コピペと表現したメデイアもあったが:
小保方晴子博士の論文には、他者の論文から取られた箇所があったと報じられている。中には「コピペ」との表現もあったが、これと剽窃(="plagiarism")とは同義語ではないと思うし、別個の行為だと思う。何れにせよ、既に述べたように看過出来ない事象だと思う。
先ほども回顧したが、1991年頃だったかにアメリカから帰りの便で隣に座った日本の若者と語り合った際に「他人が作ったメロディーで気に入ったものがあると、つい自分の演奏中に使ってしまうことがある。そして何回も繰り返して使う間には編曲もするし、それを基にアドリブもする。その中にそれが自分で作ったフレーズだと思い込んでしまう結果になってしまうものだ」と聞かされた。
私にとっては「音楽とはそういう面もあるのかな」と思わせられただけだった。だが、この話を本社の女性マネージャーにしてところ、「結局のところ、それは"plagiarism"ではないか」と決め付けられてしまった。即ち「剽窃だ」と決めつけたのだった。そういうものかなと思っただけだったが。
ところが、私には事「剽窃」については意外な経験があった。それは1988年9月にW社の新設工場に我が国の最大手のメーカーの工場の製造課長さんをご案内して、工場が難渋している新マシンの操業のご指導を願った時のことだった。現場の言わば班長たちが「このマシンを製造元から支給されたマニュアル通りに何度動かしても製品が目指す品質に到達しないのは何故だろう」と質問した。
課長さんは暫く考えて答えた「そのマニュアルが理論がどれだけ優れたものであったとしても、その指示通りに条件を設定して操業しても目指す品質が達成出来ない(結果が出ない)のならば、その設定条件は単なる仮説に過ぎないのではないか。貴方たちはマニュアルを離れて自分たちで考えて操業条件を設定してみたら如何か」だった。私は素晴らしい指摘だと通訳しながら感動した。現場も納得した様子だった。
この話を本社に戻ってから、親しくしている元上司のRW氏夫妻との夕食会で採り上げてみた。因みに、この夫妻はともにMBAであり、2人のお子さんたちも長じてMBAとなった言うなれば知的な一家である。夫妻も課長さんの指摘に大いなる感銘を覚えたとの感想を述べて、この件で大いに盛り上がった。私は1990年から開始した専門誌の連載でこの件を採り上げていた。
ところが、何ヶ月か後になってW氏から予想もしていなかったことを告げられた。それは「予定ないしは期待された結果が伴わない理論などは仮説に過ぎない」という説は何とか言う学者が何年も前に発表していたもので、その限りでは新鮮味はなかった知った」というものだった。私はその課長さんがその場で即席に言い出したものだと信じ込んでW氏に紹介したのだが、解釈の仕方ではその課長さんの剽窃だったかも知れないのだ。だが、私はそういうことはあり得ないと確信していた。
更に、自分自身の書いたものを振り返れば、私は忙しいとの美名に隠れて転身後は、不勉強で多くの本を読んでいる訳でもない。そして、経験したこと、自分で見たり聞いたりしたこと、海外で経験して学んだことを基に書いてきたのだから、「これぞ我が新発見の事実か理論である」と喜び勇んで書いたものが、もしかすると単なる剽窃と思われたり、パクリだと指弾されてしまう危険があるかも知れないと思うと、何となく書くことが恐ろしいことだとさえ感じてきた。
とは言っても、私が書くものは学術論文ではないので、他者が書いたものを参考にしたと明記しないで流用するのとは次元が違うと思う。そういう難しさがあるからだろうが、お手伝いした英語の論文には「ここまで明らかにして書かねばならねばならないのか」と感心したほど詳細に参考文献に記載されていた。そうして剽窃がないと立証される労力も大変だろうが、研究者の論文にはそこまでの苦労が必要なのだと知り得ただけでも収穫だったと思っている。
小保方さんは、まさかそこが自分の考えと同じだと思って他者の論文を出典を明らかにしなかったのではないだろうな。
小保方晴子博士の論文には、他者の論文から取られた箇所があったと報じられている。中には「コピペ」との表現もあったが、これと剽窃(="plagiarism")とは同義語ではないと思うし、別個の行為だと思う。何れにせよ、既に述べたように看過出来ない事象だと思う。
先ほども回顧したが、1991年頃だったかにアメリカから帰りの便で隣に座った日本の若者と語り合った際に「他人が作ったメロディーで気に入ったものがあると、つい自分の演奏中に使ってしまうことがある。そして何回も繰り返して使う間には編曲もするし、それを基にアドリブもする。その中にそれが自分で作ったフレーズだと思い込んでしまう結果になってしまうものだ」と聞かされた。
私にとっては「音楽とはそういう面もあるのかな」と思わせられただけだった。だが、この話を本社の女性マネージャーにしてところ、「結局のところ、それは"plagiarism"ではないか」と決め付けられてしまった。即ち「剽窃だ」と決めつけたのだった。そういうものかなと思っただけだったが。
ところが、私には事「剽窃」については意外な経験があった。それは1988年9月にW社の新設工場に我が国の最大手のメーカーの工場の製造課長さんをご案内して、工場が難渋している新マシンの操業のご指導を願った時のことだった。現場の言わば班長たちが「このマシンを製造元から支給されたマニュアル通りに何度動かしても製品が目指す品質に到達しないのは何故だろう」と質問した。
課長さんは暫く考えて答えた「そのマニュアルが理論がどれだけ優れたものであったとしても、その指示通りに条件を設定して操業しても目指す品質が達成出来ない(結果が出ない)のならば、その設定条件は単なる仮説に過ぎないのではないか。貴方たちはマニュアルを離れて自分たちで考えて操業条件を設定してみたら如何か」だった。私は素晴らしい指摘だと通訳しながら感動した。現場も納得した様子だった。
この話を本社に戻ってから、親しくしている元上司のRW氏夫妻との夕食会で採り上げてみた。因みに、この夫妻はともにMBAであり、2人のお子さんたちも長じてMBAとなった言うなれば知的な一家である。夫妻も課長さんの指摘に大いなる感銘を覚えたとの感想を述べて、この件で大いに盛り上がった。私は1990年から開始した専門誌の連載でこの件を採り上げていた。
ところが、何ヶ月か後になってW氏から予想もしていなかったことを告げられた。それは「予定ないしは期待された結果が伴わない理論などは仮説に過ぎない」という説は何とか言う学者が何年も前に発表していたもので、その限りでは新鮮味はなかった知った」というものだった。私はその課長さんがその場で即席に言い出したものだと信じ込んでW氏に紹介したのだが、解釈の仕方ではその課長さんの剽窃だったかも知れないのだ。だが、私はそういうことはあり得ないと確信していた。
更に、自分自身の書いたものを振り返れば、私は忙しいとの美名に隠れて転身後は、不勉強で多くの本を読んでいる訳でもない。そして、経験したこと、自分で見たり聞いたりしたこと、海外で経験して学んだことを基に書いてきたのだから、「これぞ我が新発見の事実か理論である」と喜び勇んで書いたものが、もしかすると単なる剽窃と思われたり、パクリだと指弾されてしまう危険があるかも知れないと思うと、何となく書くことが恐ろしいことだとさえ感じてきた。
とは言っても、私が書くものは学術論文ではないので、他者が書いたものを参考にしたと明記しないで流用するのとは次元が違うと思う。そういう難しさがあるからだろうが、お手伝いした英語の論文には「ここまで明らかにして書かねばならねばならないのか」と感心したほど詳細に参考文献に記載されていた。そうして剽窃がないと立証される労力も大変だろうが、研究者の論文にはそこまでの苦労が必要なのだと知り得ただけでも収穫だったと思っている。
小保方さんは、まさかそこが自分の考えと同じだと思って他者の論文を出典を明らかにしなかったのではないだろうな。