新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5日夜の男女代表のサッカー

2014-03-06 08:17:09 | コラム
我が同胞と欧米人との体格の差を見せつけられた:

私自身がアメリカ人の中で22年も仕事をしてきてかなり痛烈に感じていたことの一つに、体格とその強さとの差と言うか身体の構造の大きさの違いがあった。もっと解りやすく言えば、足の長さの違いである。

1990年に本社出張後に休暇を取って家内とニューヨークに向かった。4月のNYは未だ寒くて日が落ちてからは寒さ対策に腐心した記憶がある。この時に某商社がウインターガーデン・シアターで上演中の "Cat" の切符を取って下さったので、物珍しさで嬉々として見に行った。確かに迫力あるダンスに圧倒された。良い経験をさせて頂いたと感謝した。

その際に非常に印象に残ったことの一つに、踊り手の中に明らかに東洋人(日本人か?)と見える男性がいたことだった。私にはあのショーをヴァレーと言うかどうか知らないが、その種の踊りの巧拙を判断する基準の持ち合わせなどなかった。だが、この男性のダンサーは明らかに跳躍力に優れその高さは際立っていた。だが、彼が高く飛べば飛ぶほど、他の欧米人系の男女の踊り手たちとの足の長さの違いが非常に目立つのである。足の長短は技術とは無関係だくらいは私にも解るが、その違いが何故か非常に目立っていた。それだけのことで、Catそのものは堪能させて頂けた。

昨夜のサッカーを見ていると(夕食会があった関係で男子は後半の17分からで、女子は前半のみで寝てしまったが)男子は格下を相手の拙戦が目立った歯がゆかった。女子の方がサッカーとしての筋が通っていて、あれほど体格と瞬発力に優れたFIFAのランキング第1位のアメリカを相手に臆することなく善戦健闘していた。

しかし、ここでも目立ったことは、アメリカはダッシュ力に優れて球への寄せが早いだけではなく、その長い足を十分に活かして我らが代表よりも一瞬早く球を奪い去るか、我が代表が親切に弱めに蹴っているパスのコースを読み切ってインターセプションにしてしまうのである。即ち、同じ速度で球に寄っていけば、足が長いアメリカ人の方がほんの僅かの差で奪い去っていく場合が極めて多かった。アメリカはこれを有力な武器として細かくパスを回して組み立ていようとする我が代表のフォーメーションを寸断することが多かった。

アメリカはその素早い寄せと瞬間的ダッシュ力でボールを支配し、磨き上げた細かい技巧を主たる武器として攻め上がろうとする日本勢を圧倒する場面が多かった。我が方にも海外のティームに移籍して足の長い連中の中に入ってその対策と体格の有利さを活かした当たりを経験し、それに負けない強さを身につけた大儀見のような者もいる。だが、未だ全員が「足の長さの違い」と「体格というか大きさとの勝負」対策が不十分だったと見えた。

それでも、そのアメリカを相手に「1対1」で引き分けに持ち込んだのは立派だったとは思うが、W 杯を取った時とほとんど顔ぶれば変わっていないのが気懸かりである。男子は後半だけしか見ていないので論評は避けるが、あそこだけ見たのではお先真っ暗とまでは言わないが、補欠的に今回呼ばれた連中の力が余りにも不足だし、直ぐに後ろに戻す消極性は不満だし、不安材料が多いと見た。