新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

梅雨が梅雨ではなくなったこの時に思う事

2021-07-12 08:56:58 | コラム
梅雨とはゲリラ豪雨のことになったようだ:

ゲリラ豪雨の時代の到来か:

昨11日は天気予報が言わば「ゲリラ豪雨注意報」を出していたので、無理することもあるまいと家に籠もって、しようこと無しに適当にテレビを見ていた。すると、午後4時20分頃だっただろうか「ドカン」とも凄い音が聞こえたと思えば、窓の外に閃光が走ったのだった。何事か起きたのかと思った時に、テレビの画面が揺れ出して遂には音声も何も途絶えて「受信できません」との表示が出た。確かTBSのBSで刑事物のドラマが流れていた最中だった。BSは全局見えなくなったが、地上波は健在だった。

その時に外を見れば、歌舞伎町に建設中の48階建てになるはずのビルも、物凄い豪雨で一切何も見えない状態だった。ここ東京都では各地に災害をもたらしているゲリラ豪雨に見舞われることがなかったので、その凄まじさの実感がなかった。だが、昨日は暫くの間窓の外を見つめて「豪雨」の恐ろしさを十分に見学できた。ゲリラと呼ばれるだけのことはあって、その雨降りはそう長い時間続かなかったが「なるほど。このような雨が長時間続けば、川は氾濫し山や崖が崩れるものだ」と初めて実感したのだった。更に「梅雨とは最早シトシト降る雨のことではない」」と悟ったのだった。

このような変化が地球温暖化がもたらした異常気象の所為なのか、何か他に原因があって九州や西日本を襲っている線上降水帯が形成されるのなどは私に解る由もない。だが、どうやら確実に言えることは「21世紀の今日には、これまでの常識では推し量れない自然界における変化が、異常な速度で進行していると考えるべきになってしまった」ようだ。毎年のように西日本で異常気象による豪雨が襲来するのであれば、それに備えた手を打っておけば良いのではないかとの論もあるだろう。だが、昨年の被害に対処し切れていないうちに今年の分の豪雨が来るのでは、如何ともし難いようだ。

災害対応専門の部署の設置:

私と言うべきか、我々とすべきか判断しかねているが、ここ東京都のようにゲリラ豪雨の圏外にいて被災者を「お気の毒だ」と同情しているだけの立場にいて、何か論評するとは不遜かも知れない。だが、為政者は可能な限りの予算措置を講じて、常時災害に襲われそうな地域にはせめて学校の体育館や公民館ではない、最低限の安心・安全が確保された避難所を高地に設けて置くか、そこまで出来ない場合には、せめて仮設トイレを多数備蓄しておく等々の供えくらいは出来るのではないだろうか。

何時だったか、自衛隊の要職におられた方がテレビに登場されて「自衛隊は便利屋ではない」と言われた事があった。私は尤もだと思って承った。確かに、大規模災害発生のような緊急事態には自衛隊員の鍛え上げられた力を借りたくなるだろう。だが、私には緊急出動が「自衛する隊」の本務ではないようにしか思えない。現在はアメリカと中国の対立が先鋭化して、台湾問題が重要な課題として論議されているし、尖閣諸島の近海には連日のように中国の公船が侵入している。私は災害対策を本務か主たる任務とする自衛隊以外の組織が必要なのではないのだろうかと思うのだ。