テレビ局が「だらしがなかった」為だ:
私がジャニーズ事務所を嫌う最大の理由は故大宅壮一氏が「一億総白痴化」と言われて何十年経ったか知らないが、その青少年を白痴化する運動の最先端に立っていたのがこの組織だと認識しているからだ。日系米人だという喜多川が我が国の芸人の世界に持ちもんだ芸の多くは「アメリカ社会の最下層にある者たちが生業としていた種類で、およそ我が社にいるような人たちの家庭では相手にしているという話など聞いた事もなった」のだ。だが、日本の芸人の世界では誰もそうだったとは知らなかったようだ。
昨25日の「報道1930」で流したBBCのアザー記者の音声ではJohnnyが「ジョニー」と聞こえたので一安心だった。不幸にして私の周囲に数多くおられたJohnさんたちでJohnnyをニックネームに使っていた人がいなかったので、アメリカ式にすると「ジャニー」になるとは不勉強で知らなかった。「ジャニー」とはjourneyの旅行しか知らなかったので。
以前から「ジャニーズを蛇蝎の如きに嫌っている」と述べてきていた。それは何時だったか記憶もないほど昔に、週刊産経だったがジャニー喜多川だったかの異常な「性癖」を取り上げて報じたし、その後で週刊文春も記事にした。「嫌らしい事をする奴がいるものだ」程度の受け止め方で、それよりもこの事務所が送り出す美少年風の餓鬼どもとその成れの果てが、ミーハー族に馬鹿受けして、頑是無き子供たちを無責任に物思わざるミーハー予備軍に仕立て上げる事の方が害毒だと認識していた。
私はあの集団を言わば「男の宝塚」ではないかという認識ではあったが、男子ばかりというのは喜多川なる日系米人の性癖のためであるとまでは考えが及んでいなかった。喜多川は珍妙なというか常識から逸脱した衣装を着せ、大勢で跳んだり跳ねたりして「口パク」との噂だがただ合唱しているだけの芸無しザルを各方面に送り出して人気をあおり、テレビや映画演劇界でも餓鬼どもを重用せざるを得ないように追い込んだのだった。私が多くを説明する必要はないだろうが、ジャニーズは巨大な圧力団体に形遂げたのだった。
「報道1930」はそこまでに至った経過を詳しく、所謂専門家を登場させて振り返ってくれた。松原の反省点は「過去に週刊誌等では報じられた喜多川の癖の件を彼らJNNも含めてテレビと一部の新聞を除いては報道しなかった事で、その点に取材を重ねた外国のBBCにあそこまでやられた辺り」だった。率直だと思って聞いた。
私はあの事務所を粗略に扱えないようにしてしまったのは、自分たちだという忸怩たる思いがあるかどうか知らないが、テレビ局という組織の程度の低さと「ミーハー層を掴んでいれば良いのだ」という人を小馬鹿にしたような番組作りの欠陥をモロに衝いたのがBBCだと思っている。言うまでもない事だろうが、ジャニーズ事務所に逆らうと低俗な番組ができなくなって、そういう番組を待っている視聴者に見放されるからのようだ。私も彼らにとって対象となっていない階層にあるようだ。
私は故なくして言っているのではない。ある大学教授が某局の幹部に「何故あのような低俗な番組ばかりを作るのか」と尋ねたら、「貴方のような(知識)階層の方を対象にしていませんので」と言われてしまったそうだ。某広告宣伝会社の若手に「何であれほど下らないテレビCMを作るのか」と突っ込んだ方も、似たような返事を貰ったと聞いているし、これは私も聞いた話だ。
私にとって非常に印象的だった点はBBCの記者の指摘にあった「日本人は周囲に迷惑をかけられない」を非常に重要に捉えている事」だった。それは被害に遭った少年たちは自分が被害を公にすれば、周囲に迷惑がかるという風に考えて、声を上げなかった」と語った点だった。それに加えて喜多川は「グルーミング」の手法を巧妙且つ悪辣に使って、「その関係」2人の間の秘密にしようと押さえ込み、その関係は自分が喜多川に特別に好かれている事の証だと思い込ませていたのだそうだ。
法律的には「被疑者死亡」なので警察が調査に入るかどうかも不明だし、見通しは立たないが、あの事務所の道義的責任は重大であるというのも良く分かった。だが、その重大な責任の始末を、今さらテレビ局や芸能関係の組織があの事務所に迫っていくだけの見識と度胸があるのだろうか。また、あの事務所も社長がテレビの画面で謝っただけで事が終わったなどと考えていそうな気がしてならない。
以前から言ってきたように、当方はあの事務所の者が司会をするか、木村拓哉のような輩が顔を見せただけでも番組は見ないのだから、何もここでいきり立つ必要もないとは思う。だが、我が国の芸能事務所の在り方は韓国ほどには時代に合わせられていないのも不愉快だし、テレビ局のあの事務所に対する弱腰に改めて呆れたので、取り上げようと思った次第。彼らがジョニー事務所に謝罪会見せよと求められるだろうか。
私はあの事務所が何かあの社長の謝罪以上に改悛の情を見せる事に至る確率は限りなく低いと思っている。でも、私は如何にアメリカ式だとOxfordに掲載されているようとも、Johnnyを「ジャニー」と発音しようとは思わない。