岩清水梓は「相手の前でパスを回しているだけ」と厳しく言った:
昨日の女子サッカーの準々決勝でスウエーデンに負けてしまった試合は、残念だったなどと言うよりも、不満ばかりが残ったような不出来だったと言いたい。解りやすく言えば「弱いから負けたのだ」という簡単な話だったのが大いに遺憾だった。先日も指摘したように、あのW杯を制覇した頃のテイームと較べれば、現在の「なでしこ」とやらは数段格下の力しかないと断じる。その無残に(だと私は見ていたが)負けた要因を私なりに分析してみよう。
第一が解説をしていた岩清水梓が堪えきれない声音で言い切った「ボールの保有率が上がってきたのは、スウエーデンのデイフェンスの前で自分たちの間だけでパスを回しているので」と斬って捨てた消極的さであり、弱気なサッカー。この傾向は何も女子だけのことではなく、我が国のサッカー全般に通じていること。昨夜もデイフェンス・バック陣間で横から横の無意味なパス交換を続けている間に、前線にいる者たちが裏を取るとか、空いている場所を見つけて走り込むような動きが全くなかったので、保有率が上がったという情けない次第だった。
見ている方をイライラさせるのはこれだけではないのだ。詳しく延べておくと「男子にも通じる問題で、前線に縦パスが通って形が出来たかと思えば、受けた者が後ろからデイフェンスが迫ってくると、それをフェイントでもかけて抜こうというやる気を先ず見せる事無く、躊躇せずに後方に戻してしまうこと」だ。現代の技術水準が我々の頃よりも飛躍的に向上したサッカーでは「キープして抜こうなどと無謀なことを考えずに後ろに戻して危機を未然に防げ」とでも教えているのでは疑いたくなる。第一に、フェイントのかけ方など教えられていないかとの雰囲気さえ感じる。
基本技が固まっていないことも不満で不安だった。この点は男子にも通じる欠陥だと私は見ている。兎に角、「ストッピング」と「トラッピング」が不正確で、球が足下に綺麗におさまらないのだ。だから相手の素早い寄せに遭うと奪われてしまうか、後方へのパスしか逃げ道がなくなるのだ。次は「反対の足が出てくること」を挙げたい。これはサッカーを経験しておられない方には「何の事」となってしまう話だろうが、暫くお付き合い願いたい。
それは主にFWに適用される基本技なので「右から来たパス乃至はクロス(センタリング)は右足で蹴ってシュートを狙い、左側から来れば左足で蹴る」というその昔に徹底的の叩き込まれた大原則なのだ。だが、これは今や全世界の強豪国でも全く無視されている。彼らの優れた個人技では今にも自分の前を通過しそうな速い球を、左側にいる者が綺麗にタイミングを合わせて左足で蹴ってみせるのだ。よく考えて貰いことは、自分の前を通過しそうな球を右足で蹴らずに、あわや通過しそうになる寸前に、体の前に左足を出して蹴るという軽業なのだ。
昨夜の試合で貴重な1点となった田中美南が、右側から来た鋭いセンタリングを決めたのは何と左足だった。これを基本の無視と見るか凄い技術の表れと見るかは、議論が分かれるも知れない。私は俗に言う「結果オーライ」だとは思うが、右足で蹴る方が楽なのに、何故左足を出すような教え方をしてあったのかと不思議に感じている。
この基本技無視の基となっていると疑うことがある。それは、私が甲子園の野球を止めろと主張するのと同じ理由である。即ち、トーナメント形式の全国大会を勝ち抜くために「それ専用の小細工を徹底して教えようとして、大学なりプロのリーグに行って大成するための体力の強化(例えばウエイトトレーニング)や面白くも何ともない基本技を繰り返し訓練することを等閑にしているので、トーナメントで勝つための小細工ばかりが身に付いて、大局的に試合を見る戦術眼などが養われない恨みがあるということ。
この基本をしっかり鍛えられていないのは、何度も指摘したことで代表テイームの監督やコーチの責任ではない。小・中校の基本を覚えるときの指導者の常識の問題であるのだから。サッカーの場合にはキチンと教えてくれるのはJリーグの下部組織だけであり、有望な子供たちは皆がそこで鍛えられると聞くが、それにしては基本が出来ていないのが気懸かりだ。何度も言ったが、A代表にまで上がってきた者たちの基本技を直そうと思っても、手遅れなのだと思う。
昨日も顕著に出ていた問題点は「パスに適切なスピードを付けていないので、容易にインターセプション(パスカットとアナウンサーが言うのは誤りだ)の憂き目に遭ってしまうこと」だった。また、男子でも同じだが、パスが足下に入るまで待っているので、直ぐにデイフェンス陣に詰め寄られてしまうのも問題だ。一歩でも寄っておけば余裕が出るのだが、それが出来ていないので得意の後方への責任回避のパスになってしまうのだと見ていた。
高倉麻子監督にも「???」としたい点がある。それは、先ずあの消極的な責任回避のパス回しを改善させない指導法だ。次は選手起用に見せる迷い。昨夜は三浦がイエローカードを貰った時点で交代させるべきだと私には閃いた。その思い切りがなかったために、あのVARで「ハンド」と判定された致命的なPKになってしまった。その後で引っ込めたのでは遅い。また、2点もリードしているスウエーデンが続々と選手交代をして新鮮な戦力を投入するのに、高倉監督は結末が見えてから交替をする手遅れの判断。「あれでは駄目だ」と怒鳴っていた。
このように問題点ばかりを指摘してくれば「なでしこ」とやらには全く良いところがなかったかのようだ。だが、そうとばかりは言えない。仮令消極的であっても、あの強敵スウエーデンを相手にして細かくパスを繋いで攻め上がって見せたし、右側からの速攻で綺麗な動きの中で得点をしていたのは立派だった。結論をいえば、「実力の差で負けた」となるのだと思う。実力を向上させるためには、身体能力の向上させて体格の差を補うことだ。貴女たちの足は急には長くならないのだから。
「善戦健闘したが結果が出なかったのは残念だった、相手が一枚上で力を出させてくれなかったのだ」と言ってを終わる。
昨日の女子サッカーの準々決勝でスウエーデンに負けてしまった試合は、残念だったなどと言うよりも、不満ばかりが残ったような不出来だったと言いたい。解りやすく言えば「弱いから負けたのだ」という簡単な話だったのが大いに遺憾だった。先日も指摘したように、あのW杯を制覇した頃のテイームと較べれば、現在の「なでしこ」とやらは数段格下の力しかないと断じる。その無残に(だと私は見ていたが)負けた要因を私なりに分析してみよう。
第一が解説をしていた岩清水梓が堪えきれない声音で言い切った「ボールの保有率が上がってきたのは、スウエーデンのデイフェンスの前で自分たちの間だけでパスを回しているので」と斬って捨てた消極的さであり、弱気なサッカー。この傾向は何も女子だけのことではなく、我が国のサッカー全般に通じていること。昨夜もデイフェンス・バック陣間で横から横の無意味なパス交換を続けている間に、前線にいる者たちが裏を取るとか、空いている場所を見つけて走り込むような動きが全くなかったので、保有率が上がったという情けない次第だった。
見ている方をイライラさせるのはこれだけではないのだ。詳しく延べておくと「男子にも通じる問題で、前線に縦パスが通って形が出来たかと思えば、受けた者が後ろからデイフェンスが迫ってくると、それをフェイントでもかけて抜こうというやる気を先ず見せる事無く、躊躇せずに後方に戻してしまうこと」だ。現代の技術水準が我々の頃よりも飛躍的に向上したサッカーでは「キープして抜こうなどと無謀なことを考えずに後ろに戻して危機を未然に防げ」とでも教えているのでは疑いたくなる。第一に、フェイントのかけ方など教えられていないかとの雰囲気さえ感じる。
基本技が固まっていないことも不満で不安だった。この点は男子にも通じる欠陥だと私は見ている。兎に角、「ストッピング」と「トラッピング」が不正確で、球が足下に綺麗におさまらないのだ。だから相手の素早い寄せに遭うと奪われてしまうか、後方へのパスしか逃げ道がなくなるのだ。次は「反対の足が出てくること」を挙げたい。これはサッカーを経験しておられない方には「何の事」となってしまう話だろうが、暫くお付き合い願いたい。
それは主にFWに適用される基本技なので「右から来たパス乃至はクロス(センタリング)は右足で蹴ってシュートを狙い、左側から来れば左足で蹴る」というその昔に徹底的の叩き込まれた大原則なのだ。だが、これは今や全世界の強豪国でも全く無視されている。彼らの優れた個人技では今にも自分の前を通過しそうな速い球を、左側にいる者が綺麗にタイミングを合わせて左足で蹴ってみせるのだ。よく考えて貰いことは、自分の前を通過しそうな球を右足で蹴らずに、あわや通過しそうになる寸前に、体の前に左足を出して蹴るという軽業なのだ。
昨夜の試合で貴重な1点となった田中美南が、右側から来た鋭いセンタリングを決めたのは何と左足だった。これを基本の無視と見るか凄い技術の表れと見るかは、議論が分かれるも知れない。私は俗に言う「結果オーライ」だとは思うが、右足で蹴る方が楽なのに、何故左足を出すような教え方をしてあったのかと不思議に感じている。
この基本技無視の基となっていると疑うことがある。それは、私が甲子園の野球を止めろと主張するのと同じ理由である。即ち、トーナメント形式の全国大会を勝ち抜くために「それ専用の小細工を徹底して教えようとして、大学なりプロのリーグに行って大成するための体力の強化(例えばウエイトトレーニング)や面白くも何ともない基本技を繰り返し訓練することを等閑にしているので、トーナメントで勝つための小細工ばかりが身に付いて、大局的に試合を見る戦術眼などが養われない恨みがあるということ。
この基本をしっかり鍛えられていないのは、何度も指摘したことで代表テイームの監督やコーチの責任ではない。小・中校の基本を覚えるときの指導者の常識の問題であるのだから。サッカーの場合にはキチンと教えてくれるのはJリーグの下部組織だけであり、有望な子供たちは皆がそこで鍛えられると聞くが、それにしては基本が出来ていないのが気懸かりだ。何度も言ったが、A代表にまで上がってきた者たちの基本技を直そうと思っても、手遅れなのだと思う。
昨日も顕著に出ていた問題点は「パスに適切なスピードを付けていないので、容易にインターセプション(パスカットとアナウンサーが言うのは誤りだ)の憂き目に遭ってしまうこと」だった。また、男子でも同じだが、パスが足下に入るまで待っているので、直ぐにデイフェンス陣に詰め寄られてしまうのも問題だ。一歩でも寄っておけば余裕が出るのだが、それが出来ていないので得意の後方への責任回避のパスになってしまうのだと見ていた。
高倉麻子監督にも「???」としたい点がある。それは、先ずあの消極的な責任回避のパス回しを改善させない指導法だ。次は選手起用に見せる迷い。昨夜は三浦がイエローカードを貰った時点で交代させるべきだと私には閃いた。その思い切りがなかったために、あのVARで「ハンド」と判定された致命的なPKになってしまった。その後で引っ込めたのでは遅い。また、2点もリードしているスウエーデンが続々と選手交代をして新鮮な戦力を投入するのに、高倉監督は結末が見えてから交替をする手遅れの判断。「あれでは駄目だ」と怒鳴っていた。
このように問題点ばかりを指摘してくれば「なでしこ」とやらには全く良いところがなかったかのようだ。だが、そうとばかりは言えない。仮令消極的であっても、あの強敵スウエーデンを相手にして細かくパスを繋いで攻め上がって見せたし、右側からの速攻で綺麗な動きの中で得点をしていたのは立派だった。結論をいえば、「実力の差で負けた」となるのだと思う。実力を向上させるためには、身体能力の向上させて体格の差を補うことだ。貴女たちの足は急には長くならないのだから。
「善戦健闘したが結果が出なかったのは残念だった、相手が一枚上で力を出させてくれなかったのだ」と言ってを終わる。