新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

言葉は生きている、生きているから変化する

2014-03-24 15:44:34 | コラム
変化する日本語:

目下春の高校野球が開催されている。何気なく中継放送を見ていると、アナウンサーが何ら躊躇うことなく「12個の奪三振を奪い」と言っていた。近頃頻繁に聞かされる重複した表現のほんの一例である。この他には一寸思い付くだけでも「炎天下かの下」や「後で後悔する」や「三日間の間」といったものがあるが、これら以外にもおかしな言葉などはテレビを聞いて?いれば、いくらでも出てくると思う。

こういう漢字の表現のおかしな使われ方以外に、野球中継ではカタカナ語批判派の私にとって聞き辛いものに「ストレートをアウトコース高めに」であるとか「ネクストバッターズ・サークル」や「バックネット」塔の野球独特のカタカナ語が出てくるが、今回はそれらを採り上げるのが本旨ではないので、またの機会に譲る。なお、本来の英語は"fast ball"、"high on outside"、"~ is on the deck"辺りになるだろう。

私はこういう重複した漢字の使い方を聞いていると、その原因が幼児期から小・中学校における国語教育の劣化にあるのか、あるいはそれと似たようなことだが、漢字の意味を正しく把握出来ていないのか、あるいは家庭教育が行き届いていない事の何れかにあると推理している。そこにテレビに登場するタレントとかいう人種と芸事に熱中した余りに学業を疎かにして芸人に成れた連中が間違った日本語を垂れ流していることが、おかしな日本語の普及に貢献していると考えている。

私は「要するに耳から入ったものは頭の中に残りやすい」という、言葉を覚えるのに最も有効な方法がマイナスに作用しているのだと考えているが、如何なものだろう。しかし、「奪三振を奪う」をおかしいと思わないアナウンサーの感覚と、それを放置するNHKには疑問があるとは言っておく。

ところで、1970年頃だっただろうか、来日した韓国中規模財閥のオウナーの長男でアメリカのUCLAのビジネススクールに在学中の方のお相手をしたことがあった。お互いに十分に英語で意思の疎通が可能だったが、私はアメリカで大学院にいるのだったら自由に話せる能力があって当然だと思っていた。だが、この頃でも既に韓国の富裕層では子弟をアメリカ留学に出すのは当たり前だったようだ。

このご長男は「私が話す韓国語が目下ソウルでは最も現代的であると認められており、自分たちの仲間には広まっている。我々が言葉を変化させているのだ」と語っていたのが印象的だったし、現在のおかしな日本語の普及を聞いていて、この話を思い出した次第だ。

その一件を思い出してみれば、言葉は確かに変化している。思い付くままに例を挙げていけば、最早何とも感じなくなった「1万円からお預かりします」がある。これは恐らく言わば小売のチェーン店や飲食店でマニュアル化されているのだろうが、「1万円お預かりします」と「1万円から頂戴します」が混合されたものだろう。往時は「間違っている。ちゃんと1万円お預かりしますと言え」と叱責する厳しい方も見受けたが、今やそういう奇特な方もおられなくなった。

もう一つ聞いていてウンザリなのが「~して貰って宜しいですか」とか「~さんで良かったですか」という尋ね方が横行していることだ。前者は「~して下さい」で良いと思うが、これを使う連中にとってはそれが丁寧語にでもなっているのだろう。後者は「~さんですか」か「~さんでしたね」で礼を失していないと気がするのだが。出来る限り丁寧にすれば「~さんでいらっしゃいますか」などもあるだろうか。

最後にテレビに登場する連中が広めたと思う例に「私の中では」か「自分の中では」がある。この普及の速度は速かった。私はおかしな表現だと思って聞いている。私はこの表現で言わんとしていることは「私が考えるには」か「私の考えでは」か「私が思うには」か「私の見解ないしは意見は」辺りだと思って聞いている。もっと率直に言えば「何故に他人の真似をしてこんな回りくどい言い方をするのか」と問い掛けたいのだ。

だが、言葉は生き物で時代とともに変化していくと言われているので、正統な形と方向に変わって行くのならば何ら異議を唱えるものではない。だが、おかしな表現や誤った言い方を真似ていくのは、如何なものか言いたいのである。おかしいかおかしくないかの判断能力がなくなったのではとも危惧している。

しかし、テレビのようなものやスマートホンのような進歩ないしは変化が早いものが、IT化とともに若者の中だけではなく中高・壮年者にも広まっていけば、我々後期高齢者が古物化一層して近代化に置いて行かれただけかも知れないと、秘かに危惧する今日この頃だ。

近頃気になる事柄

2014-03-23 14:50:26 | コラム
マスコミ論調に惑わされないこと:

小保方晴子氏の件:
私は問題点は寧ろSTAP細胞の研究の成果を如何に評価するかであって、マスコミが競って剽窃があった事で全てが帳消しになり、エプロンやホテルの宿泊代の出所や、研究室の壁紙が何色かというようなことに論旨をすり替えてしまったのは不当でアルトすら考えている。彼等にはあの研究の価値を判断する能力も基準も持ち合わせがなく、研究の当否を離れたところに一般人の視点を集中させる意図があるように見える。

この点については国際法の研究者であるTY先生からも、下記のようなご意見をお聞かせ頂いたので引用しておきたい。

<彼女の研究も、その最前線にあり、私は、だれにでも黒白がわかるような「剽窃」問題を議論するだけではなく、チームの研究の可能性に関心を集中すべきです。大胆に言うと、「剽窃」問題よりも、その研究の可能性に関心を集中し、もし、「剽窃」を云々するなら、これが研究の何を阻害することになるかの視点から論じるべきです。

「香港の研究グループ」を含めた競争研究集団から 、日本が自滅の自作自演をしているなどと思われてはなりません。この研究は重要です。是非とも、彼女のグループが気を取り直して、成果を上げるように応援するのが、必要かと思います。「剽窃」は小事だと思いません。しかし、「応用」と区別がつかないのが実際です。>

河野談話の見直しはしない:

マスコミ報道では「この安倍総理の声明を韓国の朴大統領が良しと評価して首脳会談が開催させる運びとなった」とされているが、ある事情通からは「韓国語のニュアンスはそれほど肯定的なものではなく、最低限度の評価であり、あの大統領が一朝一夕で変わるものではない」と楽観論を許さない論評が為されていた。安倍総理と菅官房長官の今後の対韓国の外交作戦が如何なるものかなどは想像も出来ないが、北朝鮮の拉致被害者問題の先行きとともに予断を許さない問題であると思っている。

安倍総理には綿密な作戦の基に何としても朴大統領の歪んだ反日で抗日の姿勢を可及的速やかに改善させて頂きたいと心の底から願っている。同時にマスコミや言論界に巣くう反日勢力を叩きのめして頂きたいものである。彼等は国賊である。

オープン戦の成績などに関心がない:
話題を余りにも大きく変えるが、プロ野球の14年のシーズンの開始が今週末に迫ってきた。私は従来から「オープン戦の結果の報道を見ていれば全12球団に優勝の機会があり、新人選手は皆3割の打率か20勝投手となってしまわんばかりの楽観論ばかりで、見るにも聞くにも値しない」と唱えているので、テレビでも新聞でもその欄は無視している。野球という職業は、プロフェショナルになるのは、それほど易しいものではないのだ。

この辺りからは尊敬するジャズ評論家の粟村政昭氏が嘗て「全てのLP(当時はそれしかなかった)のライナーノートを見れば名盤ではないLP等無きが如きだ。書き手は皆レコード会社の意を帯しているのだから」と言ったのが思い出される次第だ。そういえば、ただ今は清らかな瞳の高校生が甲子園に集う春の選抜高校野球が開催されて「球春来る」をこれでもかと感じさせてくれている。いや、もうそろそろ景気・政治・外交の世界に本当の春が来て欲しいと切望しているのだが。

東京のTourist attraction

2014-03-22 10:51:48 | コラム
意外に知られていない観光名所がある:

東京生まれの東京育ちを標榜しながら、「知らなかった」と思わず言ってしまった名所はいくらでもあった。例えば空襲で焼かれてしまった家の直ぐ近くの六義園の夜桜とそのライトアップ、亀戸天神社の藤祭り、根津神社の躑躅等がある。我が家の直ぐ近くと言っても良い下落合の薬王院の牡丹は、間違って入っていたので承知していた。

ここ新宿区百人町にはちっとも誇りにはならない、かのKoreatownがある。ここも遍く知られている割りには見学?に来られた方は少なく、これまでに少なくとも10組をご案内して、悲憤慷慨されるか、亡国の現象と慨嘆されるか、呆れ返るか、見たくもないものを見てしまったのように嘆かれるか等の反応を見てきた。名所とはとても言えないが、我が国の将来の危機の芽として観察して置いて頂きたいものだ。

それ以外にも友人知己の方々とここ数年間に見に行くかご案内した名所を挙げてみると、原宿の竹下通りは高齢者の部類に入る方には「知らなかった」と評価され、門前仲町の成田山の本堂に感心された後で富岡八幡と深川飯を堪能され、代官山の近代化とベビーカーのラッシュに驚かれ、巣鴨の地蔵通りの賑わいを楽しまれ、浅草の仲見世の面白さを再認識された後で駒形のどぜうで温故知新という具合で方々を歩いてきた。

一昨年だったか副都心線の全面開通前には懐かしき横浜の南京町(今は中華街と言うが)を訪れて、その甚だしい観光地的な俗化を嘆き悲しんだこともあった。元町の商店街でも往年のその昔の横浜的なスマートさがなかったように気がして残念だった。

東京には未だまだ季節によっては彷徨ってみれば楽しい、神宮外苑というか青山通りと直角の銀杏並木もあれば、染井や青山の霊園の桜もある。また、当方には未だに地理を覚えきれない渋谷の喧噪の中を歩くのも一興だろう。喧噪と若者が多いと感じる池袋も彷徨い歩いておくべきかも知れない。何れはオリンピックで変貌するかも知れないお台場も行ってみておく必要があるだろう。

全く不案内だった錦糸町も2005年から行くようになって興味を感じたし、そこから近い両国にも見るべき所はある。また、上野方面には訪れるべきかと思う文化的なところも多いが、アメ横などにも捨てがたい興味も要素もある。銀座だって暫く見ていないと全く別の町となってしまった感があって驚かされる。先日もテレビで見た立ち食いのイタリア料理店を見て、時代の変化を痛感させられたが、コンビニが出来るよりはましだろうと思った。

正直なところ、上記のところ意外に当方が知らないか行ったことがない名所は未だいくらでもあると思う。明治神宮を観光の対象にするのは失礼に当たるだろうが、一度は行ってみる価値があるところだろう。なお、最後に英語の講釈で、表題の"tourist attraction"は観光名所のことで、"tourist trap"とすると「観光客を食い物にする場所」になってしまう。

カタカナ語に思う

2014-03-21 17:44:59 | コラム
ノンカフェとなっていた:

ノンカフェ → caffeine-free
解説)当方が体力と気力がともに下がった時に飲む若甦というドリンクがある。これにはカフェインが入っているものと入っていないものとある。その入っていない方には「ノンカフェ」と表示されている。これは、如何にも英語でもそういう表現になっているだろうと思わせてくれる。だが、実際には "caffeine-free" である。以前にも free の使い方を採り上げたが、「抜き」をこのように表現するのだ。何でも "non" とすれば良いのではない。

コーヒーにも「カフェイン抜き」がある。では、アメリカに行ってこれを注文する時には何と言えば良いかだが、「抜き」を "decaffeinated"というのだ。何故か、freeは登場しない。それのみならず、短縮して "decaf" 等という。ここでは「ディーキャフ」のように "de" にアクセントを置くのだ。

クロワッサンドーナッツ → croissant doughnut
解説)アメリカにもというか、こういう二つの種類を一つにしたドーナツがあるようだが、我が国では迷うことなく「クロワッサンドーナッツ」か」「クロナッツ」等という名称になっているようだ。人気商品だそうだ。言うまでもないことで、クロワッサンはフランス語である。アメリカ人は躊躇せず「クロイサン」と発音し、飽くまでも英語読みを捨てない。

しかし、カタカナ語の創造に際しては融通無碍な我が国では、堂々と仏語と英語を混合させて「クロワッサンドーナッツ」にしてしまうのだ。言わば「テーマ・ミュージック」や「テーマパーク」と同様な手法である。しかし、もしも「クロイサンドーナツ」と銘打ったら人気商品にはなり得なかったと容易に想像出来る。

コラボ → collaboration
解説)つい先日、平井何とや言う男性歌手と安室奈美恵のコラボの新盤が出ると芸能ニュースで騒ぎ立てていた。「コラボ」とは恐らく "collaboration" か "collaborate" を詰めた言葉だろうと想像がついた。"collaborate” はOxfordには "to work together with ~ in order to produce or achieve ~"とある。ジーニアスには「合作する」と「協力する」ががある。故に言葉の誤用ではないと言える。

しかし、感心するのは、このカタカナ語を作り上げた人の豊富な語彙である。私ならば、精々"work together" くらいしか思い浮かばないだろう。これは皮肉でも何でもなく、カタカナ語を想像する際に良くこのような滅多にというか、日常的には使わない言葉を思い付くものだと言いたいのだ。正直なところ、私は、恥ずかしながら "collaborate" のような単語を使えなかった。

私は、そこに、我が国の単語と単語帳を重視する英語の教育法の負の意味での成果を見出すのだが。如何なものだろう。

国の内外を眺めれば

2014-03-20 09:33:51 | コラム
19日の早朝の室温が19度、湿度45%:

国内を見れば:
19日朝は久し振りのこの好条件。恐らくこの冬初めてのことで、ダウン・ジャケットを着ないで9時半に出発し午後3時半過ぎに帰宅。しかし、その頃には既に空は薄曇りで何処となく薄ら寒くなっていた。20日朝も19度台だったが、天気予報では最高の温度が昨日よりも6度も下がって9度とか。めっきり気温の上下の変動に弱くなってきた高齢者としては、雨も降り出したことでもあり、安全策を採ってフィットネスクラブ行きを見送ることにした。あーあ。

ところで、テレビのニュースは昨日から例の物袋(モッテ)という珍しい名字の男が犯した遺体遺棄のことを報じている。私は聞いていて違和感を禁じ得ないのが彼を「ベビーシッター」と定義?することだ。あれは疑似ないしは違法託児所だと思うのだ。私は1988年に初めてフィラデルフィアで女子大学生のアルバイトを見たところでは「ベビーシッターとは幼児を預かるのではなく、留守にする家に出向いていく仕事」だと思っていた。

現にOxfordには"a person who takes care of babies or children while their parents are away from home and is usually paid to do this"となっている。即ち、預かるとはなっていない。これでは当方の批判する「カタカナ語」の誤った用法であろう。この問題は措くとしてこの物袋なる者は現代の諸刃の剣と化しつつあるインターネットを悪用する好ましくない知恵が発達しているようだ。私の表現では「インターネットというコインの裏側」を見せてくれた行為」になる。

昨日も往復で合計60分ほど都営地下鉄を利用していた。そこで7人掛けの席に座って見えてきた現象は、若者どころかいい歳をした大人までが座るやいなやスマホなるものを取り出して忙しげに指を動かすことだった。ビジネスマン風は別にして女子も含めて若者は圧倒的にゲームだろうと思われることに集中している。既に何やらガチャ等の射幸性が高く費用が高額となるゲームを中止した会社もあると聞くが、老人風(老人としてか?)に言えば「良い若者が昼間からこんなものに熱中しているのには亡国の兆しを見出す」のだ。

海外に目を転じれば:
昨日の大きなニュースに「ロシアのクリミア併合」があった。私には事の政治的経済的且つ軍事的重大性も兎も角、プーチン大統領は食えない指導者であり、あの容易には対抗も抵抗も許さないだろう強硬な姿勢が気懸かりだ。思うに、現在のヨーロッパから旧ソヴィエトの圏内で最も強か且つ巧妙な指導者がプーチンではないかと思う。

安倍総理も5度の会談を重ねて彼と友好関係を確立し、北方領土奪回作戦等に注力されてきたことは評価して挙げねばならないと思っている。だが、今回のプーチン大統領の作戦の巧妙さというか、些かその外交能力に疑問を感じにはいられないアメリカの大統領の現状以上の動きを封じ込めを策する辺りには、EU諸国にも我が国にとっても、事態は容易ならざるものがあると痛感する。

またアメリカの景気は住宅産業が漸く復調してきたのは良い兆候だが、自動車業界ではGMは大量なリコール問題の処理でトヨタの後手に回っているようで気になる。あの様子では復調が遠のいた感もある。兎に角、私にはアメリカは内政・外交・経済等に未だに問題を抱えていながら、大統領の優柔不断な姿勢が気になって仕方がない。彼には「本気でアメリカが世界の景気回復の先頭に立たねばならないとの認識をお持ちですか」と伺いたくなる。