財界四天王って何の事:
先週末に取り上げたこの去りし昭和の「財界四天王」の件は怖れていた通りの結果でブログでは見事に滑ったようで、アクセスは伸びなかった。それはそうだと思う、何分にも半世紀以上もの昔の話なのだから。
そこでという訳でもなく、70歳代と60歳代の元は会社勤めの方に「財界四天王」のことを伺って見た。矢張り「知らなかった」と言われてしまった。どうやら残念ながら「温故知新」への貢献すらできていなかったようだった。
私としては別に誇りに思っている訳でもないが、入社2年目頃の若手の末尾の社員の頃に、水野成夫社長には2度もエレベーターを乗り合わせたし、社内の理髪室で運悪く鉢合わせになって「何だ。青白い若いのがいるな」と声をかけられたこともあった。緊張で声も出なかった記憶がある。
ここで訂正しておきたいことがある。それは、先日の四天王からは岩佐凱実氏ではなくて、日本開発銀行総裁だった小林中氏(コバヤシアタルと読む)にすることだ。Wikipediaではこうなっているが、私の記憶では「水野、岩佐、長野、桜田」の4社長か、「水野氏、小林氏、長野氏、桜田氏」とする説があったとなっているのだが前者を採っていた。
私の記憶の根拠は、3社長・1頭取で、「紙パルプ」、「金融」、「製鉄」、「紡績」が当時の日本経済を牽引していたと感じ取っていたことにある。尤も、水野さんは国策から産経新聞の経営に転じていかれ、言論界でも活躍されたのだった。
と、このように語っても、矢張り高齢者の回顧談になってしまうのか。今日の財界から四天王に擬せられる実力者を挙げるとしたら何方と言うか、どの業種からになるだろう。