日本人と欧米人との思考体系の違い:
ここ一両日、尾形美明氏と佐藤隆一氏との間で対ロシア問題というか北方領土問題について意見を交換してきた。その中で佐藤氏が我々日本人の問題点として
<日本人は決断に時間がかかりすぎます。また、決断のできない人ばかりです。>
と指摘された。遺憾ながら、誠に尤もであると言えると、長年痛感してきた。この点については22年半のアメリカの会社の一員として対日交渉の現場にあった者として、あらためて自説を述べていきたい。
私は1990年辺りから業界の専門誌への寄稿や講演等の場において、日米文化比較論の主たる論点として「アメリカ人の思考体系は二進法であり、何らかの決断をする場合には『やるのか、やらないのか』だけなので、十進法乃至は八百万の神に相談しているような我が国の思考体系から見れば、如何にも果断のように見えるだけで、単なる単純BAKAのようなことが多い」と、寧ろ批判してきた。この点をもう少し深く突っ込めば「寧ろ我々の方が頭が良過ぎて、必要がないとすら思える四方八方への配慮や気遣いををしているだけではないのか」とすら言えると指摘もしてきた。
アメリカのビジネス社会で経営者たちが下す判断を見ていると、というか日本的な思考体系から考えると「果断である」とか「あれほど重大かつ大きな決断をするのは彼らが優れた経営者だから」と思われていることが多かったような気がしてならない。それはただ単純に彼らは経営方針として事前に決めておいた方針や判断の基準に、二者択一で従っただけだ」と考えれば解りやすいと思う。
これまで例に挙げてきたことは「例えば一大経営的判断の下で新規事業に進出し、その目的に適した新工場を建設し、その採算の基準を“総投下資本利益率(RONA)を5年で15%を達成する”。さもなくば撤退」と設定したしよう。ところが5年目の結果が14.9%と未達に終わったとしよう。そこで経営陣の判断は「未達である以上撤退」となるのだ。それを我が国の思考体系から見れば「厳しい」だの「冷酷だ」や「アメリカの経営者の判断は凄い」等となってしまうと思われるが、彼らは「決めたことに二者択一で従っただけ」という単純なものだと考えれば、解りやすいだろうと言いたい。
彼らは「結果重視」であって「過程重視」ではないのだとも言える。我が国ならば「折角皆が5年も努力して14.9%までやり遂げたのだから、その過程の努力を評価してもう1年やらせてみよう」となるかも知れない。投下資本が勿体ないというかも知れない。そこが大なる日米間の思考体系の違いであると述べてきた。だからこそ、彼らは上手く事が運ぶようにと、交渉の場では平気で「これを言うことで失うものはない」とばかりに割り切った主張をするし、高飛車とも思えるような条件を切り出すのだ。更に、そこにはその新規投資を決めた者の責任問題もあるし、失敗した者は潔くその組織を去らねばならぬような社会通念もあるのだ。
もっと重大で且つ身近な例を挙げれば、私は「北方領土問題」などはロシア側にすれば「返還するかしないか」の二択でしかなく、ごく単純な判断だと見ているのかも知れないかも知れないとも考えてみた。だから、もしも二島だけでも返さざるを得ないとでも思っているのであれば、その前には「これを言うことで得るものがある」と思っているのだから、如何にも望みがあるかと思わせたかと思えば、急に態度を変えたり、経済協力などと言い出しているのだろうかとも考えている。
今朝の産経抄には“故会田雄次さんが「日本人は受け身に回った方が成功する」と言った”とあったが、これまでの日ロ交渉でも、こちらから「四島を全て無条件でこの場で返せ」といったような強引な切り口で迫ったのではなく、常に相手の立場を尊重し、非常に思慮深く中々強引にと言うか思いきって仕掛けていかなかったのかと思っている。その慎重さと丁寧さこそが我が民族の特性ではと考えている。
在職中に最も手強い所謂「タフネゴシエーター」だと我々が恐れていたSM氏は「相手を知り己を知って、事前に如何に相手を屈服させるかの論旨を緻密に組み立ててから交渉に臨み、その罠に嵌めるのが快感だった」とその手の内を聞かせて下さった。そのくらいの事前の作戦会議をして準備をしておかないと苦戦するのがプーチン大統領だろう。安倍総理は今後とも一切の外務省の介入を排除して臨まれれば、成功も見えてくるかと思うのだが、恐らく、プーチン大統領も同様に作戦を練っているでしょうが。
トランプ氏もこれから政権移行テイームとともに1月20日以降の政策やワシントンDCの諸官庁の主要幹部を決めていくだろう。その政策論についてもマスコミや一部の所謂識者は「大統領ともなれば、選挙キャンペーン中の暴言とも聞こえた政策やスローガンには変更があるだろう」と言ってきた。それはそうだろうが、それが如何なる形で展開されて行くを考えるならば「二進法」しかないと思っている方が無難で、中間の妥協点などを彼が模索すると期待しない方が無難ではないのか。
現に現国会で鋭意審議中中のTPPなどは、キャンペーン中の声明通りに大統領就任の日に撤退と、いとも簡単に表明されてしまった。更に、あれほど選挙期間中にトランプ氏を罵倒してきたリベラル派のニューヨークタイムズ社を異例と言われならがアッサリと訪問してしまったではないか。即ち、NYT社に対しては事を構え続けるか、続けないかだけのことであると思えば、簡単な決断だったのではないのか。
私なりの深読みをすればトランプ氏はNYTを敵視しながら、「いざとなれば手打ちをすることもある」という”Contingency plan”を用意しておられたのかも知れないのだ。このようにアメリカ人は単純なようで、二の矢や三の矢を予め準備して事に臨んでいくものだと、経験からも言えるのだ。イヤ、アメリカ人だけではない、ロシアの大統領もそういう思考体系の枠の中に入れて考えておくと無難であろう。
ここ一両日、尾形美明氏と佐藤隆一氏との間で対ロシア問題というか北方領土問題について意見を交換してきた。その中で佐藤氏が我々日本人の問題点として
<日本人は決断に時間がかかりすぎます。また、決断のできない人ばかりです。>
と指摘された。遺憾ながら、誠に尤もであると言えると、長年痛感してきた。この点については22年半のアメリカの会社の一員として対日交渉の現場にあった者として、あらためて自説を述べていきたい。
私は1990年辺りから業界の専門誌への寄稿や講演等の場において、日米文化比較論の主たる論点として「アメリカ人の思考体系は二進法であり、何らかの決断をする場合には『やるのか、やらないのか』だけなので、十進法乃至は八百万の神に相談しているような我が国の思考体系から見れば、如何にも果断のように見えるだけで、単なる単純BAKAのようなことが多い」と、寧ろ批判してきた。この点をもう少し深く突っ込めば「寧ろ我々の方が頭が良過ぎて、必要がないとすら思える四方八方への配慮や気遣いををしているだけではないのか」とすら言えると指摘もしてきた。
アメリカのビジネス社会で経営者たちが下す判断を見ていると、というか日本的な思考体系から考えると「果断である」とか「あれほど重大かつ大きな決断をするのは彼らが優れた経営者だから」と思われていることが多かったような気がしてならない。それはただ単純に彼らは経営方針として事前に決めておいた方針や判断の基準に、二者択一で従っただけだ」と考えれば解りやすいと思う。
これまで例に挙げてきたことは「例えば一大経営的判断の下で新規事業に進出し、その目的に適した新工場を建設し、その採算の基準を“総投下資本利益率(RONA)を5年で15%を達成する”。さもなくば撤退」と設定したしよう。ところが5年目の結果が14.9%と未達に終わったとしよう。そこで経営陣の判断は「未達である以上撤退」となるのだ。それを我が国の思考体系から見れば「厳しい」だの「冷酷だ」や「アメリカの経営者の判断は凄い」等となってしまうと思われるが、彼らは「決めたことに二者択一で従っただけ」という単純なものだと考えれば、解りやすいだろうと言いたい。
彼らは「結果重視」であって「過程重視」ではないのだとも言える。我が国ならば「折角皆が5年も努力して14.9%までやり遂げたのだから、その過程の努力を評価してもう1年やらせてみよう」となるかも知れない。投下資本が勿体ないというかも知れない。そこが大なる日米間の思考体系の違いであると述べてきた。だからこそ、彼らは上手く事が運ぶようにと、交渉の場では平気で「これを言うことで失うものはない」とばかりに割り切った主張をするし、高飛車とも思えるような条件を切り出すのだ。更に、そこにはその新規投資を決めた者の責任問題もあるし、失敗した者は潔くその組織を去らねばならぬような社会通念もあるのだ。
もっと重大で且つ身近な例を挙げれば、私は「北方領土問題」などはロシア側にすれば「返還するかしないか」の二択でしかなく、ごく単純な判断だと見ているのかも知れないかも知れないとも考えてみた。だから、もしも二島だけでも返さざるを得ないとでも思っているのであれば、その前には「これを言うことで得るものがある」と思っているのだから、如何にも望みがあるかと思わせたかと思えば、急に態度を変えたり、経済協力などと言い出しているのだろうかとも考えている。
今朝の産経抄には“故会田雄次さんが「日本人は受け身に回った方が成功する」と言った”とあったが、これまでの日ロ交渉でも、こちらから「四島を全て無条件でこの場で返せ」といったような強引な切り口で迫ったのではなく、常に相手の立場を尊重し、非常に思慮深く中々強引にと言うか思いきって仕掛けていかなかったのかと思っている。その慎重さと丁寧さこそが我が民族の特性ではと考えている。
在職中に最も手強い所謂「タフネゴシエーター」だと我々が恐れていたSM氏は「相手を知り己を知って、事前に如何に相手を屈服させるかの論旨を緻密に組み立ててから交渉に臨み、その罠に嵌めるのが快感だった」とその手の内を聞かせて下さった。そのくらいの事前の作戦会議をして準備をしておかないと苦戦するのがプーチン大統領だろう。安倍総理は今後とも一切の外務省の介入を排除して臨まれれば、成功も見えてくるかと思うのだが、恐らく、プーチン大統領も同様に作戦を練っているでしょうが。
トランプ氏もこれから政権移行テイームとともに1月20日以降の政策やワシントンDCの諸官庁の主要幹部を決めていくだろう。その政策論についてもマスコミや一部の所謂識者は「大統領ともなれば、選挙キャンペーン中の暴言とも聞こえた政策やスローガンには変更があるだろう」と言ってきた。それはそうだろうが、それが如何なる形で展開されて行くを考えるならば「二進法」しかないと思っている方が無難で、中間の妥協点などを彼が模索すると期待しない方が無難ではないのか。
現に現国会で鋭意審議中中のTPPなどは、キャンペーン中の声明通りに大統領就任の日に撤退と、いとも簡単に表明されてしまった。更に、あれほど選挙期間中にトランプ氏を罵倒してきたリベラル派のニューヨークタイムズ社を異例と言われならがアッサリと訪問してしまったではないか。即ち、NYT社に対しては事を構え続けるか、続けないかだけのことであると思えば、簡単な決断だったのではないのか。
私なりの深読みをすればトランプ氏はNYTを敵視しながら、「いざとなれば手打ちをすることもある」という”Contingency plan”を用意しておられたのかも知れないのだ。このようにアメリカ人は単純なようで、二の矢や三の矢を予め準備して事に臨んでいくものだと、経験からも言えるのだ。イヤ、アメリカ人だけではない、ロシアの大統領もそういう思考体系の枠の中に入れて考えておくと無難であろう。