新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月6日 その2 言うべきじゃないかも知れないが

2023-05-06 09:24:40 | コラム
サッカー出身者としては不謹慎だが

昨日のヤクルト対DeNAの野球を見ていて、残念だが「矢張りサッカーは見ていて面白くない。特にJリーグの試合は」と改めて言いたくなった。UK系の球技はやっている方には仮令難しくても楽しさは充分にあるのだが、見ている方に面白いと思わせるのはかなり困難なようなのである。

「何を言うか。あのW杯での我が代表の世界のランキング上位国を2国も倒した健闘ぶりは素晴らしかったではないか」と言われるだろう。だが、あれはマスコミ風に言えば「下剋上」の快感を存分に味あせてもらった感動が大きかったのだと思う。三苫の最後まで諦めないで蹴り返した真剣さを堪能したのではないか。

そこで野球である。昨日は絶好調と言われるDeNAに対して、村上宗隆の不振が象徴するかのような弱いヤクルトが何処まで抵抗するかに大いに興味があった。ところが確かヤクルトが1点先行したまでで、あの能登半島の地震である。各局がこのニュースだけになったのは当然だろう。当方は途中で気が付いてスマートフォンを駆使して!途中経過を見ていた。矢張り、弱い方が大量にリードされていた。

何時頃だったか記憶もないが、 点けっ放しにしてあったNHKのBSが再び野球を見せてくれた。9対5でDeNAがリードして8回裏だった。そこに慌てて選手名鑑を見た濱田が3ランホームランを打って1点差に追い上げた。だが、反撃もそこまでで村上が三振して攻撃が終わった。

そこで、ふと閃いたのだが「9回の裏はサンタナ、中村、オスナという打順なので、誰か一人がホームランを打てれば、少なくとも同点には」だった。DeNAが逃げ切りに山崎康晃を出してくるのは明らかだった。だが、サンタナも中村も凡退。そこで冗談のように「オスナが出塁して時々綺麗なスゥイングでホームランを打つ8番打者の長岡秀樹がホームランを打って、10対9のサヨナラゲームにしたら面白いな」なんてないだろうなと思っていた。

この試合の解説は元はといえばダイエイホークスだった井口資仁だった。彼は今をときめく青山学院大学の出身という当時としては珍しい経歴。井口は神宮球場では風向き次第でホームランが出やすいので、投手は要注意だったし、選手たちはそこが狙い目だったと指摘していた。そして確か当日の11本目になるホームランを長岡が本当に打ってしまったのだった。彼はヒーローインタビューで「風のお陰とベンチでも言われ、誰も褒めてくれなかった」と回顧。

野球というアメリカ系の球技では、このような漫画の筋書きでしかないようなことが起きるのである。その意外性、面白さ、興奮させられ方、スリル、そういう風になりそうな性質の競技である点は、UK系のサッカーには望めないのである。アナウンサーによれば、やっと昨年からレギュラーのポジションが取れたばかりの長岡には、プロ4年目で10本目のホームランだったそうだ。その10本目が、如何に風があったとは言え、あの局面で出るのが野球の醍醐味か。

サッカーではどんなに懸命に走っても、蹴っても、一気に2点入って逆転サヨナラとはなり得ないのである。本当かどうかは定かではないが「世界の競技の中で最も難しいのがテニスであり、2番目にサッカーが来る」と聞いたことがある。「それでは、野球は難しくないのか」との声が聞こえそうだ。

話は変わるが、高校野球では常に「勝利至上主義」が批判され、指導者たちが非難されている。だが、私がサッカーをやっていた湘南中学(現高校)では勝利至上主義どころか「全国制覇」が至上の目標で、神奈川県予選などは眼中になく、国体の決勝戦で当たるのが広島師範附属高校と決めて、そこだけを念頭に置いた練習をしていたし、関東の協会からも期待され、特別に指導もされていた。

そういう環境下で、不肖私は監督に「お前は全国制覇を目指す集団には不向きだ。精々リクリエーションとしてサッカーを楽しむようなティームがよいところだ」と酷評されたが、一軍の一人として認められていた。

後に、40歳を過ぎてから当時の仲間だった故近藤平八郎君に誘われて「藤沢四十雀」に参加して、サッカー経験がないような人たちと一緒になって「リクリエーション」として、長いこと縁が切れていたサッカーを再びやるようになって初めて、監督に言われたことが解るようになった。それは「勝つ為」や「見せる為」にサッカーをやるのではなく、自分の好みとしてボールを蹴ることは本当に楽しかったということ。

しかも、困ったことに「下手なサッカーはとても見ていられない」のだが、野球は「どんな、草野球でも見ていれば面白いし、それなりに楽しめる」のだ。ましてや、昨日のよう不調のどん底にあるようなヤクルトでも、村上がいない場面でも、画に描いたような逆転サヨナラができるのだ。だが、この辺りが、私が言う「アメリカ系の球技はモメンタムの競技で、何時流れを失うかの読みが非常に困難であること」を示していると思う。でも、あの試合は面白かった。


一寸違うんじゃないのかな

2023-05-06 07:35:13 | コラム
産経新聞の社説には「首相は橋渡し役をやり抜け」とあったが:

ご尤もだとは思って読んだが「一寸違うんじゃないかな」と感じていた。岸田さんは段々に「如何にも一国の総理大臣の顔付きになってきたな」と思う人も増えただろうと思わせるようになった。結構なことだと言えるかもしれないが、A型の批判派から見れば「違和感だよね」なのだ。

先日は「憲法改正が焦眉の急」だったのじゃないかと批判したが、外交に熱意を示されるのも勿論良いことだとは思う。だが、それが現状を考えたときに最善の策かなと言いたくもなってしまう。拉致被害者家族の方々はアメリカに行かれて上院議員に「被害者解放にご援助を」と依頼された。これも尤もだとは思うが、願い出る相手が違うように思えてならない。岸田文雄さんじゃないのかなと思うのは誤りか?この案件は何とかすると公約されてはいなかったか?

故安倍晋三元総理があれほどの外交面での手腕を発揮され、見当違いだった事が多かったアメリカ大統領を何とかされたのは凄かった。だからといって岸田さんがその向こうを張ろうとするかの如き動きをされる時期ではないと思うのは間違いなのかなと、批判派は自信がなくなってきた。

順序不同で挙げていけば「円安対策」(=貿易赤字縮小)、「賃金引き上げ」、「物価高の是正」、「脱炭素化」、「エネルギーコスト引き下げ」(=電力不足解消)、「内閣改造」(≠解散)、「AI化の急発展対策」、「少子化対策」等々が浮かんでくる。そこに昨夜の地震である。それでも次は訪韓だそうだ。岸田さんは「やるべき事全てを一時にやろう」とされて、優先順位をつけることをお忘れのように批判するのは見当違いか?

COVIDが格付けを8日から変えるのだが、テドロス事務局長でさえ「COVIDがなくなった訳ではない。警戒怠りなきように」と言っていた。岸田さんは「マスク着用は各個人の判断に任せる」とだけしか言われなかった。自転車乗りの無法者たちに向かっても「ヘルメットは努力義務」と言われた。デタラメ運転による被害の危険に曝されているのは我々罪なき歩行者であるとはご存じないようだ。

以前に岸田総理の片腕というか知恵袋の如くに報じられた木原誠二副官房長官を取り上げたが、側近がしっかりしていればこんな批判めいたことを言わずに済むのではないかなと思っている。