新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月7日 その2 アメリカの企業社会における「情報」の考察

2023-05-07 11:10:56 | コラム
我が国とアメリカの「情報」の文化比較論:

20年以上もの間、アメリカの会社の社員として勤務してきて学び得た「アメリカの企業社会における情報とは」を振り返ってみようと思う。ここに取り上げる「情報」は、ジャーナリストや新聞記者さんや学者の方々が提供される「情報」とは違っていると思う。その辺りをどのように受け止めて頂けるかが、私が論じて置きたい要点であると思う。

記憶から提供される情報は信じようとしないし、評価もされない:
私は我が国の会社では通用した「資料を見ずに、記憶から語る事柄」は受け入れられないという事態に遭遇して困惑した。本部のマネージャーには「白紙であっても良いから、何か用意してきた原稿を見て語れ」と何度か注意された。「俺のプリゼンテーションは信用しないのか」と憤慨した。暫く経って解ったことは「確固たる証拠がない情報は信じられない」と彼らが認識していることだった。

それは換言すれば「自分自身で獲得した情報か」即ち、”first hand“であるかないか」ということで、「伝聞(=second hand)であれば、その点を明確にして語れ」と要求されていたことだった。要するに「君から伝聞を聞きたいのではない。自分自身の意見かどうかを明確にして語れ。伝聞であれがその点をハッキリさせろ」という意味なのだった。

最も衝撃を受けたことは、他の事業部が進出したい製品と市場について、日本の会社時代の知識と経験と記憶から微に入り細を穿つプリゼンテーションをしたところ全く受け入れられずに、某銀行の調査部に資料提供を依頼されたことだった。その銀行は業界の専門誌からの記事を今風に言えば「コピペ」してきただけでも、私の情報の正確さを証明して終わったこと。要するに「資料も見ないで記憶から提供された情報は・・・」なのだった。

その後暫くして本部に出張した際に上司から「これを使え」と渡された物はと言えば、会社のカラーの「緑色」のブリーフケースだった。その意味は「これがあれば十分な資料を持って歩けるだろう」ということだった。これには憤慨するよりも「この世界にいれば確たる参考資料(bibliographyで良いか)も提供できないような情報は情報としての価値はない事と、伝聞を語るな」と認識できたので、確実な証拠を残すことを金科玉条とした。

会議の資料:
これも「異文化の世界」だった。本部で招集される会議では事前に議題が通告され、参加する者全員に「語るべきテーマ」が割り当てられ、事前に副社長秘書に原稿を送っておくようになっていた。会議では全員にその資料が配付され、当時はその内容が「オーバーヘッドプロジェクター」で表示される仕掛けだった。しかも、副社長秘書がその場で大きなフリップチャートに要点を記入して掲示した上に、終了後にその内容をタイプアウとして配布するのだ。

ここでも必須の条件は「語り」の資料には、伝聞を引用する際には参考文献や取材源等を明確にしておくこととなっている。こういう仕組みだから、会議に参加するのは大きな負担だったが、いざ会議が始まれば予定された時間内で進行するし、集中力を切らさずに最後まで討論に参加できていた。即ち、質疑応答に予定された以上に長時間を要することなく終わるのだった。

しかも、アメリカ人たちは学校教育で”debate”を学んでいるので、討論に慣れていないと苦戦することもあった。そういう文化であるから、ビジネススクールの授業の時間の大部分が”discussion“になるのだと理解している。YM氏にも確認したが「自分の意見を述べて討論に参加できない者は、その場にいなかったと同じと見做されて低い評価となる」世界なのである。

という次第だから、アメリカの企業とでも政治家とでも折衝する場合には、このような異文化に合わせた資料を整えて、討論の想定問答でも準備しておくと良いだろうと言いたいのだ。しかも、自分が主張したい点をハッキリと表明しない限り、彼らを納得させられないことになってしまうのだ。要するに「イエスかノーか」を、結果を恐れることなく言わねばならないのである。敢えて言うが、この点では我が国の方々は何かに遠慮されておられという心証だった。

換言すれば、彼らは「これを主張することで失うものはない」と読み切っていれば、譲歩はしないのである。より具体的に言えば「譲歩しても良い」という権限を持っているのは副社長兼事業部長だけなのだ。彼らのこういう姿勢は屡々「高飛車である」とか「強引である」と非難されたが、言い返すべき事は感情的にならずに言い返せねばならないのである。”debate”を回避しないことだとも言える。

私の主張:
上記は言わば「アメリカ側の手の内」を曝すことなので、これまでこのような点に触れたことが発表されていなかったと思う。重ねて言うが「異文化との遭遇」なのである。しかも、彼らアメリカ人たちも「異文化」に不慣れであり、言うべきことを日本側に解ってもらえるように表現する手段を知らないのだ。即ち、相互の事情というか文化を良く知らない者が通訳をしていれば、相互不理解になることがあると言って誤りではないと思う。


「情報」について考えてみた

2023-05-07 07:45:09 | コラム
「情報」と「ニュース」を考えてみると:

President誌の5月19日号に専修大学教授・澤康臣氏が上梓された「事実はどこにあるのか 民主主義を運営する為のニュースの見方」の書評が掲載されていたのを一読して、色々と考えさせてもらえた。当方はこれまでに何度も触れてきたことで、在職中からマスコミの片隅に片足の爪先を入れていた程度、縁があったのだ。

さらに、在職中は「情報が如何に大切か」と認識させられた営業、特にアメリカの会社に転出した後は海外の事情というか情報をどれ程所有し、取引先に提供できるかと、如何に営業職としての情報網(ネットワークでも良いと思う)を広範囲に深く確立するかに、努力というか腐心していた。換言すれば「信用して情報の交換ができる先」を数多く持つことだ。

澤教授は「マスメデイアは今瀬戸際にある」と指摘しておられる。それは「彼らがニュースを適時に提供しなくても、視聴者はSNS等を通じていくらでも情報を収集してしまうからだ」と言われている。時代遅れの私でさえ、確かにPCを起動させれば、先ずYahooニュースを見ている。しかも、私は(と敢えて言うが)新聞とテレビが提供するのが正統派のニュースであって、ネットから取れる話は補完的だろう程度に考えていた。

考えてみてもらいたいことは、我々が現職の時代には「検索エンジン」なんていうものは存在していなかったし、Emailもなかったし、携帯電話だって存在していなかったのだ。情報は脚で稼いで、知る限りを提供して見返りを取るしか方法がなかった。勿論、新聞購読も読書も重要な手段だが、それらは万人に知らしめられている情報に過ぎないので、日経新聞などは余程切羽詰まらない限り、読もうともしなかった。

それでも、世間では「あの人は豊富に情報を持っている消息通であり、物知りである話題の提供者」と認めてもらっていた。それは当たり前のことで、1990年代初期にはスマートフォンどころか`PCだって普及していなかったのだから。1年に6回も7回もアメリカを回っていた当方が「新鮮なアメリカ関連の情報」を持っていたのだから。

だが、ICT化が進みすぎディジタル化も信じられないほど進んだ。時移り人変わり、世間には信じられないような物知りであり情報通が無数にいるのだ。90歳になった私などはYouTubeを見て、ひたすらその情報量に驚いている始末だ。

しかも、事はここまででは終わらず、AIが出現したかと思えばチャットGPT(GTP?どっちだって良い)の時代になってしまった。先日、ジムのサロンでチラと見た New York Timesには「この出現で教育の手法が変わらざるを得ないか」という記事があった。テレビのニュースではデザイナーが「自分が書いた画像が盗用されたようだが、阻止の方法もないし、訴訟できるかも不明だ」と慨嘆しているところを取り上げていた。

それでなくても、一国の指導者を偽装して他国の指導者に電話をするものができた時代だ。「ガセネタ」などという言葉は時代遅れになっていくだろう。情報の真贋を判断するアプリもソフトも未だ出てきていないのだから。また、出たとしても、それを偽装するものが出るまでに3日もかかるまい。澤教授が懸念されたように「マスメデイアが食えなくなる時代が来る」のではないのか。

昨年の今頃「スポーツの解説者たちが言えることには限界がある。それは彼らが迂闊に自分の業界を批判したら、明日からの居場所を失う危険性があるからだ」と指摘した。マスコミの片隅のまたその先に爪先を入れていた者として感じていたことは「スポンサー様の批判することなど言える訳がない」ということ。言いたいことが言えたのは広岡達朗氏と故野村克也氏だけだった。

それが商業放送であり、出版が存在していられる理由ではないのか。ここまで色々と述べてきたが、これでは承知していることの10%程度しか触れていないのだ。それは「後難を恐れている」のではなく、自分が持っている情報が絶対に確度が高いか否かは解らないからだ。私は自分で実際に経験したことと見たことしか信じていない。それだって、見る位置と角度が異なる方からすれば「誤った情報」になってしまう危険性があるのだ。要するに「何を信じるか」であろう。