「バッハ会長とコーツ副会長は呼ぶな」と:
本日のフジテレビの朝7時30分からのThe Primeは、思いがけない体調の不備があって途切れ途切れにしか聞けなかった。だが、オリンピック関連の討論の終わり頃だったかに橋下徹氏が「OF(オリンピック・ファミリーのことだと思うが)が大挙してやってくる中で、バッハ会長とコーツ副会長は断ってくれないと国民感情が許すまい」といった趣旨のことを言われて、司会の松山を慌てさせていたのが印象的だった。
如何にも橋下氏らしい極論のような表現ではあるが、国民の一人として大いに賛成したいと思って聞いていた。理由をここにあらためてクドクドと申し述べる必要もあるまいと思うほど、私はこれまでに繰り返してバッハ会長傲慢振りと無教養振りとを批判してきたし、コーツ副会長程度の人物に偉そうにされるのは腹に据えかねると主張してきた。この見方に余り賛同者が現れていなかったのは残念だが、橋下氏があそこまで言われたのには快哉を叫びたくなった。
ワシントンポスト紙がトーマス・バッハ氏を「ぼったくり男爵事バッハ会長」と書いたのは、流石にアメリカのメディアには思ったことを普通にそのまま言ってしまうのだなと、あらためて再認識していた。私は何度も指摘したが、我が国ではIOCを恰も冒すベからざる神聖な団体の如くに崇め奉って、彼らが言うことを無批判に畏まって忠実に受け入れているのが歯痒くてならなかった。彼らは何様のつもりでいるのかと、特権階級のつもりなのかと腹立たしかった。
これは週刊誌だったかの記事の受け売りだが、IOCからは拒否できない条項として「OFが開催都市に滞在する際にはその國の最上級のホテル(我が国であれば御三家か外資系の超高級ホテルのスイートルーム)を確保することと決められていて、IOCはその室料の4万円分だけ負担する」となっているそうだ。私は今日の御三家のスイートルームが何百万円するか知識はないが、現職時には何度か事業部として利用していたので、90年代でも50~60万円だったと承知していた。21世紀の今日ではその倍になっていても驚かない。
そのスイートルームに宿泊させろとIOCが要求するのは、それが彼らのステータスを象徴するのだろうし、そういう慣習がこれまで受け入れられてきたのだろうから、新型コロナウイするが世界的に蔓延し、世界の各国が財政的にも経済的にも苦境に立たされていても、The international Olympic Committeeは「当然の権利」であるとばかりに意に介さないのだろう。そこに意識が行ったのかどうか不明だが、バッハ会長は先日「我々も犠牲を払わねば」と曰っておられたのは、もしかしてこういう事なのかと、ふと感じた。
私は「我が政府と組織委員会は神聖にして冒すベからざるIOC様が仰ることだから、開催都市にご指名くださったことに感謝してお言いつけ通りにする必要が少しはある」とは思う。だが、この現下のご時世で我が国も財政的に苦境に立たされている。「その最中に数百人か数千人か知らないが、我が国民を見下すが如くに4万円で超豪華ホテルのスイートルームに2週間以上もお泊まり願うのかと一般国民が騒ぎ立てでもしたら、どうやって説明する気か」と、橋下徹氏が問いかけているのかと思って聞いた。
私はOFの全員にスイートルームにお泊まり頂くのではなく、人数を絞るとか、ここまで来て頂く方の人数を制限して頂きたいくらいのことをIOCに申し上げても、バチは当たらないと思うのだ。私が思う問題点は「こういう申し入れというかお願いを誰がバッハ様かコーツ様に申告に行くかと、こういうことを説得力がある英語(かフランス語か)で突きつけるか」だと思う。永年の国際的交渉を経験してきた者として言うが、英語力の問題もさることながら、それはそれは恐ろしいことなのだ。恐怖すら感じる交渉事なのだ。
橋下徹氏は何時も「コメンテーターだから好き勝手なことが言える」と言っているが、確かにその通りだろう。そこで私も吠えてみせるのだが、私は何もIOCに逆らえと言っているのではない。時節柄、国民感情に受け入れられないような事柄や、我が国に過剰な物心両面の負担になる事を改善して頂きたいと申し入れて、何を失うだろうかと言っているのだ。バッハ氏とても鬼でも蛇でもないのだろうから、我が国から何らの申し入れがない限り、何らかの譲歩には踏み切らないだろう。彼は「我々も犠牲を払わねば」とまで、尊大な彼としては最大限の譲歩をして見せたではないか。
本日のフジテレビの朝7時30分からのThe Primeは、思いがけない体調の不備があって途切れ途切れにしか聞けなかった。だが、オリンピック関連の討論の終わり頃だったかに橋下徹氏が「OF(オリンピック・ファミリーのことだと思うが)が大挙してやってくる中で、バッハ会長とコーツ副会長は断ってくれないと国民感情が許すまい」といった趣旨のことを言われて、司会の松山を慌てさせていたのが印象的だった。
如何にも橋下氏らしい極論のような表現ではあるが、国民の一人として大いに賛成したいと思って聞いていた。理由をここにあらためてクドクドと申し述べる必要もあるまいと思うほど、私はこれまでに繰り返してバッハ会長傲慢振りと無教養振りとを批判してきたし、コーツ副会長程度の人物に偉そうにされるのは腹に据えかねると主張してきた。この見方に余り賛同者が現れていなかったのは残念だが、橋下氏があそこまで言われたのには快哉を叫びたくなった。
ワシントンポスト紙がトーマス・バッハ氏を「ぼったくり男爵事バッハ会長」と書いたのは、流石にアメリカのメディアには思ったことを普通にそのまま言ってしまうのだなと、あらためて再認識していた。私は何度も指摘したが、我が国ではIOCを恰も冒すベからざる神聖な団体の如くに崇め奉って、彼らが言うことを無批判に畏まって忠実に受け入れているのが歯痒くてならなかった。彼らは何様のつもりでいるのかと、特権階級のつもりなのかと腹立たしかった。
これは週刊誌だったかの記事の受け売りだが、IOCからは拒否できない条項として「OFが開催都市に滞在する際にはその國の最上級のホテル(我が国であれば御三家か外資系の超高級ホテルのスイートルーム)を確保することと決められていて、IOCはその室料の4万円分だけ負担する」となっているそうだ。私は今日の御三家のスイートルームが何百万円するか知識はないが、現職時には何度か事業部として利用していたので、90年代でも50~60万円だったと承知していた。21世紀の今日ではその倍になっていても驚かない。
そのスイートルームに宿泊させろとIOCが要求するのは、それが彼らのステータスを象徴するのだろうし、そういう慣習がこれまで受け入れられてきたのだろうから、新型コロナウイするが世界的に蔓延し、世界の各国が財政的にも経済的にも苦境に立たされていても、The international Olympic Committeeは「当然の権利」であるとばかりに意に介さないのだろう。そこに意識が行ったのかどうか不明だが、バッハ会長は先日「我々も犠牲を払わねば」と曰っておられたのは、もしかしてこういう事なのかと、ふと感じた。
私は「我が政府と組織委員会は神聖にして冒すベからざるIOC様が仰ることだから、開催都市にご指名くださったことに感謝してお言いつけ通りにする必要が少しはある」とは思う。だが、この現下のご時世で我が国も財政的に苦境に立たされている。「その最中に数百人か数千人か知らないが、我が国民を見下すが如くに4万円で超豪華ホテルのスイートルームに2週間以上もお泊まり願うのかと一般国民が騒ぎ立てでもしたら、どうやって説明する気か」と、橋下徹氏が問いかけているのかと思って聞いた。
私はOFの全員にスイートルームにお泊まり頂くのではなく、人数を絞るとか、ここまで来て頂く方の人数を制限して頂きたいくらいのことをIOCに申し上げても、バチは当たらないと思うのだ。私が思う問題点は「こういう申し入れというかお願いを誰がバッハ様かコーツ様に申告に行くかと、こういうことを説得力がある英語(かフランス語か)で突きつけるか」だと思う。永年の国際的交渉を経験してきた者として言うが、英語力の問題もさることながら、それはそれは恐ろしいことなのだ。恐怖すら感じる交渉事なのだ。
橋下徹氏は何時も「コメンテーターだから好き勝手なことが言える」と言っているが、確かにその通りだろう。そこで私も吠えてみせるのだが、私は何もIOCに逆らえと言っているのではない。時節柄、国民感情に受け入れられないような事柄や、我が国に過剰な物心両面の負担になる事を改善して頂きたいと申し入れて、何を失うだろうかと言っているのだ。バッハ氏とても鬼でも蛇でもないのだろうから、我が国から何らの申し入れがない限り、何らかの譲歩には踏み切らないだろう。彼は「我々も犠牲を払わねば」とまで、尊大な彼としては最大限の譲歩をして見せたではないか。
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