラテイー」が最も近い。

昨23日は小池都知事の「リバウンド」を槍玉に挙げたが、同じreboundでも名詞になると「リーバウンド」になるのが英語の面倒なところ。また目下虚偽の署名を集めた愛知県知事の「住民投票による解職」はrecallなのだが、この場合には「リーコール」か「リーコル」になってしまうのだ。同様にrecycleも「リーサイクル」なのだ。序でに言っておくとMichaelは「マイケル」ではなくて「マイクル」となってしまうのだ。辞書をご覧あれ。

合成語:
智が頃流行りの言葉に「何とかかんとかロス」というのがある。そこで「ペットロス」というのを考えて見た。Weblioには“emotional effect on pet owners from losing their pet”とあった。他には簡単に”loss of one’s pet“というぶっきらぼうなのもあった。思うに、”pet loss“などという言葉を合成したのは「愛玩動物の死に遭って嘆き悲しむ」などと言う難しい漢字の表現を知らなかったから出てきた言葉だろうと決めた。

新しい傾向:
ここで是非とも採り上げておきたい、新たな分野が出てきたのだ。それはスタンドプレー(これもカタカナ語だが)を得意技とされている小池都知事お得意の英語の表現を混ぜた語法だ。困った事に、小池さんがお使いになる英語擬きは幸か不幸か私が分類するカタカナ語のどの範疇にも入らないのだ。即ち、「ステイホーム」も「ロードマップ」も「リバウンド」等々は、全て英語としての意味から逸脱していないのである。

それでも私が非難攻撃する理由は「仮に都知事ご自身は英語単語の意味を理解しておられたにせよ、英単語を聞かされた都民の全体が理解するのか、イヤしないだろう」と言う事だ。現に我が家内は「解らない」と言った。何度か指摘したが、私は永年アメリカ人の中で仕事をしていて“roadmap”という表現を聞いた事もなかったし、使えたほど語彙が豊富ではなかった。ここで敢えて言いたい事は「小池さんが記者会見などでカタカナ語というか英語擬きを使われれる必然性はない」なのである。それが普通の英語でも、都民は普通の至らない英語教育を受けてきた日本人だから解らないと思うよ。

結び:
私は「気安く英語擬きを使う方が、今となっては、小難しい漢字の熟語を使わないで済むから」などと考えている者が多いのではないのか、特にマスコミに」と見ている。とんでもない事だ。それでは、我が国の歴史と伝統がある漢字交じり文の文化を破壊する行為だし、日本語をも毀損しているのだと断じたい。何度でも言うが、カタカナ語を使う方が知的な香りがするし、近代的であるし、英語を良く理解していると誇示したのであれば、そんな理解度や近代性などお捨てなさいと指摘して終わる。


2月24日 その2 新型コロナウイルス制圧対策に思う

2021-02-24 09:12:08 | コラム
東京都では緊急事態宣言発出の効果が挙がったのか:

下げ止まりの傾向が見えると専門家も小池都知事も言われるが、一頃の1,000人を突破していた状態から見れば、宣言発出の効果は十分にあったと思うのは誤認識だろうか。何度でも同じ事を言うが、小池都知事は未だに「ご協力を」と曰うのは私は見当違いだと思う。「あんな口先ばかりで何ら実行(実効?)が伴わない知事に協力などするか」というのが偽らざる本心だが、小池さんが言うべき事は「都民の皆様はご自身の為にこそ外出を控え、自宅でお過ごし下さい。それが自らを感染から防ぐ事になるのです」であって、知ったかぶりで「ステイホーム」と言うべきではないのだ。

ところで、都内の人出の実態だが、テレビのニュースで見ている限りでは、所謂盛り場では緊急事態宣言発出の前と殆ど変わっていないと思わせられるほどの賑わいである。当方のような超後期高齢者は感染が恐ろしくて何処にも出掛けていない。恐らく2021年での最長不倒距離は、新大久保駅前からバスで10分、家から徒歩でも30分の新宿区戸山町の国立国際医療研究センター病院だろう。後は脚力維持が目的の歩行訓練で、我が家の周辺の安全な通りを30分ほど回ってくるだけだ。大久保通りを歩けば、相変わらず大勢の異邦人たちが我が物顔で歩き回っていて恐ろしい。

それでも、昨日などは都内の新規感染者は272人にまで減少した。本気で冗談を言えば「あれほど多数の者どもが出歩いていても、感染者が減っていくのはおかしい。まさか何処かの大国のように数字を改竄しているのではあるまいな」などと考えてしまう。冗談は別にして、仮にあの無神経の者どもが平気で出歩いていても宣言発出の効果が出ているのであれば、外飲食業者に午後8時までの時間短縮営業を要請した効果が出ていたという事になるのではないのか。本当に効果を発揮していたのならば、休業補償等は無駄ではなかった事になるのではないか。

先日、TBSの「報道1930」に出ておられた前アメリカ駐在大使・杉山晋輔氏は「ニューヨークやワシントンDCのような外出禁止の状態と比較すれば、東京都内の盛り場の人の群は信じられない」と言っておられた。多少はアメリカという国を知る私には、我が国との感染者の数の相違の理由はある程度の想像は出来るが、何故あれほど違うのかは見当が付かない。単にマスク着用を厭わないと民族性であるとか、手洗いと消毒を小まめに実行するとか、群れない等々という以外に、何かがあるのではないのかとは思うが。

私は躊躇う事なくワクチンの順番が回ってきたら接種を受けに行こうと思っている。だが、EUのごり押し(なのだろうか?)と厚生労働省(なのか?)の輸入交渉の不手際なのかは不明だが、この儘に事が運べば、高齢者にまで回るワクチンが輸入され、新宿区にまで配分されるのは5月にはなるだろうと、悲観的に考えておく事にしている。何分にも、国際的なワクチン獲得競争は激化する一方のようだから。


カタカナ語排斥論者の弁

2021-02-24 08:22:57 | コラム
相模様

コメントを頂戴して、誠に有り難く心から感謝申し上げます。有り難う御座いました。

私の年来の持論である「カタカナ語排斥」は未だに支持して下さる方が増えてこないので残念に思っております。私は濫用と多用の原因は「我が国の英語教育」にあると見ております。特に「単語偏重」と「英語教師たちの発音の悪さ(不正確さ)」に加えて「ローマ字読み」も一役買っていると思うのです。そこに、テレビ局が英語の単語の意味を理解せずに、カタカナ語を乱発しますので、耳から入る悪影響が深刻になって行く一方です。その結果として、猫も杓子も「カタカナ語」となったと見ております。

私は特に意識することもなくカタカナ語を使わないで文章を書くようにしておりますが、多くの方には理解して頂いていると勝手に解釈しておりますが、勝手な考えでしょうか。これまでの主張の繰り返しになりますが、「英語教育を徹底し、普及させて国際人を養成しよう」などと(政府乃至は文部科学省が)本気で考えているのであれば、英語教育の内容を変えて、質の向上は避けて通れないでしょう。小池百合子東京都知事のように「ひけらかし」で英単語擬きを使うような傾向を、可及的速やかに止めるべきだと確信しております。

今後とも宜しくご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。
真一文字拝