新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

外側から見た日本と日本人

2021-07-16 08:27:01 | コラム
我が国を望見してみれば:

自国の文化と文明を弁えずに外国を語るなかれ:

この見出しは嘗ての私のウエアーハウザーにおける往年の上司が指摘したことである。その上司の夫妻が共にMBAであり、息子もMBAでIntelに勤務、娘は文学博士で大学教授という典型的なアッパーミドルの一家であり、家族全員が極めて知性が高いのである。その元上司はウエアーハウザーを早期にリタイアした後で大学院大学の教授にもなった人物。私も常に上記の視点で我が国とアメリカを観察すると共に「日本及び日本人とは」を見極めようとしてきた。

以下にアメリカの紙パルプ・林産物産業界の大手2社に通算22年半も勤務した我が国に向けての輸出業務に専念してきた経験に基づいて、アメリカ式のビジネスの考え方とアメリカ人の視点から見た「日本及び日本人とは」を順序不動で述べていこうと思う。

我が国程良い国は他にはない:
私は「自分の國は外国に行ってみて、異文化と異文明を体験した上で、その経験に基づいてマジマジと見ないことには、我が国の何ものにも優る良さと優れた点は解ってこない」と固く信じている。何も外国に駐在してご覧なさいとか、アメリカのIvy Leagueのような超一流大学に留学なさいと言っている訳ではない。例えパック旅行ででも1週間でも他国を見てくるだけで、視野の広さやものの考え方は、当人は気が付かないうちに自然に変わってくるのである。

私の永年の友人である某商社マンは海外駐在の経験はもとより、輸出入の専門家として諸外国を飛び回ってきていた。その彼がしみじみと語ったことは「日本に帰ってくる度に、世界の何処にこれほど良い国があるかと再認識する」と語っていた。1972年6月までの日本の会社の頃から現在までを通算すれば、100回は海外に出ていたろう私は、全く同感だった。と言って見ても、万人の同意を得られるかどうか解らないが、永年慣れ親しんできた自国であるという他に、海外では望み得ない優れた点が数々あるのだ。簡単な例を挙げれば「我が国程治安が安定している國があるか」ということだ。

この商社マンと全く同じ事を2010年の1月1日にカリフォルニア州のロウズボウルスタジアムで、シテイバンクで日本に駐在しているという日系アメリカ人からも聞いた。彼は「日本駐在の勤務から離れたくない。日本程治安が安定していて夜間に女性が独り歩きしても何の危険もない事などは、アメリカにいては想像も出来ないし、人々は優しく親切で、食べ物が美味くて、住宅等の環境が良く、公共交通機関が発達している国はない。とてもアメリカ勤務に戻ってきたいとは思わない」と言って聞かせてくれた。

余談だが、彼はかの「ベニハナ・オブ・トウキョウ」の創立者の一人のお孫さんで、その一家の方針で家族間では日本語を話すこととして育ったということだった。そうとは知らずにこの日本礼賛論までは英語だったが「実は、此れ此れ然々で日本語は出来るので」と言い出して、そこから後は日本語で語り合っていた。このようにアメリカに生まれ育って大学を経て銀行勤務をしている若手が日本に駐在してみて、その良さが解ったという話を聞けたのは、極めて印象深かったし、我が意を強くしたのだった。

この二つの経験談からしても、私は「自国と自国の文化を知らずして外国を語るなかれ」と主張するのである。そこには、多少は外国語の知識と能力が必要になるだろうが、百聞は一見にしかずで、外国に行ってその気になって異文化を見聞するか体験してみれば、我が国が如何に優れているかが自ずと見えてくるのだ。故に、私は我が国の一部の報道機関に見られるような、自国を貶め且つ自虐的なものの見方を排除するのだ。彼らは数多くの駐在員まで派遣していて、そのくらいのことが未だに解らないのは天下の奇観であると思う。

支配階層の存在:
我が国にはアメリカには厳然として存在する、生まれながらにして支配階層として人と組織の上に立つべく生まれてきた階層は我が国には存在していないようだと、彼らの中で勤務していて痛感した。我が国ではごく当たり前のように「アメリカは格差社会であり機会均等ではない」などと批判めいたことを言う者たちがいる。私はこの批判は必ずしも当たっていないと思っている。それは、彼らの國では我が国のようにどのような家柄に生まれても、何処の誰でも、懸命に努力さえすれば、学校での勉強の成績が優れていれば、大臣にでも大企業の社長にも昇進できることはあり得ないのだ。

現に菅義偉首相は秋田の富裕な農家に生まれ一念発起して上京され、中小企業に勤務された後に大学に進学され、市議会と県会議員を経て国会議員にも当選されたとの経歴だ。そういう機会があるということは、我が国はアメリカよりも遙かに機会均等であり、寧ろ悪平等に近いほど誰にでも平等であると言えると思う。

彼らのアッパーミドルから上の家庭と家族と同族の中にある「我々はこのような階層に生まれた選ばれし者であるである」との意識の強烈さと、現実に支配している者たちが政治と経済の分野に圧倒的に多いことは、我が国にはない現象だと痛感している。一方では「職業」を含めて軍人たちは「デモシカ」の選択である点は否定できないことも、アメリカ人たちから散々聞かされてきた。

我が国では氏素性を問わず、一所懸命に勉強すれば東京大学か他の旧帝大に進学できて、(今や落日気味との非難もあるが)中央官庁のスピードトラックに乗ることが出来て、末は事務次官か財界人か、はたまた政治家かという道が開けるのだ。だが、アメリかでは労働者階層からは社員にも滅多に成り上がれない仕組みになっていて、そういう家庭か家族に産まれたところで、人生が決まってしまうのだ。一方の我が国では「誰でも努力次第で成り上がれるため」に、何故あれほど品性下劣なのかと嘆かせられるような者がと思う輩が、支配階層にも現れることがあるのだ。

以下次号