新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月29日 その2 兎角予想と期待は外れるものなのだ

2021-07-29 09:19:17 | コラム
オリンピックで起きていた意外な現象:

昨日までに多くの専門家、ジャーナリスト、マスコミ等々が3位以内入賞で、あわよくば金色のメダルを獲得できると予想するか期待した運動選手(「アスリート」と何の抑揚もない発音のカタカナ語で言われるとウンザリする。何時からこの言葉を公用語にすると決められたのか)で、無念にも予選落ちか、初期の段階で敗退した者が有名選手に多いという印象だ。試しに、気が付いた例を挙げていこう。

先ずは既に第1セットを落としたのを見て諦めた大坂なおみさん。私は色々のな要らざる圧力を加えられただけではなく、長期間休んでいた後のオリンピックでは致し方なかったのではないかと少し同情的に見ている。次は、昨日第2セットの10対10まで見て「これは駄目だ」と見切らざるを得なかった桃田賢斗君。「あの国の者に負けるとは」と見えていたために観戦を中止した。全く気迫が無かったし、全てがおかしかったのが残念だった。

桃田君については、偽らざる所を言えば「あの状態から良く立ち直ったが、何時まであの世界最強と称えられる状態を続けられるのか。恐らく当人が最も不安に感じていたのではないか」と、ある程度懐疑的な見方をしていたのだった。第1位の座を守る難しさは、経験して見なければ解るまいと言う。

ピンポンの張本智和も一目見て「これは駄目だ」と解って、そこから先は見なかった。石川佳純さんもいけないと解ってしまったが、最後まで見た。「オリンピックには魔物が住んでいる」などという俗な言い方がある。私は信じていない。負けるのはただ単に実力の問題であるからだ。何処まで平常心で試合に臨めるかの修行が出来ていたか否かの問題だと思う。

内村航平君は本人は最大限の努力をされて個人種目で出場した意欲には敬意を表するが、もう彼の時代は終わっていると見ていたので、予選落ちはテレビの報道で知った。瀬戸大也君は元々最も嫌っている種類の人物なので、再度の予選落ちか準決勝の敗退もニュースで知った。きつい言い方をすれば「人の道を踏み外していたような所業」を何処かで誰かが許していなかったのではと思った。

ここまでは全て個人競技種目である。団体競技では残す関心事は男女のサッカーが何処まで行ってくれるかと、野球にある。私は未だ嘗て如何なる種目でも大会でも、我が国の代表に「3位以内入賞」などを期待して見たことはない。そんなことは軽佻浮薄なマスコミにやらせておくことだ。何も期待していなければ、何かを達成してくれたときに、初めて本当の意味での実力が出たのだと解るし、賞賛したいと思わせてくれるからだ。


3,177人とは

2021-07-29 08:32:58 | コラム
冷水と熱湯を同時に浴びせられたように感じた:

言うまでもないかも知れないが、3,177人とは28日の東京都の感染者の数である。私はそう聞いただけで冷水だけではなく、熱湯も浴びせられたような衝撃を受けた。と言うのは、27日の国立国際医療研究センターでの循環器内科の定期検査と診断で、主治医の医長先生のご意見を伺って「ワクチンの2回の接種を受けたのであれば、万全の注意の態勢を整えた上でのジム通いの許可」を頂いたばかりだった。来週からは再開する心算だった。

何分にも私は3度の心筋梗塞から生還した結果でBNPの値が常に180前後であるので、この言わば慢性心不全の常態でのジム通いの危険性を、何人かのお医者様に指摘されていた。即ち、もしもCOVID-19に感染した場合には、重症化するか生命の危険性があるからだ。そこれ、止むなく昨年の4月以来ジムに行くことを控えていたのだった。それに2回目のワクチン接種から既に3週間以上も経過したので、抗体が備わっていると看做して良いからである。これは、決して感染しないという意味であることくらいは承知している。

そして、この感染の異常な爆発的拡大(テレ朝では、先ほど専門家の一人である国際医療福祉大学の松本哲也教授は「オーバーシュート」と言われたと報じていたが、今頃になって尾身茂副座長(当時)の言葉の恥ずべき誤用と真似るとは)が生じて、何人かの専門家がこの儘の状態が続けば、遠からぬ将来に5,000~8,000人に達するとの予測をしておられた。3,177人でも十分に恐怖であるのに、この数字を見せられては、来週からと予定していたジム通いを再検討せねばならないかと、考え込まされてしまった。

因みに、我が新宿区の27日までの感染者は10,865人だったのだから、既に約34万人の人口の3%が感染していたことになる。なお、世田谷区の感染者が東京の市区町村の中では最大で、既に14,896人に達していた。

既にジムに通いだしている家内によれば、館内ではそれ相応の感染予防策が取られているし、会員同士の会話も禁じられているそうだ。それを聞いても何度か生死の境を彷徨う経験しており、臆病者の私は“To be or not to be”と思案している。ここまで述べてきて、ふと“To be to be, ten made to be”という良く出来た戯れ言を思い出した。出来ることなら「飛んででも行きたい思い」だ。