新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの資本主義#5

2008-03-23 07:42:36 | 200803

Price increase<o:p></o:p>


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アメリカの資本主義にも徐々に変化が現れてきた様子である。その辺りをこの「値上げ」から観察していこう。<o:p></o:p>


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初めて日本市場に進出してきたアメリカのメーカーが戸惑うのが「値上げの方法」である。余談だが、Price hikeという表現もあるが、これは文字数を少なくするために新聞が採用した言葉で日常的に使わない方が良いと思う。<o:p></o:p>


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よく「売り手市場」と「買い手市場」(=”sellers marketbuyers market)と言って市況を形容する。私はアメリカがこの何れも当てはまらない”Producers market”であると思っている。<o:p></o:p>


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何故かと言えば、お客様が精々王様でしかないアメリカでは、物事は全て物を作る方の都合で進んでいると見たのであるから。製造業は須く作る方に都合がよいようにスペックを設定して生産性の向上を図り、コストが上がれば遠慮会釈無く値上げして利益を確保して、自分のためと、忘れてはならないこととして、株主のためを図るのであるから。<o:p></o:p>


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そのような段取りで経営しているアメリカの会社が日本市場に進出してくると戸惑うことがある。何に戸惑うのかと言えば、他の業界はいざ知らず、紙パルプ産業では値上げは客先と話し合い交渉するべき性質の重要事項と知るからである。<o:p></o:p>


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アメリカ企業の考え方は非常に簡単というか単純で、サプライ・サイドでコストが上昇すれば、環境保護対策で新規投資をすれば、そういうコストは全て製品価格に転嫁するのは当然の行為と思われていた。我が国のように円高や原材料の値上がりを自社内で合理化して吸収し、その負担に耐えて得意先ひいては最終消費者に転嫁しないような努力をすることは一般的ではなかった。<o:p></o:p>


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これを捉えて強気であるとか、厳しい経営姿勢であるなどと考える必要はないと信じている。何故ならば、彼らの思考体系は「二進法」であるから、転嫁するかしないかしか選択肢がないだけのことだから。そして、転嫁しないか、転嫁できないで予算に計上されていた利益を失って四半期ごとの決算で赤字を出すことは経営担当者としては責任を取らねばならないという最悪の事態であるから。<o:p></o:p>


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こういう哲学というか資本主義の中で育ってきたアメリカのビジネス・パーソンたちが値上げに抵抗し、話し合いを求める日本の需要家や最終消費者の態度に驚くのであった。彼らは「お客様は神様」であったとは思っても見なかったのであった。彼らにとっては値上げとはただ単に”Post it!”なのであるから。さらにアメリカの需要家も、業界によって異なるかも知れないが、比較的寛容に受け入れてきていたと聞く。<o:p></o:p>


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さらに、この点は「日米企業社会における文化の違い」で述べてきたように、彼らは得意先の値上げ反対の主張に容易に耳を貸そうとはしない。聞き入れられなかったならば受け入れてくれる先に売るだけである。そして、お互いに”Dont feel bad. Lets see each other again, some day.”と言って別れるだけだ。彼らは将来市況が変わって頭を下げてまで買って貰わねばならぬ事態が発生すれば、何事もなかったかの如くに売り込みに来るだけである。これを鉄面皮とも言うだろうが、彼らは普通の商行為と思っているようだ。<o:p></o:p>


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そのような具体例を挙げれば、1997年に山一証券が破綻して数千人が失業した時を思い出して頂きたい。そこに現れたメリル・リンチがその何割かを吸収して日本進出を果たした。マスコミは挙って「良かった、良かった」の大合唱だった。当時私は紙パ専門誌のコラムに「何が目出度いか。彼らは市況が思わしくなくなり、思うように利益が出なければ即刻日本市場から出て行く会社だ」と指摘して、遺憾ながらその通りになってしまった。その時のメリル・リンチと現在のものは違う組織である。悪ければ引き、良くなれば再度参入するのが二進法的思考体系である。<o:p></o:p>


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であれば、コストを得意先に転嫁するのは当然の商行為と思うのは当たり前なのである。そのアメリカを2005年にカトリーナ台風が襲った。先ず化石燃料が高騰し、輸送コストが急騰した。だが、この頃からアメリカ経済も低迷し始めてコストの販売価格転嫁が簡単にはいかなくなってきた。値上げは通告すれば済む性質ではなくなってきた。しかもドル安も同時にやってきて需要家も最終消費者も激しい抵抗をするようになってきたのだ。<o:p></o:p>


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紙パルプ産業の動向を通して語れば、その頃からIT化の影響が業界を襲い印刷媒体の衰退とともに新聞用紙等の需要が目に見えて減少していった。メーカーは操短や設備縮小で対応した。だが、そこにエネルギー・コストのみならず住宅着工の不振によりパルプ等の原料の値上がりが始まった。古紙も中国が世界中から買い漁って値上がりした。<o:p></o:p>


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メーカーは当然の策としてコスト上昇分を値上げする手段に訴えた。だが、需要家も最終消費者もこれまでのように「はい、そうですか」とは受け入れなかった。そこで、ついに「値上げを話し合う時代になった」と悟り、値上げ幅を半額とすることで妥協し、実施期日を先延ばしにするようになってきた。中には「今回は前回の値上げの積み残し分を加えて何%」等という事例も現れてきた。<o:p></o:p>


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このような事例が示すように、供給者側の事情だけで物事が進まず、Producers marketからBuyers marketへの移行の兆しが見えてきた。私はこれ即ちここで云々する必要もない要素も加わって「アメリカの資本主義衰退への道」が見えてきたと思うのだが。<o:p></o:p>



高校野球が始まった

2008-03-22 17:00:07 | 200803
 私は高校の全国大会、それもトーナメント形式、を廃止すべきであると30年以上も前から声を大にして唱えてきた。

 高野連会長の脇村君には就任直後にその旨を書いた手紙を直接渡して驚かせた。

 排斥する理由は簡単である。あのトーナメント形式では「あのレヴェルで勝つための技巧・小技を教え込むことが優先され、大学からプロへと進んで大成するような基礎体力をつけて、基本技を徹底的に教え込むことが等閑にされる嫌いがあるから」である。しかも、そこに郷党の誉れや母校の名誉(未だ卒業していないのに何で母校かマスコミ諸君!?)がかかってくるので、それのみが目的になってしまう。甲子園で優勝した投手はそれだけで燃焼し尽くしてしまう。

 松坂がいるではないかという向きもあるだろうが、私に言わせれば彼が完成品か?彼は粗雑な未完成品の状態である。発展途上国である。これから伸びる余地を残している珍しい例である。
 
 サッカーでも同じことで、テレビ局ご贔屓の国見や帝京高校から何人バリバリのA代表のメンバーが出ているか?皆小さく纏まっている憾みがある。
 
 国内でのトーナメントでの成功と、マスコミ好みの「世界での活躍」と何れを採るのか?マスコミ自体がよく解っていないようだ。小成に甘んじるのか、世界での活躍か、どちらを採るかを決めるのは当人であるべきだ。それを高校の指導者が恣意的に決めて良いのか?

 それに、甲子園野球は戦後の物がなかった時代の国民的意識向上のための娯楽であり、全国に4千を超える高校が高野連に加盟している現代に、勝ち抜き試合は将来ある素材を浪費している結果となる。

 別にアメリカを礼賛しないが、全国大会などはない。精々州単位だ。

 それ以外の罪悪(は言い過ぎか?)は解説者とアナウンサーが妙な和製英語で中継放送をすることにある。英語では"fast ball"なのに「ストレート」、「小さい振り幅で打つ」と言えばよいのに「コンパクトなスイング」などと訳が解らないことを言う。"compact"の何処にそんな意味があるか?英和辞典を見たことがないのか?

 他にも野球用語には傑作が多い。「ネクスト・バッターズ・サークル」などは笑う以外にない。メジャー・リーグ、"Major League"をどうやったら「メジャー・リーグ」と読めるのか?
 
 "measure"なら「メジャー」だが、あれは「メージャー」だろうよ。MLBの中継を副音声で聞いて見ろ。彼らは精々"Ichiro is on the deck."くらいしか言わないだろう。

 でも良いか、あの野球用語は最早日本語になってしまったのだから。松井秀喜が渡米する前に、こういう用語を解説した本を何冊か贈った人がいたと聞いた。野球界にも自覚症状があるようだ。



アメリカの資本主義#4

2008-03-22 07:46:14 | 200803

会社の上下関係が厳しい:<o:p></o:p>


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<st1:msnctyst w:st="on" address="新宿区" addresslist="13:東京都新宿区;">新宿区</st1:msnctyst>の大久保特別出張所が「もっと知りたい!大久保」と題した冊子を作って各戸に配布してくれた。これが意外に(失礼)面白かった。色々と考えさせてくれた。<o:p></o:p>


中でも私が興味を持ったのが「外国人が日本に来て意外に思ったこと」というコラムだった。その中でフランス人が「会社の上下関係が厳しく会社の中では仕事がしにくい」と述べていたことには「我が意を得たり」という思いがあった。<o:p></o:p>


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この点は「日米企業社会における文化の違い」でも述べてきたことである。すなわち、“事業部内では副社長兼事業本部長=Vice president and general managerVP&GM)に権限が集中して最も偉く、各部員は年齢・経験・能力・業務内容は別問題として、彼または彼女の下に横一列であること”をヨーロッパ人が再確認してくれたと解釈したのだから。<o:p></o:p>


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私はこれぞ典型的な文化の違いであると思っている。日本語的な敬語がない英語という言語のせいもあると思うが、アメリカの組織の中にいれば日本の会社組織とは違い、肩書きや職位による「偉さ」の違いをあからさまに感じることは少ない。現実は日本の会社内よりも取締役・事業部長に当たると私が思っているVP&GMの偉さは、新入社員と専務などの役付役員の違い以上に離れていると認識していた。<o:p></o:p>


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言い方を変えれば、組織の中ではGMを除けば「偉さ」の差がほとんど無く、誰に対しても細かく気を遣わずに自分に割り当てられた仕事だけをしていればよいのである。根回しであるとか、この件は課長を通さずに部長に申し上げたのが不味かったか等という配慮はしないで済むのである。さらに言えば、事に当たって他の事業部との交渉や根回しなどは一事業部員が心配する事柄ではないと思っていて誤りではあるまい。もしも難しい点があるとすれば、それが越権行為であることだろう。そういうことをGMに任せずに自分で処理しても叱責されることもないだろう、今後その仕事を自分のJob descriptionに自分で書き加える気があれば、問題にはならないだろう。<o:p></o:p>


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このような文化の違い、すなわち仕事の割り振りの違いと「偉さの順番」に違いがある組織から、日本の入社年次による年輪があり、主任→係長→課長代理→課長等々と昇進していくことを知らずに入ってくれば、「意外」と受け取るのだろう。換言すれば「日本の組織の中に入ろうと思ったならば、それくらいの文化の違いを認識してから来い」と言いたくなる。<o:p></o:p>


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最後に自分の経験のエピソードを披露しよう。1990年だったかに、ご案内するお客様の都合で、シアトル市の北の外れにある有名ホテルに泊まることになった。そこから本社は南にあり約45km離れていた。私は一日早く到着し、早速本社に打ち合わせに向かった。運転しない私はタクシーに乗った。ホテルから出ないうちに真正面に社長が現れた。窓を開けて挨拶した。「何処に行くのか?」と尋ねられた。「本社です」と言うと「いくらかかる?」と尋ねられた。「40?です」と答えると「勿体ない。降りろ。私が送ってやるから」と言われた。念のため申し上げて置くが、彼らの帝王学では東京営業所のマネージャーでも名前も顔も当然のように承知しているのである。<o:p></o:p>


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社長の車はホテルの駐車場ではなく料金が安い屋外に置いてあった。勿論彼自身が運転するのだ。余談だが彼の愛車は真っ赤なポルシェだった。「エンジン音が煩いけれども我慢してくれ」と断られた。45kmを走る間中は心臓が止まりそうな質問ばかりだったが、汗をかきながら思い切って全部答えた。本社に着いた時社長が言った「お前の所のVPに『事業部の交通費を40?私が節約してやったぞ』と言っておけ」と。これがいわばアメリカの45千人(当時)の社員がいる会社の偉さの順番である。私は「日本の会社組織ではこういうことが起きるだろうか」と考えながら事業部がある3階に向かった。<o:p></o:p>



九州縦断旅行の零れ話

2008-03-22 06:40:46 | 200803

始めに巨人が嫌いであることをお断りしておく。巨人が好きだ等という人は野球をよく知らない人だとすら考えている。<o:p></o:p>


 
 ということで、宮崎県の青島に第1日目の夕刻に到着した。巨人の某大監督がご贔屓にされ愛用された球場には、ご自身が命名されたとの伝説も承っていた。ガイドさんの説明では青島グランドホテルをキャンプ中は巨人が借り切って一軍のみがここに滞在が許され、二軍以下はホテルの裏庭にプレハブを建てて合宿していたとのことだった。<o:p></o:p>


 
 昨年5月に大学のクラス会で長野県の別所温泉に一泊した際に、そこの最大だった旅館が廃業して廃墟と化しているのを見て、巷間伝えられている熱海等における温泉旅館業の苦悩を見た。私は密かに会社の旅行というおいしい商売が年を追うごとに減ってきたことが、最大の原因の一つであると信じているのだが、どうだろう?今時の若い者(
古めかしい表現である)があのような娯楽を好むわけがないと思う。かく申す昔の若者は社員旅行が好みではなかった。時の流れであると思って受け止めている。<o:p></o:p>


 
 青島もこの不況の例外たり得なかったようで、このグランドホテルに隣接した多くの廃墟を見て、その感を深くした。ナルホド東国原知事が「どげんかせんといかん」言うわけだ。<o:p></o:p>


 
 ところが、このグランドホテルは良くなかった。某大監督が他の施設では危ういと見て選ばれたのか、ここを高く評価されたかは知らぬが、設備が甚だしく老朽化していた。部屋が狭く、今時珍しくオートロック式ではない鍵、風呂場も湯船も小さく「何だ、これは?」と言いたいホテルだった。第一「巨人コーナー」とでも呼びたい選手の写真に混じって女将が大監督とトゥーショットの写真を麗々しく飾っている神経は理解しがたい。巨人嫌いのお客に不快感を与えるではないか!<o:p></o:p>


 
 ここには唯一私が評価したことがあった。それは長い年月巨人の連中を手掛けてきたフットマッサージの川崎師がいたことだった。その日は朝から脚がはっていた感があったので、302千円の料金にも惹かれて治療をお願いしてみた。同師は経験豊富で即座に当方に不調の原因を指摘された。そして、私の身体には歩行が必要だが、義務観念でやっているようでは効果が出ないとズバリと指摘されたのには感動した。<o:p></o:p>


 
 彼は法政大学で体育会のバスケットボール部におられたが、卒業後には実業団の勧誘を断ってアメリカに渡り、マッサージを習得されたそうである。30分以上も治療して貰った上で色々とためになる話を聞かせて貰えたことは、今回の旅行の収穫の一つとなった次第。<o:p></o:p>


 
 それにしても、観光立県を目指している宮崎のいわば巨人と二本立てでの看板ホテルがあの有様では先が思いやられる。さて、東国原知事はどうするのか?これは一宮崎県だけの問題ではあるまいと思う。聞けばシーガイヤの室内プールも閉鎖されたと言うではないか?巨人はどうでも良いが。<o:p></o:p>



日清食品がECOカップ採用だと

2008-03-21 19:31:00 | 200803
何を今更と言いたくなるようなプラスティックから紙製のカップへの変更だ。

環境問題については嘘ばかりだと、中京大の武田教授が書いておられる。誠にその通りで、紙が貴重な天然資源である森林を無駄にしていると見てきたような嘘を言った奴がいたことをお忘れか!

東南アジアの焼き畑農法に驚き、南洋材の乱伐を見てパルプや紙の原料にされていると信じ込まされたそそっかしい人たちは、何とこともあろうにプラスティックに転進していった。石油と木材の何れが"Renewable and sustainable resources"かも知らないで。

そこで年移り人変わり、今度はCO2問題が大きく取り上げられて風向きが変わってきた。その一環がポリエチレン等の製品であるレジ袋の有料化や廃止である。あの時に無定見に紙の袋を止めたのは何処の人たちだったか?

と思えば、今度は「スチロールカップから紙へ」だそうだ。カップ麺が登場した頃に大手印刷業者は真剣に断熱性を持たせた紙カップの開発に努力していた。その際にはその熱意と努力を退けておいて、今度は地球環境だそうだ。

でも良いじゃありませんか。英語の古い諺に"Better late than never"というのがあるのだから。きっと前非を悔いてCO2排出削減に努力されるのだから。

おそらく紙製にした方が経済性も出てくるのではないのだろうか等と、つい勘ぐりたくもなる。