新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの資本主義#3

2008-03-21 14:14:44 | 200803

ファンドは何をするか:


サーベラス・キャピタル・マネジメント(CCM)はあおぞら銀行、帝国ホテル、西武グループ等の株主であり、最近でグッドウイルの株式を取得するなど、我が国の市場にも進出してきている投資ファンドである。<o:p></o:p>


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アメリカでも数多くの企業に投資している。その中で私にとってもっとも強烈な印象を与えてくれたのが052月のNewPage Corporation(ニューページ)の設立にいたる紙パルプメーカーへの進出であった。アメリカの紙パルプ業界の上位10社にランクされていたMead Corporation(ミード)はコート紙のような印刷紙では歴史と伝統あるメーカーで、そのライセンスの下にコート紙を生産していた日本の大手メーカーもある。因みに、「コート紙」とは光沢がある紙で表面にクレーを塗布されている。分かりやすい代表的な例を挙げれば週刊誌の表紙のような紙である。<o:p></o:p>


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そのミードが煙草のカートンのような包装容器用板紙の分野に強いWestvaco(ウエストヴェイコ)と合併してMeadWestvaco(ミードウエストヴェイコ)となった。印刷用紙のメーカーであるミードは包装材料の分野でも大きな存在で、コカコーラの瓶を6本纏めて持ち歩ける形式の包材等の昔懐かしい製品も手掛けている特徴があった。そのミードとウエストヴェイコの合併は一見理想的のようだった。<o:p></o:p>


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ところが合併して間もない051月にその印刷用紙部門をCCMに売却すると発表され、2月に新会社のニューページが事業を開始した。それまでに投資ファンドが紙パルプメーカーの株式を買収したことは聞いていたが、インターネット広告に圧され気味の印刷媒体向けの製紙産業の経営に乗り出したのは全く意外であった。<o:p></o:p>


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だが、業界としてはこの進出を歓迎していた様子ではなく、後に世界最大手のインターナショナル・ペーパーが同様にコート紙事業を売却した際にその工場の一つを購入したのが同業のメーカーであったと聞いて「ファンドでなくて良かった」とコメントした経営者がいたくらいであった。<o:p></o:p>


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一寸話題を変えるが、我が国ではマスコミも一部の経営者も外国資本の日本への進出というかM&Aを極度に怖れている節がある。すなわち「乗っ取り」を怖れているのである。その気持ちは解らないでもない。だが、何を怖れるかが間違っている。単に乗っ取られるだけでは、会社も従業員も全て安泰ではないか。経営権を取られることが怖いのか?アメリカのM&Aの後に起きることを考えて貰いたい。それはそんなことではない。買収した会社がコア事業の強化を目指してその会社を買収したのであれば、買い取った会社のそれ以外の事業を何ら躊躇うことなく、何の配慮もせずに売却または閉鎖してしまうことが往々にしてある。不採算事業があれば遠慮会釈無く売り払い、また廃止するのである。これが日本語になっている「リストラ」である。より具体的に言えば事業を辞めれば従業員も要らなくなるという簡単な図式である。<o:p></o:p>


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何かを怖れるならば、この点である。この景気低迷の時期に、ある日突然放り出された人たちに我が国で次の就職口が待っているか?アメリカのように社会通念が異なり、雇用に流動性がある国の人たちが日本の事情に配慮すると思うか?何もファンドでなくても、M&Aで会社の規模が必要以上にふくらんだ場合に、人員削減に手をつけるのが彼らの経営である。常識である。<o:p></o:p>


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話をCCMに戻そう。彼らがミードの生産設備能力を縮小、整理したとは聞いていない。だが、あっと驚くような手段に訴えてきた。それは、ただでさえネットに地盤を奪われて、不振なアメリカの印刷用紙業界である。各メーカーは操短や設備削減などの方法で供給を調節して価格を維持してきた。そこにアジアの新興勢力、中国、インドネシア、韓国が彼らの最新鋭の設備で造りだしたコート紙の輸出を開始した。アメリカは元はといえば世界最大の市場で、需要はまだまだ十分にある。<o:p></o:p>


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問題は「利益が挙がらなければ投資はしない」アメリカの資本主義である。コート紙を生産するマシンが皆古くて、小さくて、遅いこと難点だった。従ってコストは割高であった。そこにアメリカから原料を輸入する新しく、大きく、速いマシンで効率よく生産する低労務費の国の紙が雪崩を打って入ってきたのである。輸入紙が米国市場のシェアーの過半数を抑えんばかりの勢いで浸透していった。<o:p></o:p>


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その状況に対してニューページが打った手は、商務省にアジア三ヶ国は不当廉売=ダンピングであるから厳重調査の上「反ダンピング関税」と「相殺関税」を付加するべしと申請した。連邦政府は慎重審査の上これを認めた。結果して暫定的に中国品には合計で100%を超える課税が決定された。勿論他の2国にもそれほど高率ではないまでも課税と決まった。そして、輸入紙は高値となり輸入が激減した。そこでニューページ自社の価格を輸入紙並みに値上げした。長く引っ張ってきたが、これこそが同社の狙いだったのであろう。<o:p></o:p>


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自国の生産を設備ごと減らし、そこをユーザーが安くても品質も良い輸入紙で補っていた。自分で引いていった市場を輸入紙に狙われるや関税をお上に願い出る始末。私は余りにも定見がない経営方針であると非難・批判したい思い出見ていた。ファンドは何としても利益を確保したいのだろう。彼らは何時の日かニューページを利食いして転売したいのではないだろうか。そのためには輸入紙を排除しておきたかったのだろう。<o:p></o:p>


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資本主義を信奉する以上当然の措置という見方もあるだろう。だが、こういう思想の持ち主が我が国の風土に合うかどうかは考えるまでもあるまい。<o:p></o:p>


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因みに、この行きすぎた高率の関税の賦課は、流石に連邦政府が撤回したことをお伝えして終わる。<o:p></o:p>



九州縦断旅行に思う

2008-03-21 07:47:45 | 200803

320日、1910分に3日間の目まぐるしい九州の旅から帰ってきました。これが19、20日と沈黙していた理由でした。

2
日目、19日にホテル出発時刻を10分遅らせていたら何事もなかったかも知れないと悔やまれた豪雨に見舞われました。その結果ずぶ濡れの青島神社参拝(
見学?)となり、不運な旅となりました。

雨・風・霧で苛まれ、行く先々で何も見えず、高千穂峡は何とか見えたものの、期待の阿蘇は単なる焼き払われた真っ黒な草原でした。やまなみハイウエーも霧の中をただバスが走るだけでした。

しかも行き先ざきで温度の上下に遭い、20日の湯布院散策では雨が止んでいたものの寒さに震えました。傘とレインコートを持参たことが役に立って嬉しくも何ともありませんでした。ガイドさんが旧軽井沢に準えたこの町は、寧ろ角館といった方が良いくらい。地元の産物よりも沖縄から出店したばかりの店が湯布院とは関係ない沖縄のTシャツを売っているのが目立ち、どうもぴんと来ませんでした。

20
日の13時に博多駅に着いた時には雨も上がって気温も上昇、何のことだったやら。ではあっても、朝の出発を10分遅らせていたら1330分発の“のぞみ”には間に合わなかったかも知れないので、「終わり良ければ全て良し」でした。<o:p></o:p>



鹿児島から宮崎を経由して熊本から大分と北上して思ったことは、農業、林業、おそらく漁業で地元民が苦労して挙げた収入を、保険、JAしかも彼らは農産物の販売だけではなく、組合員に機械類や化学薬品を売っていると聞いていますが)等の非製造業がかすめ取っているのではないかということ。「道路を整備しろ」などと言う前の問題が大きすぎる気がしました。

その問題とは、我が国の農業は産業の規模に達せず、魅力に乏しくなり若者に見放されていると聞きます。そこに輸入品の安値に売り負けして益々不振に陥ったようです。後継者もなく苦労しているところに、これらの搾取組織が取り囲んでいる図式のような気がしました。

我が国はもともと山岳・丘陵地帯がそもそも面積の7080%を占めています。中で九州は来てみて再確認できたことは山また山だったことでした。バスの車窓からは林業がある程度以上盛んなように見えました。だが、アメリカの規模にはなり得ず、農業同様に家内工業的に見えました。しかも、輸入品に圧されて久しいものがあります。これは誰の責任だったのでしょうか?<o:p></o:p>


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工業面でも進出し来た大手製造業の工場も少なく、南九州では大きな工場も少なくハンデばかり。北海道よりも条件が悪いといわれる意味がよく解りました。

観光業にしても鹿児島では西郷隆盛に過度に(失礼?)依存しているように感じさせてくれました。これは昨年東北6県を回った際に、同じパックにいた人が「同じことを色々な形で引っ張って観光の目玉にしているのは苦しい状況だ」と会津の白虎隊依存を批判していたことを思い出さずにはいられませんでした。<o:p></o:p>


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私はこれを批判しているのではありません。この東北旅行、静岡県内の旅でも痛感したことですが、観光事業の促進も結構ですが、バスを迎える駐車場の整理を高齢者がぽつんと待っている様子や、高千穂峡の御茶屋でバスの駐車場に案内してくれるシャトルバスサービスの手配を、声を枯らして若者がやっている姿を見て、地方の苦しみをあらためて認識した旅でした。<o:p></o:p>


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東国原知事が如何に県内の特産物の販売促進に頑張っても、所詮は小売業の一部が活気づくだけで、地方に存在する根本的な解決には結びつかないかと危惧しました。日本は何としても内需の喚起ではなく、内需の創造を真剣に考えねばならないのでしょう。東京一極集中を如何に排除していくかでしょう。都内のホームレスが「東京に行けば何とかなると思った」と回顧していることを、政治家も経営者も真剣に聞かねばならないでしょう。



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では、何処で何をどうすれば良いのかということは、私が考えるものではないでしょう。このような国家的な問題を如何にして解決していくかが重要な時期に、あの知事を持ち上げ持て囃して何の役に立つでしょう?<o:p></o:p>


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昭和30年代末に九州出身者が大阪勤務を経て東京本社に転勤してきて言いました「東京の人たち冷たい」と。東京に東京生まれで東京育ちが何%いるでしょうか?東京に来て、学び、そして働くことが人を冷たくしているのだったら、それが東京の問題点でしょうか?<o:p></o:p>



アメリカの資本主義とは #2

2008-03-18 04:14:07 | 200803

ファンドとは:<o:p></o:p>


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導入部:<o:p></o:p>


アメリカにおけるファンドの力というか何をしている存在かは、我が国で新聞やテレビに依存しているだけでは理解しきれないことがあると思う。彼らは単に株式や企業の売買をするだけではない存在であり、乗っ取り屋でもなかった。その点を述べていきたい。<o:p></o:p>


なお、念のために申し上げて置くが、ファンドには投資だけではなく、ペンション・ファンド(Pension Fund)もあれば、政府系ファンド(Sovereign Wealth Fund)もあるのだ。<o:p></o:p>


具体論に入る前に、アメリカで、実際に、自分で聞いた話から入っていこう。そしてそのために、自分の旅行記から引用する。<o:p></o:p>


以下は20079月に7年振りにアメリカを”Pleasure trip”で訪れた際の旅行記からの抜粋である。業界以外の方には馴染みがない社名出てくるが、暫時ご辛抱賜りたい。<o:p></o:p>


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「ファンドの影響:<o:p></o:p>


近頃アメリカの産業界では業界再編成(≠リストラ)の動きが多く且つまた激しい。紙パルプ産業とてもその例外たり得ない様子だ。今回の旅の目的はそういったことを「口角泡を飛ばして」多くの知り合いの人たちと議論しようというものではない。因みに、古き良き時代は本社でも工場でも十分に語り合った。だが、そこは仕事熱心な人たちとの出会いである。その種の話題は決して全面的には避けて通れなかったし、私も結局は質問してしまう羽目に陥った。ここでは固有名詞を出すことが余り適切とは思えないので、一般論風にするが、なる程と思う話が聞けた。<o:p></o:p>


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紙パルプ業界では:<o:p></o:p>


つい先頃のボイジー・キャスケードのいわば会社二分割もあるが、一昨年以来インターナショナル・ペーパー、ジョージア・パシフィック、ミードウエストベイコ、ウエアーハウザー等々と、リストラには枚挙に暇がない。中には折角買収した会社をバラ売りしたり、コア事業と思わせた部門を売却したり、トップ・クオータイル(Top quartile)を超えた市場占有率を保持している事業を売却したりという具合で、誠に厳しい経営姿勢を見せている(と見える)。それだけ紙パルプを取り巻く経営環境が悪化していると言えるだろうし、森林産業の分野でも住宅着工とサブプライムの破綻を言うまでもなく不調を極めて、紙パルプの経営に悪影響を与えている。<o:p></o:p>


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実態は:<o:p></o:p>


ところが、有識者と言っても良いだろう人の解説によると、「リストラは必ずしも原料・エネルギー等のコストの急騰や、製造設備の老朽化や、グローバル化による新興勢力との競争の激化や、紙・印刷媒体の衰退等々によって行われているのではない」のだそうである。<o:p></o:p>


すなわち、すでに広く知れ渡っているミードウエストヴェイコがその歴史と伝統に輝くコート紙部門を投資ファンドのサーベラス・キャピタル・マネジメント(Cerberus Capital Management)に売却してニューページとして新発足させたように、大手紙パルプメーカーの株式を大量に取得したファンドが大株主として、「物言う株主」として登場してきた結果であるという。因みにサーベラス=Cerberusとはギリシャ神話の「地獄の番犬」で、頭が三つで尾が蛇である。<o:p></o:p>


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ファンドの発言力:<o:p></o:p>


具体的には株主としてその会社の各部門の成績を仔細に検討して、不採算と知れば厳しい改善を要求してくるのだと説明された。さらに「ファンド」には投資ファンドだけではなく、例えばカリフォルニア等の大きな人口を抱える州のペンション・ファンドは運用する金額も大きく、それ故にかなり厳しい要求を経営者側に突きつけてくるのだそうだ。それに対処する結果として、経営のコアとしている事業部門と雖もリストラの対象とせざるを得ないこともあると認識しておけ-と解説された。<o:p></o:p>


実はこの話は時間をかけて詳細に聞いたのではない。ではあっても、そこまで聞かされて初めて「何故アメリカの紙パルプ産業界では理解に苦しむようなコア事業部門の売却や分離独立が行われてきたか」が解った次第である。必ずしも経営担当者、アメリカの経営形態では単に職業として担当しているだけでの感がある人が多いからこう言うのだが、の決定ではなかったのだと知った。<o:p></o:p>


 実際に23の大手メーカーの経営姿勢に理解できない点があった。敢えて例を挙げれば、インターナショナル・ペーパーが世界市場の40%以上を保持しながら、その包装容器事業部門の一部を、如何に経営体質転換計画の一環とはいえ、あっさりと処分したか等は、私の理解を超越していた。この流れはすでに我が国にも現れているのではないか?<o:p></o:p>


 リストラの背景には複雑な事情が多々あるだろうが、このようなファンドの存在もあったとは、浅学非才な身には想像が及ばなかった。矢張りアメリカに来れば高齢化しても勉強になるものだと有り難く承ってきた次第。」<o:p></o:p>


 次回以降にもアメリカのM&Aの実態と、ファンドが何をするかを述べていく予定である。<o:p></o:p>


参考資料:紙業タイムス誌、0710月―2<o:p></o:p>


続く)<o:p></o:p>



橋本大阪府知事、怒っても良かった

2008-03-17 20:56:49 | 200803

橋下府知事対女性の時間外手当をめぐっての遣り取りを聞いていて以下のように感じた。

あの女性が「サービス残業」を沢山したと言うならば、915分前から朝礼をするならば、残業代になると言うならば、いっそ「時間給制度」にしたらどうですか-と言いたくなった。

アメリカ式に労組員は時間給にしたらどうだ。そこでは年功序列で昇給していく。一方、月給か年俸制の社員には残業代などない方が解りよいと思いながら聴いていた。彼らは時間外手当を当然の権利として要求する。

アメリカ式の制度ならば、朝は何時に来て夕方には何時に帰るかは本人の仕事の進捗状況だけの問題。皆で一緒に始め一緒に終わろうという精神とは違う。固定給でも時間外手当が貰える我が国の制度は両方の良いところを取ったのかと感じた。

次はあの女性が知事に「貴方」と呼びかけたのは驚き。いくら何でも礼を失していると思うが、如何?知事はいわば社長かそれ以上かも知れない。それに一社員に当たるあの女性が「貴方」はないでしょう。youだけしかない英語で話しているのではないのだから。

他のことでは直ぐ感情を出す知事が、あれに反応しなかったのは不思議だと思った。

大阪府の公務員の働きぶりを見る機会もなかったので何とも言いようがないのだが、時間外手当を貰えないならば、拘束時間内に朝礼をやれと要求したのだったら勝手すぎないか?<o:p></o:p>



良く働くか、適当にやっているかを判断する基準は難しいと思う。だが、時間外手当はどのような場合に払うかという基準はもっと難しいと思う。

何れにせよ、橋下知事は労務問題に自分から関与するのは、余り褒めたことではあるまいと思う。あの一事を持ってしても、彼が組織に属したことがない人だと解った。それが悪いとは言わない。組織内にいて見るのと、外部から来た人が見るのでは、今までに見えなかったことが解ってくることもあるだろう。その辺りが知事の仕事でもあるだろう。そのために担当部局があるのだから、担当部局に彼が見たままを告げて、必要とあれば改善することではないか?<o:p></o:p>



それにしても「朝礼」がある会社には日米を通じて勤務したことがないので、どういう効用があるのかよく解らない。矢張り「全員で一緒に始めよう」という精神の表れだろうか?我が国でも、もう少し個人の能力というか自主性を持たせて、自由裁量権を与えて、そしてその後に人数減らし(≠リストラ)に進んでも良い時代ではないか?各人の責任をハッキリさせていく方向に行っても良くはないか?<o:p></o:p>



責任といえば、その昔に聞いた話にこういうのがあった。販売先が倒産して不良債権が発生してしまった。「誰の責任か」が追求された。結論が出るまでに長時間を要した。そして、「あの貸し倒れになった先からの注文の電話を取った女子社員が悪い」となって決着したとか。全体か、個人かという問題はかくも難しい。

そうかと言って、アメリカのように失敗した者が自発的に辞めていき、経営者が責任がある者を馘首するか、退職させてことが終わるというのも、感心したことではないと思う。<o:p></o:p>


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アメリカの資本主義とは #1

2008-03-17 07:06:18 | 200803

アメリカの製造業を空洞化した結果:<o:p></o:p>


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誰も書かなかったアメリカ:これを語ってご理解願えれば、私の希望が達成されたことになると考えます。そこで、私の意見を述べていくことにします。<o:p></o:p>


 私が語りたいことはアメリカ式資本主義の欠陥です。四半期毎の成績を気にしていなければ株主に切られます。そうならないように、短期的にしか物を考えられなくなるような資本主義です。経営担当者は自分の在任中に結果を出すことに集中します。そのためには資金を固定する結果になるような将来を見据えた設備投資を避けてしまうのです。その結果どうなったかの一例が空洞化でした。<o:p></o:p>


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空洞化:<o:p></o:p>


アメリカが労務費等のコスト高騰を嫌って非耐久財のようなものの製造業を国外、それも主に中国を主体とする東南アジアに移していったことは記憶に古い?かも知れない。それは諸外国でも当然の成り行きのように受け止められていた。そして、その空洞化は決してマイナス要素ばかりではないかの如くだった。すなわち、アメリカはその最終製品を輸入するための包装材料=段ボール原紙と段ボール箱を大量に中国に輸出に成功したし、製紙用パルプの販路も拡張していったのだから。彼らは「中国経済の成長性」に酔いし入れていた。<o:p></o:p>


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原料しか買わない日本:<o:p></o:p>


日本はアメリカから製紙の原料を大量に買っていた。そして輸出をしていた。その状況を聞いた上智大学経済学部の緒田原教授(当時)は言った「それではアメリカは日本の植民地のパタンではないか」<o:p></o:p>


その空洞化が始まって何年経ったかは定かではない。1980年代の終わり頃にアメリカが日本に完成品としての紙・板紙類の輸入量を増やせと猛烈な圧力をかけてきた。製紙産業は空洞化されていなかったのだ。スーパー30条適用などという脅かしもあった。この時の大統領は誰あろう、Hillary Clintonのご亭主Bill Clintonその人だった。<o:p></o:p>


 日本の業界では「黒船の襲来」と怖れた人が多かった。それはそうだ。日本の2.5倍の紙・板紙を生産している当時としては世界最強と認識されていたアメリカが「原料だけではなく製品も買え」と牙を剥いてきたのだから。<o:p></o:p>


 だが、かく申す黒船の乗組員は「心配ない。あなた方の好みに合わない左ハンドルの紙だ。しかもそれでも国産紙の値段より安く売ることは絶対にないから」と自らの雇用主を裏切るようなことを言って、業界を沈静化させようとしていた。当人はこんなことを言うのを全然気にならなかった。それは「業界の意表をつくことは衝いたが、ただ単に本当のことを言ったのだから」だからであった。<o:p></o:p>


 もっと解りやすく言えば「異文化の国で作った紙は、世界最高の技術で作られている国産の紙に馴れた我が国の需要家を満足させることはない」と信じていただけだったのである。<o:p></o:p>


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警告:<o:p></o:p>


だから、アメリカの対日紙・板紙の輸出は一向に伸びなかった。だが、その様子を眺めていた北欧系の多国籍業T社の日本法人の副社長(日本人である)にして論客のK氏がこう言って警告した。「買わない、買えないからと言って放置しておくことが長期的視点に立てば得策かどうかは疑問だ。アメリカは日本が紙・板紙の形で買わないならば、最終製品を中国でも何処ででも作らせて、その包装容器から宣伝用のパンフレット類までアメリカ製の紙類にして輸出されたらどうするのか。国産紙の需要がそれだけ消えることにならないか?アメリカ人はそのくらいのことを考える頭脳があると思う」と。日本ではそこまでの危険性を認識していた人は少数派でもなかった。<o:p></o:p>


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中国で何が起きたか:<o:p></o:p>


ところで、空洞化のアメリカ対低労務費の中国の関係に話を戻そう。かの中国人が何時までも唯々諾々と紙類の輸入を続けていたわけではなかった。中国経済そのものが成長するにつれて、段ボール箱等の包装容器の需要も拡大・成長してきた。しかも、最終製品の輸出はアメリカ向けばかりではなかった。ご存知の通りに我が国でも中国詣では盛んになっていった。<o:p></o:p>


 結果として何が中国で起きたかは、もう説明の必要はあるまい。K副社長の警告はアメリカに向けておいた方が良かったのである。中国の段ボール原紙生産能力は2009年には3,380万?/年に達して、アメリカに次ぐ世界第2の生産国になると予測されている。中国の2000年の能力は890万?でしかなかった。3.8倍の成長率である。アメリカの生産能力は2001年に3,697万?だったものが2009年に3,680万?と予測されている。これではマイナス成長である。<o:p></o:p>


 驚くべき数字をお見せすれば、我が国の紙・板紙の2007年の総生産量は3,120万?であった。念のため申し上げて置くが、全部でこれである。中国の段ボール原紙だけの能力に追い越された。<o:p></o:p>


アメリカの段ボール原紙は最大の輸出先を失って、2007年には3,541万?にリストラされていたのであった。それを2009年には4%も増加させようという計画である。段ボール箱の需要は景気変動に極めて敏感である。2年でそれだけ回復するというのか?また横道に逸れるが、こういうのを英語で”ambitious”と言う。あの有名な「少年よ、大志を抱け」もambitiousだが、これは「野望」であって「大志」を意味しないと思う。誤訳であると信じている、念のため。<o:p></o:p>


 ここまでの結論を急ごう。現時点で中国のメーカーが計画していることは段ボール原紙の対米輸出である。何分にも国内需要は3,380万?を完全に消化するまでには伸びていないのだから。アメリカは空洞化の対価を支払う段階に到達したのである。<o:p></o:p>


 これは何もアメリカの紙・板紙・パルプ産業だけの現象ではない。アメリカ式経営が短期的に当面した重要課題を解りやすく示した実例であるに過ぎない。<o:p></o:p>


資料:RISIFuture(紙業タイムス社刊)<o:p></o:p>


続く)<o:p></o:p>