新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月11日 その2 森喜朗氏の後任人事

2021-02-11 14:49:15 | コラム
川淵三郎氏で調整中だとか:

先ほど、他の事を論じようかとPCを起動して、何時もの手順でYahooニュースを見ると、JNN系で「森氏は12日に辞意を表明する予定であり後継を元サッカー協会長の川淵三郎氏で調整中」とあった。「何だ。そうなるのだったならば、この問題がこじらせらせられた時に適任の後継者は川淵三郎氏しかあるまいと閃いたので、あの時にそう言っておけば良かった」と残念に思っていた。更に「川淵氏の手腕は既にサッカーとバスケットボール界で立証済みだし、サッカー界出身というのも心地良いし適材適所ではないか」と思っていた。

私は川淵氏は同じ早稲田大学の運動部である森喜朗氏よりもてっきり1年の上級生であると信じていた。だが、何か書き出す前に念の為にとWikipediaに伺いを立ててみた。すると、意外な事に1歳年上の川淵氏は森氏よりも1学年下で早稲田大学を卒業しておられたのだった。理由は簡単で二浪されていたからだった。早稲田大学の運動部では如何なる仕来りになっているかは知らないが、年長者でも学年が下ならば、あの厳しい年功序列制の世界はサッカー部の川淵氏は、森氏の後輩と言う事になっているのかも知れない。

私は川淵氏が堺市の三国ヶ丘高校から入って来られたのは、私が大学を出てしまった後だったようなので、てっきり昭和12年生まれの森氏とは同学年だと思っていた。両氏が親しい間柄かどうかなどは全く知らないが、同学で同じ体育会所属であったのならば、引き継ぎは円滑に行くのではないかと期待しても良いかと思って、JNNの報道を読んでいた。私は素直に川淵氏ならば期待しても良いだろうと思っている。

だが、オリンピックが本当に開催されるのならば、残された時間は半年にも満たない。川淵氏は腹心の部下を引き連れて入って行けるのだろうか。何れにせよ、如何に豪腕の川淵氏でも単身で組織委員会に入っていくのは無理があるだろうかと懸念してしまう。それに、事はオリンピックパラリンピックとなれば、JリーグやBリーグとは次元が違う気もする。だが、期待する以外に何があるのだろう。成功を祈りたい。

ここから先は余談だが、同じサッカー界出身であっても、全く異なる世界に住んでいた私は一度だけ偶然に東海道新幹線の車中で川淵氏と短い会話をした事があった。私が社内を歩いている時に座っていた川淵氏と目が合ったので、何気なく同じサッカー界出身者としてJリーグ出発のお祝いを述べたのだった。すると、何処でサッカーをと言う事になって、湘南高校であり、2期上にメルボルンオリンピック代表のK氏、1期上に早稲田大学で全日本学生代表だったO氏がおられたと自己紹介。すると「随分古い懐かしい時代の方ですな」と言われてしまった。あーあ。


森喜朗オリンピック組織委員会長の発言に対する非難・攻撃に思う

2021-02-11 08:40:24 | コラム
「皆様に不快な思いをさせた」と小池都知事は言ったが:

正直なところ、私は「森喜朗オリンピック組織委員会長がどのようにご自身の身を処理されるべきか」などを、どのように論ずべきかは解らない。現時点ではマスコミ主導の「女性蔑視」と決めつけた報道に便乗したとしか見えない野党、そのマスコミ論調に刺激された志高い市民のボランティアと聖火走者の辞退、IOCの掌返しの主張等々による、凄まじいばかりの「森辞めろ」の世論形成の流れに、大袈裟に言えば「呆然としている」だけだ。

小池都知事は来たるべき四者会談を欠席する意理由として「皆様をあれほど不快な思いにさせた森氏出られる会議ではポジティブ(得意なカタカナ語だが、どういう意味かご承知なのか)な結果は出ないだろうから欠席する」と得意の作業服姿でカメラの前に立たれた。退席された小池さんの後ろにはスカートと同じ色のジャケットをハンガーに掛けて持ち歩く女性が付いていた。又ぞろ、スタンドプレーだった。私は皆様の1人である都民だが、特段不快な思いは未だしていない。

私は幸いにして畏メル友・尾形美明氏のご好意で森喜朗氏の40分にわたる演説の全文を読む機会を与えられた。読んだ結果では「果たしてこれが森氏が古き悪しき女性蔑視の世代を代表された発言になるのか」は遂に解らなかった。その解らなかった理由は、本日の産経新聞に阿比留瑠偉氏が解りやすく解明しておられるので、関心を持たれた方は今からでもニュース・スタンド(これが正しい英語の表現だ、念の為)に走られて新聞を買われたら如何か。極端に言えば、森氏は蔑視的だけではない女性肯定的と解釈できる点にも触れておられるのだ。

立憲民主党の「自民党と政権貶め質問担当者である今井雅人は森氏の発言で「我が国が女性蔑視の国である全世界に知られた」とほざいていたが、例によって例の如くの「切り取り報道」自虐的に世界に向けてマスコミが発進した結果の今日の事態のような気がしてならない。週刊文春ですらが「そのような形に持っていこうと騒ぎ立て、世論を刺激するのがマスコミの常套手段であり、その通りの状態に持っていけた」との趣旨で論じていた。言うなれば「マッチポンプ」だとすら思える。

先ほども触れたように、私はぼんくらで森氏の発言が我が国を代表するような女性蔑視かどうかは解らないのだ。それ故に「マスコミ主導で野党が追随し、進歩的な識者(?)も後追いしたかのように見えるのだ。彼らがIOCや多くの先進国(何の?)まで巻き込みに成功してしまった以上、問題の決着は見えているような気もするが、世論の中に入っておられる我が同胞は、世界各国が皆女性尊重で、男女同権であり、女性の社会進出を完全に果たしているかどうかを把握しているのだろうかと疑ってしまう。私は少なくともアメリカの実体を繰り返し説いてきて。

今回の成り行きで「何故そうなってしまったのかな」と理解に苦しんでいる事態がある。それは、我が国独得の習慣である「謝罪の文化」が全く守られていない点なのだ。森氏は言葉遣いは措くとしても一度は「不適切だった」と公開の席で謝罪され、発言の撤回もしておられた。我が国で通常はここまででIOCが一旦認めたように「一件落着」だったはずだ。ところが、野党はその後になって国会で今井雅人他を使って攻撃を開始したのだった。即ち、水に落ちた犬どころか元総理大臣に向かって、一斉射撃を始めたのだった。私はフェアーではないと思って見ている。

菅首相は「組織委員会の人事に政府は介入できない」と正論を述べておられたのに、立憲民主党はスポーツ庁長官に「辞めろ」と言わせろと迫った。室伏氏にそんな権限はないと思うし、幾らオリンピックで繰り上げ優勝したと言っても、彼如き若輩が元内閣総理大臣に向かって「貴方、お辞めなさい」と直言できるのか。

繰り返し言うが、私には森喜朗氏に「あーしなさい」とか「こうなさったら如何でしょう」などという言葉の持ち合わせはない。仮令、私がサッカー界の出身であり、異なる分野であるラグビー界の森氏よりも5歳年長であっても。私はこのままマスコミと野党と有識者の方々が沈黙するまで、静かに情勢を見守っていこうかと考えている。