大谷翔平は絶好調なのかそれとも実力が向上したのか:
大谷翔平のホームラン大量生産の勢いが止まらず、先ほど29本目を打ったところを見たばかりでPC部屋に移動してニュースを見ると、何と続けざまに30本目を打ったと知らせてくれた。素直に言えば「本当に凄い」と思う。だが、私の年来の持論では「我が国のマスコミに過剰に持て囃され持ち上げられると、当人の力量や調子とは関係なしに、その褒めすぎが悪影響を与えて調子が落ちてしまうのである」となっている。事実、不思議な程この「行きすぎたチヤホヤ」は悪いお知らせなので、大谷の好調ぶりを余り過剰に騒ぎ立てないでくれ」と願っていたのだ。
そこで、本日の地元での対ボルティモア・オリオールズの試合である。NHKのBSでは試合開始前に本日までの28本の録画を見せてくれた。その美しくて綺麗なswing(どうしても「スウイング」とカタカナ表記したくなる)は徐々に洗練されてきて、絵になってきていた。私の捉え方は「大谷のスウイングは打ちに行くというよりも、目にも止まらぬ速さで綺麗に振り抜いて、美しく弧を描いたバットが綺麗にボールを掬い上げて、遙か彼方の外野の観客席に運び込んでいるのだ」である、
この点では腕の力が非常に優れている大方の南北アメリカ出身の選手たちが、英語の表現である“hit the ball hard”、即ち、力一杯打ちに行ってホームランにするのとは、一味違う気がするのだ。換言すれば、ゴルフで言う“follow-through”(これもどうしても「ファーロウスルー」とカタカナ表記したい)が美しく出来ているので、あれほどの距離が出せるのだろうと見ている。矢張り、あの力感もある綺麗なスウイングは彼の天性である素質が為せるスウイングであり、「身体能力依存」の南アメリカ勢との違いであると思うのだ。
実は、私はそもそもが大谷翔平を「二刀流」(私の感覚ではおかしな表現であり、英語の“two way”か、フットボール界の「両面」の方が的確であると信じている)で使うのには賛成できず、特にMLBでは投手一本でやらせて欲しかった。それは、彼のあの肩の力と落ちる球を操る能力があれば、それこそ20勝も出来る希代の投手になれると期待していたからだった。ところが、あのトミージョン手術になってしまったために、天が二物を与えた打者に専念ではないまでも、打つ方に暫時主力を置かざるを得ないようになってしまった。
そして、あらためてtwo wayに専念するようになった今シーズンのこのホームランの大量生産に加えるに、オールスターのDHにファン投票で選ばれただけではなく、ホームラン競争にまで出場するようになった程の絶好調ぶりである。凄いと思って見ている。一寸だけワシントンとオレゴンの居住者に尋ねてみても、彼のアメリカ国内での人気は急上昇している気配である。結構なことだと思う。
そこで、心配性の私が懸念することがある。それは「現在の大谷がホームランを量産するなどあれほど当たっているのは、調子の波の頂点にあるのか、それともMLBに4年在籍して二刀流とやらに励んだ結果で、天与の素質が一気に開花した真の実力なのか」ということ。私が想起したことがある。それは古い話になるが、1966年に読売カントリーで開催されたカナダカップを見に行ったときに、ジャックニクラウスが神がかり的にピタリピタリとピンに寄せてはバーディーを取り続けた凄さをである。それはまぐれ当たりではなく、若きニクラウスの実力が発揮されていたのだった。
何を言いたいのかと言えば、大谷翔平がまるで止まっている球を打つように、MLBの投手たちの150 km超の速さの速球を軽々とホームランにしてしまう景色が、あの半世紀以上も前のニクラウスのように実力が発揮されているのであって欲しいという願いである。現在は状態が良いだけであって欲しくないということ。オールスターに出るのも大変に結構なことだし、賞金が100万ドルとかのホームラン競争も良いだろう。だが、そこで折角の磨かれつつある実力か、あるいは絶好調(今は「非常に状態が良い」と言うようだが)が崩されては何にもならないと心配しているのだ。
という次第で、私には大谷翔平の極限に近いのかも知れない「良い状態」が、投手と打者の両面で今シーズン終了時まで維持されることを希望するのだ。ここで恐ろしいのがCOVID-19である。既にオーガスタを制覇した松山英樹が罹患している。我が国でも広島の鈴木誠也は副反応の厳しさのために何試合か欠場していた。昔から言うではないか「好事魔多し」と。大谷君、十分心得ているだろうが、健康管理だけは怠らないように。マスコミの諸君は大谷を持ち上げ過ぎないように注意すべきだ。
大谷翔平のホームラン大量生産の勢いが止まらず、先ほど29本目を打ったところを見たばかりでPC部屋に移動してニュースを見ると、何と続けざまに30本目を打ったと知らせてくれた。素直に言えば「本当に凄い」と思う。だが、私の年来の持論では「我が国のマスコミに過剰に持て囃され持ち上げられると、当人の力量や調子とは関係なしに、その褒めすぎが悪影響を与えて調子が落ちてしまうのである」となっている。事実、不思議な程この「行きすぎたチヤホヤ」は悪いお知らせなので、大谷の好調ぶりを余り過剰に騒ぎ立てないでくれ」と願っていたのだ。
そこで、本日の地元での対ボルティモア・オリオールズの試合である。NHKのBSでは試合開始前に本日までの28本の録画を見せてくれた。その美しくて綺麗なswing(どうしても「スウイング」とカタカナ表記したくなる)は徐々に洗練されてきて、絵になってきていた。私の捉え方は「大谷のスウイングは打ちに行くというよりも、目にも止まらぬ速さで綺麗に振り抜いて、美しく弧を描いたバットが綺麗にボールを掬い上げて、遙か彼方の外野の観客席に運び込んでいるのだ」である、
この点では腕の力が非常に優れている大方の南北アメリカ出身の選手たちが、英語の表現である“hit the ball hard”、即ち、力一杯打ちに行ってホームランにするのとは、一味違う気がするのだ。換言すれば、ゴルフで言う“follow-through”(これもどうしても「ファーロウスルー」とカタカナ表記したい)が美しく出来ているので、あれほどの距離が出せるのだろうと見ている。矢張り、あの力感もある綺麗なスウイングは彼の天性である素質が為せるスウイングであり、「身体能力依存」の南アメリカ勢との違いであると思うのだ。
実は、私はそもそもが大谷翔平を「二刀流」(私の感覚ではおかしな表現であり、英語の“two way”か、フットボール界の「両面」の方が的確であると信じている)で使うのには賛成できず、特にMLBでは投手一本でやらせて欲しかった。それは、彼のあの肩の力と落ちる球を操る能力があれば、それこそ20勝も出来る希代の投手になれると期待していたからだった。ところが、あのトミージョン手術になってしまったために、天が二物を与えた打者に専念ではないまでも、打つ方に暫時主力を置かざるを得ないようになってしまった。
そして、あらためてtwo wayに専念するようになった今シーズンのこのホームランの大量生産に加えるに、オールスターのDHにファン投票で選ばれただけではなく、ホームラン競争にまで出場するようになった程の絶好調ぶりである。凄いと思って見ている。一寸だけワシントンとオレゴンの居住者に尋ねてみても、彼のアメリカ国内での人気は急上昇している気配である。結構なことだと思う。
そこで、心配性の私が懸念することがある。それは「現在の大谷がホームランを量産するなどあれほど当たっているのは、調子の波の頂点にあるのか、それともMLBに4年在籍して二刀流とやらに励んだ結果で、天与の素質が一気に開花した真の実力なのか」ということ。私が想起したことがある。それは古い話になるが、1966年に読売カントリーで開催されたカナダカップを見に行ったときに、ジャックニクラウスが神がかり的にピタリピタリとピンに寄せてはバーディーを取り続けた凄さをである。それはまぐれ当たりではなく、若きニクラウスの実力が発揮されていたのだった。
何を言いたいのかと言えば、大谷翔平がまるで止まっている球を打つように、MLBの投手たちの150 km超の速さの速球を軽々とホームランにしてしまう景色が、あの半世紀以上も前のニクラウスのように実力が発揮されているのであって欲しいという願いである。現在は状態が良いだけであって欲しくないということ。オールスターに出るのも大変に結構なことだし、賞金が100万ドルとかのホームラン競争も良いだろう。だが、そこで折角の磨かれつつある実力か、あるいは絶好調(今は「非常に状態が良い」と言うようだが)が崩されては何にもならないと心配しているのだ。
という次第で、私には大谷翔平の極限に近いのかも知れない「良い状態」が、投手と打者の両面で今シーズン終了時まで維持されることを希望するのだ。ここで恐ろしいのがCOVID-19である。既にオーガスタを制覇した松山英樹が罹患している。我が国でも広島の鈴木誠也は副反応の厳しさのために何試合か欠場していた。昔から言うではないか「好事魔多し」と。大谷君、十分心得ているだろうが、健康管理だけは怠らないように。マスコミの諸君は大谷を持ち上げ過ぎないように注意すべきだ。