新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月7日 その2 野球とBaseballに思う

2021-07-07 14:45:51 | コラム
侍ジャパンの千賀滉大とエンジェルスの大谷翔平:

侍ジャパンに関する不安材料:

昨6日の夜は偶然にチャンネルを合わせて、ソフトバンクホークスで一軍に復帰した、と言うか稲葉篤紀侍ジャパン監督が代表に選んでしまった千賀滉大投手の、何とも言いようがない無残な10失点の有様を全部見てしまった。解説をしていた立川某も「これほど悪い千賀を見たことがない」と言った程、右足の故障から立ち直っていないとしか思えなかった酷い出来だった。この調子では間もなく始まってしまうオリンピックには間に合うまいとしか見えなかった。私は「工藤監督は稲葉監督に我が球団のエース千賀は無理だ」と見せたくて起用したのではないかと疑った程悪かった。

いきなり余談から行くが、私は誰が命名したのか知らない「侍ジャパン」という野球の代表テイームのニックネーム(なのだろう)の時代感覚の欠如振りと、何も今頃になって海外にまでも「侍」の概念を推し進める必然性があるとは理解できないのだ。それと同程度に理解に苦しんでいるのが、稲葉監督の選手というか投手の選択だった。何れ疑問を呈そうと思っていたジャイアンツの菅野智之はどうやら自分から辞退したようだった。それだけではない、既にその切れ味の無さというかヤンキースに愛想を尽かされた感すら漂う田中将大にも疑問符を付けておいた。

オリンピックの予選を通過してきた諸国を見れば、皆先日も採り上げておいた「強打」即ち“to hit the ball hard”の集団ばかりだった。それを相手にして往年いや昨年までの切れ味がない田中と復調未だしの千賀を主体にして、新人の伊藤将大や松井裕樹で何処までやれるのかと、悲観論者は既に心配しているのだ。アメリカはどうやらMLBのバリバリを出すことなくDeNAのオースティン辺りを入れたようでさほどで脅威には感じないが、南アメリカ勢の身体能力依存集団に何処まで対抗できるのかと、不安に感じている。稲葉監督の心中と真の力量が読めないので困る。

大谷翔平君:
本7日(と言っても、アメリカでは未だ6日だが)はこれまた偶然にNHKの地上波の方で、大谷翔平が投と打の両面で活躍している中継を見ていた。正直なところ、大谷が投手として最初から7回まで投げている場面を見たのは初めてだった。本日は制球力が非常に整っていて四球がなく、我が国の投手独得の精密さは見せていなかったまでも、確実に速球と変化球で東地区1位のレッドソックスを2点で抑えて見せてくれた。

マスコミが囃し立てる落ちる球を余り見せなかったが速球は155 km前後であり、寧ろ打たせないで抑えることを狙っていた堅実な投法に見えた。解説の斎藤隆は「その辺りは捕手がカートスズキではなくStassyだった所為ではないか」と指摘していた。大谷は投球のテンポも良かったと思うが、7回を投げて100球に届かなかったように無駄はエネルギーの消費がなかったのも良かったと思う。だが、正直なところ、あの出来は速球で打者を圧倒した訳でも、スプリットで空振りが取れていたのでもないので、オールスター戦では1回持てば良いのではないかなどと考えていた。

打つ方を振り返ってみよう。レッドソックスの監督は「大谷を抑えるに十分な準備をしてきた」と語ったと、アナウンサーが言っていた。私が見ていた限りでは、それは満更はったりでも嘘でもないと思えた。そう言う根拠は、1回の裏にライト線に持っていった「目にも止まらない速さで、角度さえ付けばホームランだったかも知れない」と斎藤隆が惜しんだ打席以外では全く前に飛ばせる投球は来なかった。アメリカの力任せの投手でも、あれほど精密にインサイドの直球か、低めにボール気味落ちる変化球を投げられるのかと、感心させられた程「大谷潰し」は徹底していた。

特に感心したのが先発の速球投手デイヴァルデイーが残した満塁のピンチを引き継いだWard(ワードではない「ウオード」だ)が、三振に取ったインサイド低めからシュート気味に真ん中に入った配球の妙は「アメリカの大味な投手でもやれば出来るのか」と唸らされた。要するに、「MLBでは大谷翔平封じ込め策がかなり速やかに調えられつつあるのではないのか」と私は懸念させられたのだった。恐らく、多数のMLBのスカウティングテイームが、あのレッドソックスの組み立てを何十台ものカメラで撮っていただろうと推察している。

大谷君をタイガース新人・佐藤輝明と同日に論じるのは適切ではないかも知れないが、佐藤に対する我が国の多くの投手たちの攻め方と酷似しているように見えた。流石に「スカウティング」を編み出した國だけのことがある。大谷はこうすれば抑えられるのか」と、私が感心していては仕方がないかも知れない。我が親愛なるマスコミはオールスター出場もあることで、大谷を褒め称え続けるだろう。

だが、私は大谷に対してそんな過剰な礼賛は無用だと思う。それは、大谷翔平君は「これから全MLBの投手たちとスカウティングテイームとの力と知恵比べの時期」に否応なしに入り、そこを切なり抜けられなければ、真のMLBを代表するような投手と打者にならねばならないのだから。


亡くなっていた野球解説者があれほど多かったとは

2021-07-07 08:46:21 | コラム
強烈なプロ意識の表れだろう:

去る6月30日に2,000本安打を記録されて、故金田正一氏が設立された私的な組織「名球会」会員だった大島康徳氏が亡くなったと報じられていた。私は恐らく大島氏の最後の解説だったのだろうと思われるNHKの中継を見ていた。NHKはその際にアナウンサーと並んでおられた大島氏を映しだしていた。実は、その中継のときには「余り聴いたことがない声だが、もしかすると大島氏か」と感じた程衰えていた。その後で見えた表情は「その状態では非常に無理をされて出演されたのでは」と痛感させられた。そして、旬日を経ずしての訃報だった。ガンであり享年70歳だった。

私はNHKの野球解説の中継では、何年か前に大島氏よりも窶れた声で「これは誰なのだろうか」と思わせられたことがあった。その声の持ち主もその後間もなく亡くなっておられたとの記憶があった。だが、誰だったかがどうしても思い出せなかった。そこで、先ほど検索をかけてみた。そこで驚かされたことは「マスメディアに登場される野球の解説者がこれほど多かったのか」ということと、その中で亡くなっていた方がこれほどまでに多かったのか」という二つの事実だった。

そして判明したのが、あの掠れた声の持ち主が、鉄人と呼ばれていた故衣笠祥雄氏だった事だった。亡くなられたのは2018年で、大島康徳氏同様に未だ未だ若い71歳だった。あの衣笠氏の絞り出すような声を聞いたときには「解説者」という仕事の責務を果たすべく、辛かっただろう状態を耐え忍ばれて登場されていたのだろうと察して板と同時に、そのプロ意識と責任感に非常な感銘を受けていたのだった。

大島康徳氏についても同様な感覚で捉えていた。あの痩せ穂細った体調で出演されただけでも大変な負担だったろうし、見事とでも言いたいプロ意識であり、素晴らしい精神力だと感心しるだけだった。心筋梗塞と心不全で何度も生命の危機に襲われた私には、大島氏の強靱な精神力と責任感と野球に対する情熱は、誠に尊敬に値するものだと思うのだ。

東京に住んで、デイジタル化が進んだ時代に対応しようとも思わずに遅れている私は、野球の中継はNHKとキー局のみに依存している。従ってテレビ・ラジオ・新聞等々のメデイアにはあれほど多くの解説者がいるとは夢にも思っていなかった。目から鱗というよりも、世の中が多様化しているのだったと、あらためて思い知らされたのだった。BSの12チャンネルのプロ野球中継の解説には屡々「そう言えばそういう選手がいたな」と思い出させてくれる人が出ている。そして、そういう解説者の方が「なるほど」と感嘆させてくれるような「野球とは」を聞かせてくれるのだった。