新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月21日 その2 2015年度 世界の紙・板紙の生産と需要量

2016-11-21 15:49:54 | コラム
我が国はマイナス成長:

別途、新聞の発行部数と新聞用紙の生産量の落ち込みを採り上げてあったので、ここでは全世界の紙・板紙の生産と需要量を採り上げてみた。

*2015年度 紙・板紙生産量、及び需要量 (対前年比 %)

<生産>                 <需要>

世界合計: 4億759万5千トン(+0.4%)  4億1,069万8千トン(+0.3%)

アジア: 1億8,469万トン (+1.0%)    1億8,604万7千トン(+1.2%)

欧州: 1億652万6千トン(+0.3%)      9,820万2千トン(横這い)

北米: 8,299万2千トン(-1.5%)     7,633万2千トン(-0.8%)

日本: 26,855万トン  (-2.1%)    26,868万トン   (-2.1%)


紙・板紙の需要が景気のバロメーターという古き良き時代の言い習わしがある。そこで、アメリカの紙パルプ業界の専門調査機関であるRISIが発表した2015年の統計を見ると、我が国だけが突出して生産も需要もマイナス成長だったことが解る。中でも新聞用紙が14年度の317万5千トンから302万トンと対前年比で△5.8%と大きな落ち込みとなっていた。どうやら、我が国の景気はこれに見る限り未だ低迷していると言えるのは残念である。

参考資料:RISI


新聞の発行部数が減少していた

2016-11-21 14:12:33 | コラム
10年間に15.8%の減少:

私はこれまでに繰り返し「アメリカでは新聞用紙の生産量が10年間に60%も減少し、印刷媒体の衰退を如実に物語っていた」と述べてきた。では我が国でもアメリカと同様にICT化が著しく進行し、新聞も含めた印刷媒体(紙媒体)もその影響を受けてきたが、実際にどれほど発行部数が減ったかの資料は中々見かけなかった。そこに、紙業タイムス社刊行の”FUTURE”誌の16年11月28日号にその辺りを示す興味深い記事が掲載されていたので引用してみよう。

日本新聞協会発行の統計資料によれば、2015年度の新聞発行部数は2005年度との対比では△15.8%となっていた。10年間に約16%ではアメリカにおける激減振りとの対比では未だお手柔らかな方であるとは思わせてくれる。そこで、過去10年間の発行部数の推移を簡単に引用してみよう。単位は「1,000部」である。

2005年 52,568 対前年比△0.9%、 2006年 52,310 対前年比△0.5%、 2007年 52,029 対前年比△0.5%、 2008年 51,491 対前年比△1.0%、 2009年 50,353 対前年比△2.2%、 2010年 49,322 対前年比△2.0%、 2011年 48,345 対前年比△2.0%、 2012年 47,778 対前年比△1.2%、 2013年 46,999 対前年比△1.6%、 2014年 45,563 対前年比△3.5%、 2015年 44,247 対前年比△2.5%となっており、10年間に830万部の減少となっていた。こじつければ「朝日新聞の公表する1社分」がまるまる消えたことになってしまうので。

この減少振りを1世帯当たりの購読数で見れば、2005年には1.04部だったものが2015年には0.81部と、20%もの減少となっていた。思うに、この背景には現在の若者たちはスマホ、PC、タブレット等を主体にして情報源を紙以外というかネットに依存しているので、新聞を定期購読していない事実があるのだろう。

アメリカにおける激減振りを新聞用紙の生産量で表したので、我が国おける新聞用紙の生産量の推移も見ないことには片手落ちだろうから、その統計も引用してみる。ここでも過去10年間の対比では2005年には392万 tonだったものが2015年には302万 tonと約23%の落ち込みとなっており、新聞の発行部数の減少をも上回る結果になっていた。これは、我が国では新聞用紙の軽量化(=より薄くする)を図ってきたので、生産量もそれに伴って減少したと見れば解りやすいだろう。

この点を製紙の技術面から解説すれば、我が国の世界に冠たる製紙の技術では、アメリカを始めとする世界のどの国でも為し得ない新聞用紙を薄くなお軽くする事に成功していたからである。海外で新聞を読まれた方の中にはお気付きのこともあるかと思うが、諸外国の新聞用紙は我が国のそれよりも遙かに分厚く、頑丈である事だろう。だが、我が国の技術では原料の木材の消費量を少なくしても、海外のメーカーが為し得なかった軽量化を果たして資源の節約を達成していたとご理解願いたい。

因みに、新聞の広告では我が国では折込広告というか朝刊に挿入されてくるチラシが多いが、アメリカでは広告そのものを紙面に印刷してしまう例が多いので、広告がインターネットに取られていけば、新聞が消費する用紙の数量も減っていく理屈になっているのだ。


11月20日 その2 言い訳

2016-11-20 16:58:02 | コラム
本日も体調不備から立ち直れず:

18日に体調不良のようなことを書いたが、昨日も本日も中々そこから脱出出来ずに、折角の好天にも拘わらず一日中ボンヤリと過ごしてしまった。しかし、何としても更新は続けようと去る13日のものを基にして「アメリカの恵まれざるというか報われざる低層にある人たちのことを考えて、何とか纏めてあるのでご一読賜れば幸甚である。ここに採り上げたのは、アメリカの企業において出世街道に乗った者たちを支えている、内勤で事務を担当する者たちの本音であると思っている。

我が国の有識者やマスコミの方々が中々簡単に接触するとか、取材するようなことがない人たちの声を聞いた経験を基にした辺りに、この一文を何とか纏め上げた意義もあるかと自負している。今夜も早寝にして、何とか明日には立ち直りたいものと念じている。

私が体験したアメリカの実態

2016-11-20 11:32:44 | コラム
2億6,000万人が3億2,000万人となっていた:

1990年代の初期までにアメリカの人口を語る時は2億6,000万人としていた。それが当方がリタイヤーしてから20年以上も経過した今となっては、実に3億2,000万人と何と40%近くも増えていたのだった。人口減少が大きな悩みとなっている我が国とは大きな違いだ。我が国よりも矢張り40%も多くなっているのだった。私にはその増加分が白人だったのではなく所謂「少数民族」即ち、”minority”といわれていた連中が急増したと解釈している。それが証拠に現在では”minorities”と複数形で呼ばれている。

例えば私にとっては第二の故郷のようなワシントン州シアトル市は1993年までの在職中には精々100万人程度の人口で、静かで住環境の良い街だった。ところが、2007年9月に7年振りに訪れてみれば、市内の様相は一変しその昔には見たこともなかったような人種が激増し、馴染みだった多くの高級紳士服・洋品店が消えてしまっていた。人口も嘗ては市内が50万人ほどで周辺の街を合わせても100万人程度だったものが、それぞれ63万人と390万人に達していた。聞けば「住みやすさ、静かさ、治安の良さに誘われて、流入人口が激増したとのことだった。これはほんの一例だが、アメリカの人口はかくして激増していったのだった。

カリフォルニア州などはワシントン州の比ではない交通渋滞の州だったが、そこにはその地での所謂少数民族の代表的な存在でもある韓国人があらゆる所に根を張っており、コンビニやスーパーなどのレジ係の顔を見れば「ここはソウルか」と思わせるほどだった。勿論、ヒスパニックかラテイーノと呼ばれる南米系も相変わらず増殖中で、私はカリフォルニア州を訪れるのだったならば「英語だけではなくスペイン語と韓国語を習ってからにすると良いかも」と提案したいくらいだ。

2010年にはRose Bowl観戦の後で、敢えて話のタネにロスアンジェルス郊外の広大なKoreatownで韓国料理店で夕食をしに入っていった。そこではウエイターもウエイトレスも当然韓国人で彼らは英語は話すが仲間内では韓国語だった。そこで発見したことは、床掃除等の雑役を受け持っていたのは大勢のヒスパニックで彼らは嬉々として働き、ヴァイキング方式(英語はbuffetで良いだろう)の残飯の如きものを賄い食としてあてがわれ、平気で客席のテーブルで食べていたのだった。言わば新参者の韓国人が先住民の職を奪っただけではなく、彼らの雇用主に成り上がっていたのだった。

ここまでで何を言いたかったのかと言えば、アメリカにはこのように嘗ては少数民族と言われた人種が激増し、今ではその「少数」が全人口の半数に迫り何時の日か「多数」即ち”majority”となってしまうのではないかという次第だ。以前にも指摘したことだが、その少数民族は彼ら独自の層を形成し、彼らに適した職を得ていながら、これまではその職を奪い合うような争いを続けてきたので、嘗てのアフリカ系対韓国系の暴動のような事態も発生したものだった。従ってそれらの層」の間には交流などあり得ないものだと私は見なしている。

それらの層とは全く別な存在として「企業の組織内で先ず身分や地位の垂直的上昇があり得ない(簡単に言えば偉くなれないか、偉くさせて貰えない)「白人」の層があるのだ。ここには今回のトランプ氏を支持したと言われている主として州立大等の四大卒の人たちの存在もある。別な表現を用いれば、我が国における銀行とは些か趣を異にするアメリカの銀行には、先ず身分と地位の上昇はあり得ない”clerk”(=事務員)という職(”job”)があり、これに就いた人たちは引退するまでその地位に止まっているのである。アメリカの製造業にもほぼ同様な身分の人たちがいるのは言うまでもないこと。

では、アメリカの企業ではどういう者たちの身分と地位が垂直上昇するのかと言えば、勿論頭脳や実力や手腕や実績も大きく影響するが、何よりも重要なのはハーヴァードやイエールやプリンストン等の大学が代表するIvy Leagueの有名大学のMBA(経営学修士)乃至はPh.D.(博士)の学位を持って入社してきた者たちが、所謂「スピード・トラック」に乗って昇進して行く傾向が明らかなのである。その資格を得る為には、今や年間500~600万にも達する学費を負担可能な家庭に生まれることが必要になるとまで言える気がする。

そこにはアメリカの法律であり、企業社会の文化である「年齢、性別、国籍で人を差別してはならない」ということが、我が国にはあり得ない現象を生じさせているのだ。即ち、年功序列のシステムがない為に、MBAを取得した30歳にならない若手がいきなり数十人もの自分よりも年長者ばかりの部門の長として着任するようなことが日常的に起きてくるのだ。現に、私が「我が生涯の最良の上司」と呼んだ副社長兼事業部長は私よりも10歳年下だったが、その地位に到達したのは42歳だったし、事業部長就任は39歳の時だった。

私は彼の指揮下に入った40歳代と50歳代の所謂事務職の何人かに「あの様な年下の者の指揮下に入ることに不平・不満はないのか」と尋ねてみたことがあった。平均的な答えは「あいつはあの地位になりたくてなったのだ。あそこまで行けば仕事の量も膨大になるし責任も重い。その為には朝は6時や7時には出勤せねばならず、夜も8時までも9時までも残っていなければならず、週末だって休まずに海外を飛び回っている。俺の学歴と能力ではこの身分で十分だ。詰まらないミスをしてクビにならないように適当にやっていく」だった。これを諦めと取るか、妬みと取るかは微妙なものがある。即ち「寄らば大樹の陰」でW社の本社機構にいれば十分だと言っているようでもある。

勿論、これ以下の中小企業にも言うなれば「諦めた」四大卒の白人は幾らでもいる。だが、そういう人たちの中にも、その立場で腕を磨き、実績を付けて何時の日にか大企業に即戦力として雇用される機会が訪れることを狙っているものなのだ。その可能性は無きにしも非ずで、その実例にも確かに出会った。問題は、そういう人たちが自分が恵まれているかいないかと考えているかだろう。それ以下には所謂「プーア・ホワイト」と言われている層があるようだが、私には残念ながら在職中にこの範疇に入るとと思われる人たちとの接触の機会はなかった。

今回のトランプ氏の当選の背景には上記のような白人の層と、労働者階層と、恵まれざる存在だった少数民族が、自分たちを保護しその身分や地位を改善してくれるはずだった民主党政権が一向に期待に応えてくれなかった為に、大挙して共和党のトランプ氏支持に回ったとの解説がある。尤もな話だとと思う。だが、私にはそういう説を唱えておられる有識者や知米派の方々の解説はそこまでに止まり、何故彼らが不満なのか、不満の背景には何があるのかにまでは言及していないので、私の経験から知り得たアメリカの上記のような階層の人たちの諦感と多数となるかも知れない少数民族がどのように喘いでいるかを取り上げてみた次第だ。

和製英語(カタカナ語)と造語の読み方編

2016-11-19 15:09:18 | コラム
恣意的に英語をカタカナ語化するな:

以下は数年前に連載した「和製英語(カタカナ語)と造語」の第6回目のものだが、未だに読者の方に光栄にもお読み頂いているようなので、ここにあらためて加筆訂正した最新版である。ご一読賜れば幸甚である。

ローマ字式発音または恣意的な読み方:


これは日本訛りの発音の変形であるとも考えている。この例は私が嫌う割にはそれほど多くはないと思う。簡単に言えばQueen’s accentでは“o”を「オ」といわばローマ字のように素直に発音するが、アメリカ式となるとほとんど「ア」なるようなことを指している。例えば「ホリデー」とされているのが実はholidayで、発音記号を見ても実際にネイティヴ・スピーカーの発音を良く聞いても「ハラディー」となっているものである。

さらにaを素直に「ア」と読まずに「エイ」という発音になる例が多いのも要注意である。なお、英国系の発音では「アイ」となることがあるが、これは訛りであるから除外して良いだろう。その一例として我々日本人が奇異に感じるだろう事に多くのアメリカ人が定冠詞の“a”を「エイ」と発音することを採り上げたい。

1994年の春頃に博士号を持つオーケストラの指揮者(アメリカとカナダの両方の国籍を持っていた)に「何故か」と尋ねたことがあった。彼が言うには「そう発音する方が聞き損なわれる危険性が低いから」だった。試しにアメリカ人が何か言っている時に注意して聞いてみると良いと思う。

私が指摘したい我が国に蔓延る最悪の例の一つにはアメリカのMajor League Baseball(=MLB)を「メジャーリーグ」または「メジャー」がある。「メジャー」に当てはまる英語の言葉はmeasure(=計る)しかあり得ない。だが、この正しくは「メイジャー」であるべき発音が「メジャー」となって完全に全国区で戸籍を得てしまった。この恥ずかしい読み方を最初に導入したのは何処のどいつだ。

ここで我が国のカタカナ語に見かける面白い現象にminorをチャンと「マイナー」と表記していることだ。何故、Minor Leagueは「ミノル・リーグ」にならなかったのだろう。

中には発音が難しく尚かつカタカナ表記も困難で似て非なる表記になっているものがあり、私はこれが最も気に入らない。中でも特に忌み嫌っている例に「セキュリティー」となっているsecurityや「ユビキタス」になってしまったubiquitous等である。何れも辞書を見て貰いたくなるようなおかしな表記であると信じている。そこで、如何に屡々見かける例を挙げていこう。

*ルーキー → rookie, rookey, rooky、
解説)奇怪である。どこの世界にbookをブークと言う人がいるか?lookと書いて「ルーク」と読むか?発音記号を見て貰いたい。そう言っても、最早定着しているから手遅れか?「ルキー」か「ルッキー」に近いのが本当だろう。これは戦後間もなくラジオでの野球中継が再開された際に「アメリカ語」として「新人」を言いたくて導入されたものだ。

*パトリオット → patriot、
解説)典型的ローマ字読み。日本語に帰化済み。本当は「ペイトゥリアット」に近い。

*ナトー → NATO
解説)ローマ字読みである。帰化済みである。英語では「ネイトー」と発音される。パックンとやらはこれも槍玉に挙げていた。

*ボディーチェック → body search、
解説)すでに例に挙げたが、ローマ字読みとして再登場させた。如何にも英語っぽく聞こえるが造語である。因みに、bodyは「バデイ―」が原語に近い。

*シンポジューム → symposium、
解説)このumないしはiumで終わるスペルのグループには、他にもアルミニューム=aluminum→アルーミナム、アクアリウム=aquarium→アクエアリアム、スタジアム=stadium=ステイディアム、ウラニウム=uranium→ユーレイニアム等がある。

*ゲーリー → Gary、
解説)これはゲアリーであると思う。偶にはギャリーとしている例もある。面白いことはMaryには「メアリー」があって「メリー」もあること。何を隠そう、この私も「ゲーリー」」だと思い込んでいた時期があり、訪ねた家で「ゲーリーという者はいない」と言われてしまった経験があった。他に面白かった現象に”Queen Merry”と名付けられた観光バスに乗ったことか。

*リコール → recall、
解説)欠陥商品の回収ならばリーコルかリーコールに近くなり「リー」にアクセントが来る。リコールだと思い出すことになる

*リサイクル → recycle、
解説)正確には「リーサイクル」という発音だが、最早「リサイクル」が日本語に帰化を果たしている。ここで面白いと思うことは「レサイクル」と読まなかった点である。こういう柔軟性がたまらない。

*ビニール →   vinyl、
解説)これは造語に近い。しかも間違いが重複している珍しくもない例。これは「ヴァイニル」と読むのだがPVC=polyvinyl chloride=塩化ビニルのこと。我が国では広く「ビニール」をプラスティックス(Plastics)の代名詞の如く使っている。プラスティックスには他にもpolyvinylidene chloride=ポリ塩化ビニリデンもあるし、polyethylene=ポリエチレンも、polyamide≠ナイロンも、polyurethane=ウレタン等多数あるにも拘わらず。なお、「ビニル」だけでは「ビニル基」のことになると思う。これは、どうやらドイツ語の発音らしいのだが。

*レギンス → leggings、
解説)これはここまで挙げてきた例から外れるが、こういうものもあると思取り上げた。「レギングス」と原語に近く発音されたら、まさかそれが「レギンス」のこととは解るまい。私は長い間レギンスの元の言葉が何だか分からなかった。必ずしもローマ字読みではないのだが、いつの間にかこのように変化して定着したようである。ここには複数のsが残されている。

*ハーレイダビッドソン → Harley-Davidson、
解説)勿論!?かのオートバイのハーレイ・デイヴィッドソンなのだが、これも日本語化済みである。David=ダヴィデはイスラエルの王である。このことは割合に広く知られていたと思うが、それなのに“ダビッド”としたのは何故だろう。Davidというファーストネームの人に「へい、ダヴィッド」と呼びかけるかを考えて見よ。

*ヘボン式 → Hepburn、
解説)ローマ字の本家本元James Curtis Hepburnを忘れていた。宣教師で医師であったヘプバーンさんがヘボン式ローマ字の生みの親だと思う。だから敬意を表して敢えてここに入れた次第。当時、これが「ヘボン」と聞こえたのであろう。私はこれが聞き違いとは思わないが。だが、後から出てきた二人の有名女優、キャサリンとオードリーはヘプバーンと表記されている。

*レトリバー → retriever
解説)ご存知、訓練された猟犬である。リトリーヴァーに近いのが本当の発音だろう。因みに、retrieveは取り戻すことだ。

*アワード → award、
解説)アウオードに近いのが本当の発音だ。戦争のwarを「ワー」と言うか。近頃この妙な読み方を何処かのうつけ者がテレビで言い出して意向大流行。だが、これは難しい問題でforwardにbackwardやtowardとwardがつく言葉が多い。ワードはwordの方だろう。テレビ局では立派な大学を出たと聞くアナウンサーたちが平気で「アワード」というのを聞くと「恥ずかしくないのか」と思ってしまう。

*レシピ → recipe、
解説)正確には「レサピ」に近く、「レ」にアクセントが来る。でもここまで網を広げると揚げ足取りと言われるかと危惧する。

*マクドナルド → McDonald’s、
解説)どう読んでも「マクドナルズ」なのだが、このファストフードが進出以来所有格無視で通ってきた。敢えてカタカナ表記すると「マクダナルズ」でアクセントは「ダ」に置くのだ。余計なことだが、アメリカの大統領に選出されたトランプ氏のファーストネームのDonaldの発音は「ダヌル」と聞こえるほど「ダ」にアクセントが置かれている。

*パーテーション          partition、
解説)これが最近目立ってきた。いや、耳立って?いるのかも知れない。これは一寸酷すぎるカタカナ語化だ。勿論「仕切り」のことだが、どう読めば「パーテーション」になるのだろうか。原語に近いのは「パーテイション」だろうよ。似たような言葉にconditionがあるが、誰も「コンデーション」と言わないのは何故だろう。

*クローズアップ → close-up、
解説)同じcloseでもここでは「接近した」の意味で「閉じる」ではないのだから「クロウス」という発音になるのだ。NHKに「クローズアップ現代」という番組がある。あれは現代を接写しているのだと思うが、あれでは閉鎖してしまっている。このような誤りを平気で犯すNHKの見識を疑いたい。

*コンテナー →     container、
解説)コンテイナーである。containが元だが、これを「コンテン」と読むか?英和辞典を持っていない人が作った造語だろう。

*カジュアル →   casual
解説)catと書いて「カット」と言うか。「キャジュアル」だ。英語の面白さはcanと言えばキャンで「出来る」だが「缶」もcanだが、これは前にaを付けるものだろう。

*セキュリティー → security、
解説)これは最も憎むべき、メジャー(majorの誤読)と共に排除したいカタカナ語の一つであり、造語の部類に入れたいくらいだ。英語を母国語とする者の誰が発音しても、如何なる辞書を見ても発音記号には「セキュアラティー」が最も近いのである。何処の誰がこんな劣悪なカタカナ表記を編み出してテレビで言わせ、報道の文書に使うと決めたのか。しかも、困ったことに屡々safetyと混同されている。Oxfordにはsecurityは“the activities involved in protecting a country, building or person against attack, danger, etc.”とある。safetyは“state of being safe and protected from danger or harm”とある。では、セキュリティーはどっちだ。

何時までこんな事をやっている気か知らないが、こんな発音を小学校から教えることがないように祈っている。