新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

世相あれやこれや

2021-07-11 11:40:16 | コラム
雑録(Miscellaneous):

大久保通りの風景:

昨10日は午後3時半に「いくら何でもこの時間になれば33度Cの猛暑もおさまっているだろう」と期待して、大久保通りに愛飲しているドリンクを買いに出掛けていった。これはとんでもない読み違いで、高齢者になってからは如何なる暑さも感じなくなっていたとはいえ、10分も歩いたところで珍しく汗をかかされて些か疲労させられた。それほど湿度も気温も高かったと言いたいのだ。

その大久保通りに展開されていた景色は、毎度のことながら「良くもこれだけ多くのアメリカやヨーロッパ以外の外国人を集めたものだ」と感心し且つ寒心に堪えないと思う程、圧倒的多数の彼らが闊歩しているのだ。最近は特に英語を話していない(敢えてこの表現を用いるが)黒人を数多く見かけるようになった。彼らの多くはハラルフードの店に近所に屯しているのだが、恐らく区外から買い物にやって来ているのだろう。

私が何時も不思議に思っていることがある。それは「彼らにせよイスラム教の国の者にもせよ、如何なる手段で生活費を稼ぎ出して、彼らの母国よりも何倍も生活費がかかるだろう我が国で生活できているのか」という点だ。この辺りのコンビニでも「業務スーパー」でも何処でも、レジ係にも雑役にも東南アジア人と思しき連中や、韓国と思える者たちは数多く見かける。彼らは皆ある程度以上日本語を理解しているし話している。だが、日本語を操る黒人が勤務しているのを見たことはない。

ハラルフードの店多くはバングラデッシュ人かパキスタン人が店番をしているし、区の内外から買いに来るのはイスラム教徒だから、ある程度は採算が採れるのだろうと見ている。2年程前に週間貸しをする店舗にいたインド人に教えられたところでは「イスラム教徒たちには元締めがいて、やって来た者たちに店舗を借りてやった上で、イスラム横町の一角にある倉庫から品物を供給しているのだ」とのことだった。私はこの話を信じるか否かの前に、矢張り我が国は彼に食い物にされていると痛感した。

大久保通りに出て何時も思うことは「彼らは緊急事態宣言が発出されていると承知しているのだろうか」と「彼らにも住民登録があれば、国賓でワクチン接種がされるのだろうか」と「彼ら運営する飲食店に保健所の検査が入っているのだろうか」と「彼らが時短営業や酒類の提供に時間制限を要請されていると承知しているのか」等々である。彼らに衛生観念が普及しているのだろうかとも疑っている。

ベトナムフォー:
去る6日にこのイスラム横町になってしまった一角に営業しているベトナム人によるベトナム料理の店が、店頭の路上でドリアンの量り売りを始めたことを採り上げた。ところが、4日経った昨日はサトウキビの生ジュースを路上で機械で絞って1杯¥300で売っていて、多くのベトナム(なのだろう)若者が詰めかけていた。余程彼らの間での連絡網が発達しているのかと思って見ていた。でも、これは何時か採り上げた他の路地裏での理髪店と同様に違法だろう。彼らが我が国の法律を承知しているとは思えないのだ。これではまるで無法地帯だ。

オリンピックを無観客で開催:
報道によれば、観客は入れないまでもIOCやスポンサー関連の方々は観客ではないので、人数を制限して入れるとあった。仕方がないことらしい。それはそれとして、発表がされていないことがある。それは、これまでのオリンピックでは必ず観客席に自国の国旗を持った選手たちが座っていて、自国の選手の応援をしていた。IOC等々の関係者が観客ではないと規定するのだったならば、選手たちも関係者であって観客ではないという理屈が成り立つのではないのだろうか。選手と雖も試合に出る以外には、競技場には入れないということなのだろうか。

先ほど田村厚労相がフジテレビの「The Prime」で「観客を入れれば競技場に出入りする際に「密」の状態になるし、競技終了後の帰路では気持ちが高ぶって大きな騒ぎになるかも知れないので」と、無観客を正当化する説明をしていた。だが、彼は五者会議の参加者ではなかったのだから、政府の内部ではそういう理屈がまかり通っていたのかと思って聞いた。

バスケットボール代表の渡辺雄太:
彼は去る7日のハンガリーとのオリンピック前の練習試合で世界最高峰のNBA(全米バスケットボール協会)で本契約を獲得した技術と直向きさを十二分に発揮して、1人で25点も取る大活躍を見せていた。解説の元NBA選手の田臥勇太が「彼はNBAの試合でも何時も一所懸命に全力でプレーしている。そうでなければ、あの世界では生き残れない厳しさをイヤと言う程経験してきたので、日本の代表で帰ってきても、そのNBAにおける全力での働きを見せている」と指摘していた。

これは非常に良く解るし、田臥勇太の指摘には全く同感だった。渡辺雄太はWikipediaによればNCAA(全米大学体育協会)加盟の大学でバスケットボールをやっていたので、あの國の組織の中で現地人に負けない程活躍しなければ明日はないこと」を経験した上で、NBAに挑戦したのだからこそ、それがどれほど大変なのかを承知しているのだと思う。

私も何度か述べたことで「アメリカでは彼らの我々とは異なる体格と体力に基づいて全て設定・設計されているので、その中に入れば我々の体格と体力で120%活動しても、彼らの80%程度にしかならない場合があるのだ。要するに「どんなに辛くても、もう限界だ」と思っても、1年365日全力で与えられた任務を果たしているつもりでも、彼らから評価されない危険性がある」のだ。それは、頭脳明晰であるかないかという問題ではないのだ。自ら求めて飛び込んだ、全く別世界のような異なる文化の環境に適応するのが最低の課題なのだ。

しかも、アメリカに行けば、東・中部・西では時差があるし、その時差がどうのこうのなどと言っている奴は使い物にならないのである。渡辺雄太にせよ、MLBの大谷翔平にせよ、如何なる条件にも耐えて、彼ら北と南の身体能力に優れたアメリカの連中に負けないようなプレーが出来るように、365日体調を整えておくことは最低の条件である。その上で彼らに勝るとも劣らない成績を挙げねばならない世界なのだ。それだけに止まらず、言葉の問題もあるだろう。だから渡辺雄太はアメリカの大学に進学したのだろうと解釈している。