在宅勤務とは精神集中力の問題だった:
昨日だったか、何方かが品川駅から大勢が群を為して出勤する絵を見て「経営者はもっと割り切って、在宅勤務に踏み切るべきだ。既に自社ビルを売却した会社だってあるほどだ」と、貴重な意見を述べておられた。正論であろうが、この件は矢張り専門家が「大手企業ならいざ知らず、中小企業にはそこまでの態勢は取れないのである」と指摘していた。両方とも尤もであると思う。
かく申し私は、2003年から10年間、あるよんどころない事情があって、在宅での仕事をお引き受けてしていた。即ち、18年前の70歳になった年からだった。仕事の内容は「紙パルプ産業界に特化した出版社からEメールで送られてくる、同社の提携先のアメリカの専門機関から毎週発行する雑誌に掲載すべく供給されてくる最新の世界の紙パルプとその関連の産業界の最新のニュースを、和訳して送り返すこと」だった。その量は印刷してA4版で4頁か2頁になるのだから、相当な時間がかかる仕事だった。
問題は「その翻訳に要する時間と労力ではない」という点だった。いや、実際に着手してから気が付いたのだった。それは今を去る事18年も前となると、血気盛んとまでは言わないが、未だ未だ付き合いもあって外出せねばならない要件もあったし、会食の約束も屡々発生していた。しかも、家にいる以上スポーツ中継等々の見たい誘惑に駆られるテレビ番組もあるのだ。電話だってかかってくれば、そこで集中が途切れてしまう事も屡々あった。当時は隔日にジムに通ってもいた。換言すれば「如何にして雑念を払って翻訳業に専念するか」には馴れるまでに1年は要したと記憶する。
正直に言って、雑念というか世間の俗事から如何にして我が身を完全に切り離して、余り立派ではないアメリカの業界の専門機関の記者たちの英語に馴れて、素早く日本語に直すのには、本当に高い集中力が必要だった。その前に、集中力の必要性を切実に認識するまでは、つい「今頃はあの番組が放映されている頃だ」とでも思うと、フラフラと姓を離れてしまう事があった。思い起こせば、完全に自由の身であって何の束縛もない生活をしていたからこそ、引き受けたのだったはずだが、大袈裟に言えば煩悩を振り切れなかった。
まして、20歳台から50歳台の優秀な方々が在宅で仕事をするとなれば、あの頃の私よりも遙かに多くの付き合いから何から抱えておられるのだろうから、如何にして家族もいる環境で[会社]に専念できるのかなと、そのご苦労のほどをお察し申し上げている。しかも企業の中におられれば、皆さん相当の責任を負っておられるのだから、「今日の午前中はスーパーボウルを見ていようか」という訳には行くまいと思う。
昨年語り合った商社マンは「この世には未だ会社という組織では、全員が一堂に会して一斉に仕事をするものだ」と思っておられる経営者は若い年齢層に多いようだ」と語っていた。政府も小池都知事も本気で70%ものリモート勤務体勢をと目指しているであれば、「協力願いたい」などと生易しい事を言っているだけではなく、実際に会社を回って歩いて要請した方が良くはないのか。
在宅勤務とは上述のようにかなり精神集中が必要な仕事だと思い出したので、ここに申し上げる次第だ。
昨日だったか、何方かが品川駅から大勢が群を為して出勤する絵を見て「経営者はもっと割り切って、在宅勤務に踏み切るべきだ。既に自社ビルを売却した会社だってあるほどだ」と、貴重な意見を述べておられた。正論であろうが、この件は矢張り専門家が「大手企業ならいざ知らず、中小企業にはそこまでの態勢は取れないのである」と指摘していた。両方とも尤もであると思う。
かく申し私は、2003年から10年間、あるよんどころない事情があって、在宅での仕事をお引き受けてしていた。即ち、18年前の70歳になった年からだった。仕事の内容は「紙パルプ産業界に特化した出版社からEメールで送られてくる、同社の提携先のアメリカの専門機関から毎週発行する雑誌に掲載すべく供給されてくる最新の世界の紙パルプとその関連の産業界の最新のニュースを、和訳して送り返すこと」だった。その量は印刷してA4版で4頁か2頁になるのだから、相当な時間がかかる仕事だった。
問題は「その翻訳に要する時間と労力ではない」という点だった。いや、実際に着手してから気が付いたのだった。それは今を去る事18年も前となると、血気盛んとまでは言わないが、未だ未だ付き合いもあって外出せねばならない要件もあったし、会食の約束も屡々発生していた。しかも、家にいる以上スポーツ中継等々の見たい誘惑に駆られるテレビ番組もあるのだ。電話だってかかってくれば、そこで集中が途切れてしまう事も屡々あった。当時は隔日にジムに通ってもいた。換言すれば「如何にして雑念を払って翻訳業に専念するか」には馴れるまでに1年は要したと記憶する。
正直に言って、雑念というか世間の俗事から如何にして我が身を完全に切り離して、余り立派ではないアメリカの業界の専門機関の記者たちの英語に馴れて、素早く日本語に直すのには、本当に高い集中力が必要だった。その前に、集中力の必要性を切実に認識するまでは、つい「今頃はあの番組が放映されている頃だ」とでも思うと、フラフラと姓を離れてしまう事があった。思い起こせば、完全に自由の身であって何の束縛もない生活をしていたからこそ、引き受けたのだったはずだが、大袈裟に言えば煩悩を振り切れなかった。
まして、20歳台から50歳台の優秀な方々が在宅で仕事をするとなれば、あの頃の私よりも遙かに多くの付き合いから何から抱えておられるのだろうから、如何にして家族もいる環境で[会社]に専念できるのかなと、そのご苦労のほどをお察し申し上げている。しかも企業の中におられれば、皆さん相当の責任を負っておられるのだから、「今日の午前中はスーパーボウルを見ていようか」という訳には行くまいと思う。
昨年語り合った商社マンは「この世には未だ会社という組織では、全員が一堂に会して一斉に仕事をするものだ」と思っておられる経営者は若い年齢層に多いようだ」と語っていた。政府も小池都知事も本気で70%ものリモート勤務体勢をと目指しているであれば、「協力願いたい」などと生易しい事を言っているだけではなく、実際に会社を回って歩いて要請した方が良くはないのか。
在宅勤務とは上述のようにかなり精神集中が必要な仕事だと思い出したので、ここに申し上げる次第だ。