新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

全く私的な回顧談ですが

2023-02-16 07:58:25 | コラム
まさか自分が90歳になるとは予測出来ていなかった:

戸籍上で90歳となる1月22日が近付いてきた頃には、自分でも驚いたほど緊張していた。それは「考えてもいなかった90歳にまでなる日が近くなった以上、何とか無事にその日を迎えられると良いのだが」と考えただけでも緊張してしまうのだったから。しかも、3回もの心筋梗塞という既往症と、BNPの数値が常に200以上の異常値を示す慢性心不全に加えて、11月には前立腺ガンの告知を受けて治療が開始されていたのだから。

その1月22日を何とか乗り越えて一安心だったので、その機会に2023年が私の90年の人生では、どのような年になっていたかを計算してみた。先ずは大学を終えて何とか就職出来た1955年から数えて68年目になっていた。結婚してからは60年になっていた。非常に苦労してから17年半育てて頂いた日本の会社を辞めてアメリカの大手紙パルプメーカーのMeadに移ってから51年にもなっていた。

まさか2回も会社を変わるとは夢にも思っていなかったウエアーハウザーを引退してから29年も経っていた。引退後には多くの方々のご好意で色々と仕事をさせて頂けたが、2度目の心筋梗塞の後で最後の仕事を辞めてから10年が過ぎていた。またその最後の仕事を引き受けた際に止むなくPCを導入してからは20年も経過していた。これは何と「70歳の手習い」だったのだ。因みに、スマートフォンに切り替えたのは88年目だった。

少し後戻りして、ある日突然業界の専門出版社の編集長さんに持ちかけられて、それ以前の人生で一度も原稿など書いた経験がなかったにも拘わらず、「物書き」の真似事を開始してからは33年目になっていた。この時は勿論、原稿用紙のマス目に手書きだったので、大いに苦労した。1990年だった。そこから95年にワープロに進歩し、2003年にパーソナルコンピュータとなった次第だ。長足の進歩である。

振り返ってみれば、1955年に就職した頃には社内の業務日誌を書くときには、今でもそんな紙が市場に残っているかと疑いたくなる「薄模造紙」という紙のリポート用紙2枚の間に、複写が取れるようにカーボン紙を挟んで書いていたのだった。カーボン紙を挟むと書き損なった場合には訂正出来ないので、最初から書き直しせねばならず、新入社員は苦労したものだった。現在「カーボン紙」と言っても、何のことか解らない人が多いのではないだろうか。

ここまで振り返ってみて、90歳に到達するまではこのような時代の変化と進歩に追い付くだけでも大変なのだったと、つくづく感じている次第だ。負け惜しみ的な言い草になるかも知れない「長生きはしてみるものだ」ということ。思い起こせば、自分の住み家に自分の番号を持った電話が引けたのは今から56年も前の34歳の時だった。携帯電話という文明の利器を買わざるを得なくなったのは引退後の26年前の1997年だった。

その私が88歳になってスマートフォンに切り替えれば、時代は何かと言えば「手続きはLINEから友達登録をして云々」とテレビでシレッとして言う時代になっていた。それだけでは終わらずに「強盗団がTELEGRAMを使って証拠を残さないように」などというニュースなどは、何の事か解らないので困らせられている90歳なのである。