新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「オフレコ」(=off the record)だったそうじゃないか

2023-02-07 08:46:51 | コラム
荒井勝喜前総理秘書官の発言に思う:

このマスコミが大事件というか大失言として報道し、荒井秘書官が辞任した件を、昨日ジムから戻って点けたテレビがTBSになっていて、恵某が司会する「ひるおび」が出てきて論じていた。敢えて言うが、私は恵の何とも言いようがない軽さが好みではないので、この番組は見ないようにしているのだが。

そこには、この荒井前秘書官のLGBTQについての発言を大きく取り上げて報道した、毎日新聞政治部長の佐藤千矢子氏が硬い表情というのか緊張感に溢れたというか知らないが、怖い顔で座っていた。隣には田崎史郎氏の顔が見えた。「何だ。系列会社の人を呼んだのか」と思って見ていた。

ところが、話題は「何故、毎日新聞がオフレコ前提の10人ほどでの荒井氏を囲んでの会見の中で、問題とした発言を公開したのか」の経緯乃至は決断に至った事情を佐藤氏が語っていた。それまでの報道では、あの発言が「オフレコ」だったとの注釈はついていなかったと思う。それを聞いて、私でさえ「そんな事が許されるのか」と感じた。

Wikipediaによれば「オフレコ」とは「談話の内容を非公開とすることを発言者と取材者全員が事前に約した上で、本音を話してもらうことである。したがって、双方が事前に約束することなく発言者が発言し、発言後に「オフレコ」とマスコミ側へ依頼又は脅迫しても、オフレコの条件を満たさない」とあった。だが、佐藤氏は「その決まりを破ることを辞さないと合議で決めた」と堂々と語られた。当然のことをたまでだという印象だった。

佐藤氏の説明では「オフレコの取材をした記者が非常に宜しくない発言だと受け止めて、上司に公開すべきではないか」と報告したという事だった。それを政治部長他の幹部が急遽議論した結果で公開と決め、その旨を荒井氏に伝えるという手順を踏んで報道したと言うのだった。要するに、仮令オフレコの場での発言であっても看過出来ない重大な問題だと判断したという事。

田崎氏が何と言うかと興味を以て見ていたが、流石に鼻白んだ表情で佐藤氏を一瞥しただけで、極めてヤンワリと批判めいたことを言っただけで、穏やかに過ごしてしまった。私が田崎氏の心中を察すれば「この場で毎日新聞を責めても(攻めても)何ら効果が挙がらないだろうし、自分自身が荒井氏を支持した不届き者にされかねないと懸念されたのではなかろうか」となる。

私は他のテレビ局や新聞社が「オフレコ破り」だったことを取り上げなかったのは、私が勝手に読んだ田崎氏の心中と同じようなものだと思う。だが、その辺りに我が国の報道機関の程度が現れているのだと考える事にした。

私がこの他に問題にしたいことがある。それは、佐藤千矢子政治部長が主張された「悪い発言は悪いのだから、仮令オフレコであっても公開すると断固として決めた、女性独得の正義感と道徳観にある」と考えている。解り易くするつもりで言えば、嘗て社会党の土井たか子氏が言われた「ダメなものはダメ」と同じで、「LGBTQを悪し様に言うことを許すべきではない」との固い正義感と道徳観の信念の下に「公開」を決めた潔癖さが怖いということ。

私は女性についてはマスコミ風に言う「つきあっている」というような美しい間柄になった経験がない。しかし、4歳で父を失い厳しい母に育てられ、戦後間もなくからはGHQの秘書の方に徹底した“ladies first“教育を施されて育った。その上に1972年からは有能な秘書さんと組ませ頂いて仕事進める仕組みになっているアメリカの会社に転進したのだから、女性が如何なる点で、間抜けで愚鈍な男共よりも遙かに優れているかを20年以上も経験していた。

その間にイヤと言うほど学び得たことの一つが、上記の「正義感と道徳観に優れている」という点だった。彼女らは我々男のように何かを怖れて取引先と妥協するとか、難しい局面になれば「足して二で割る」が如き落とし所を探るとか、ここは先方様の顔を立てて、というような自らの信念を貫かないような生ぬるさを絶対と言って良いほど許さないのだ。優れた秘書さんたちはそういう思想と信念に基づいて、ボスどもを指揮し、鼓舞するのだ。

その例として敢えて挙げておくと、我が東京事務所に非常に厳しい姿勢でボスに接している秘書さんがいた。そのボスは全マネージャーが自己紹介をする場面で(日本語で、だったが)「○○さんに下でマネージャーを務めているXXです」と言い出して、全員が爆笑したことがあった。かえって解り難くしたかも知れないが、ボスと秘書とはそういうお互いに助け合う間柄が理想的なのだ。

私は以前に「女性の活用法」として「その人の能力が高いからと言って、無闇矢鱈に管理職や大きな組織の指導者に起用するのではなく、適性をチャンと見抜いて適材適所で起用すべきだ」と述べたことがあった。要点は「その優れた女性が、男性の間が抜けたところを適宜適切に補っていく補完の機能を発揮できる秘書的な仕事につけるか、全体を指揮する指導者向いているかを見抜いて起用すべきである」なのだ。

これ以外に忘れてはならないことがある。それは「女性には男性のような妥協するような物の考え方はなく、飽くまでも正義感と道徳観の上に立っていること」なのである。「ダメなものダメ」であり、「悪いことを言う者は許すべきではない」となっていくから、佐藤千矢子氏のように固い思念の下に「公開」と決めるのである。良い事をする前には「オフレコ」などはあって無きが如くになって行くのだ。

私がウエアーハウザージャパンを引退するまでの12年間に本当にお世話になった秘書さんがいた。いざ引退するとなったら、他の部門の秘書さんが「貴方はこれから先に彼女なくして生活が出来ますのか」と言いに来たほど、至らざるボスは彼女の掌の上で踊っていただけだった。だが、私と彼女の間の約束事は「貴女は得意先に何を要求されても判断業務はしないで結構。何故ならば貴女はその分の給与を貰っていないのだから」だった。

解り易くしたつもりで言い直せば「外向けの交渉や話し合いは全て私の責任で遂行する。貴女は飽くまでも内勤で私の能力の及ばない内部での管理の仕事をしていて下さい」だったのだ。彼女は私の海外出張の間などには十分に営業面でも能力を発揮していた。だから、私の後任に起用したらどうかという声もあった。だが、私は「人には向き・不向きがある」と言って否定した。

言い換えれば「女性独得の正義感、道徳観に加えるに勤勉さと記憶力等々の要素を如何に判断するかである」のだ。非常に微妙なことなので表現が難いのだが、私には女性が間違いなくこなしてしまう同じ作業を間違いなく続ける事務処理能力が完全に欠如していたので、秘書さんに全面的に頼り切っていたし、それで助けられていた。

私は毎日新聞社の女性の優れた正義感の使い方は、あれで良かったのかなと思っている。