新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

思考体系論

2016-11-24 14:23:11 | コラム
日本人と欧米人との思考体系の違い:

ここ一両日、尾形美明氏と佐藤隆一氏との間で対ロシア問題というか北方領土問題について意見を交換してきた。その中で佐藤氏が我々日本人の問題点として

<日本人は決断に時間がかかりすぎます。また、決断のできない人ばかりです。>

と指摘された。遺憾ながら、誠に尤もであると言えると、長年痛感してきた。この点については22年半のアメリカの会社の一員として対日交渉の現場にあった者として、あらためて自説を述べていきたい。

私は1990年辺りから業界の専門誌への寄稿や講演等の場において、日米文化比較論の主たる論点として「アメリカ人の思考体系は二進法であり、何らかの決断をする場合には『やるのか、やらないのか』だけなので、十進法乃至は八百万の神に相談しているような我が国の思考体系から見れば、如何にも果断のように見えるだけで、単なる単純BAKAのようなことが多い」と、寧ろ批判してきた。この点をもう少し深く突っ込めば「寧ろ我々の方が頭が良過ぎて、必要がないとすら思える四方八方への配慮や気遣いををしているだけではないのか」とすら言えると指摘もしてきた。

アメリカのビジネス社会で経営者たちが下す判断を見ていると、というか日本的な思考体系から考えると「果断である」とか「あれほど重大かつ大きな決断をするのは彼らが優れた経営者だから」と思われていることが多かったような気がしてならない。それはただ単純に彼らは経営方針として事前に決めておいた方針や判断の基準に、二者択一で従っただけだ」と考えれば解りやすいと思う。

これまで例に挙げてきたことは「例えば一大経営的判断の下で新規事業に進出し、その目的に適した新工場を建設し、その採算の基準を“総投下資本利益率(RONA)を5年で15%を達成する”。さもなくば撤退」と設定したしよう。ところが5年目の結果が14.9%と未達に終わったとしよう。そこで経営陣の判断は「未達である以上撤退」となるのだ。それを我が国の思考体系から見れば「厳しい」だの「冷酷だ」や「アメリカの経営者の判断は凄い」等となってしまうと思われるが、彼らは「決めたことに二者択一で従っただけ」という単純なものだと考えれば、解りやすいだろうと言いたい。

彼らは「結果重視」であって「過程重視」ではないのだとも言える。我が国ならば「折角皆が5年も努力して14.9%までやり遂げたのだから、その過程の努力を評価してもう1年やらせてみよう」となるかも知れない。投下資本が勿体ないというかも知れない。そこが大なる日米間の思考体系の違いであると述べてきた。だからこそ、彼らは上手く事が運ぶようにと、交渉の場では平気で「これを言うことで失うものはない」とばかりに割り切った主張をするし、高飛車とも思えるような条件を切り出すのだ。更に、そこにはその新規投資を決めた者の責任問題もあるし、失敗した者は潔くその組織を去らねばならぬような社会通念もあるのだ。

もっと重大で且つ身近な例を挙げれば、私は「北方領土問題」などはロシア側にすれば「返還するかしないか」の二択でしかなく、ごく単純な判断だと見ているのかも知れないかも知れないとも考えてみた。だから、もしも二島だけでも返さざるを得ないとでも思っているのであれば、その前には「これを言うことで得るものがある」と思っているのだから、如何にも望みがあるかと思わせたかと思えば、急に態度を変えたり、経済協力などと言い出しているのだろうかとも考えている。

今朝の産経抄には“故会田雄次さんが「日本人は受け身に回った方が成功する」と言った”とあったが、これまでの日ロ交渉でも、こちらから「四島を全て無条件でこの場で返せ」といったような強引な切り口で迫ったのではなく、常に相手の立場を尊重し、非常に思慮深く中々強引にと言うか思いきって仕掛けていかなかったのかと思っている。その慎重さと丁寧さこそが我が民族の特性ではと考えている。

在職中に最も手強い所謂「タフネゴシエーター」だと我々が恐れていたSM氏は「相手を知り己を知って、事前に如何に相手を屈服させるかの論旨を緻密に組み立ててから交渉に臨み、その罠に嵌めるのが快感だった」とその手の内を聞かせて下さった。そのくらいの事前の作戦会議をして準備をしておかないと苦戦するのがプーチン大統領だろう。安倍総理は今後とも一切の外務省の介入を排除して臨まれれば、成功も見えてくるかと思うのだが、恐らく、プーチン大統領も同様に作戦を練っているでしょうが。

トランプ氏もこれから政権移行テイームとともに1月20日以降の政策やワシントンDCの諸官庁の主要幹部を決めていくだろう。その政策論についてもマスコミや一部の所謂識者は「大統領ともなれば、選挙キャンペーン中の暴言とも聞こえた政策やスローガンには変更があるだろう」と言ってきた。それはそうだろうが、それが如何なる形で展開されて行くを考えるならば「二進法」しかないと思っている方が無難で、中間の妥協点などを彼が模索すると期待しない方が無難ではないのか。

現に現国会で鋭意審議中中のTPPなどは、キャンペーン中の声明通りに大統領就任の日に撤退と、いとも簡単に表明されてしまった。更に、あれほど選挙期間中にトランプ氏を罵倒してきたリベラル派のニューヨークタイムズ社を異例と言われならがアッサリと訪問してしまったではないか。即ち、NYT社に対しては事を構え続けるか、続けないかだけのことであると思えば、簡単な決断だったのではないのか。

私なりの深読みをすればトランプ氏はNYTを敵視しながら、「いざとなれば手打ちをすることもある」という”Contingency plan”を用意しておられたのかも知れないのだ。このようにアメリカ人は単純なようで、二の矢や三の矢を予め準備して事に臨んでいくものだと、経験からも言えるのだ。イヤ、アメリカ人だけではない、ロシアの大統領もそういう思考体系の枠の中に入れて考えておくと無難であろう。


11月23日 その2 11月23日は

2016-11-23 17:50:42 | コラム
新嘗祭だった:

午前中は寒空をものともせずに、十分に厚着をして家内とともに散歩をかねて高田馬場駅前方面に出かけた。目的の一つには駅前の西武のビッグボックス内のUNIQLOの安売りのチラシに釣られて、”HEATTECH”の「極暖」のアンダーシャツを買おうというのがあった。店中には何時もの数倍のお客の入りだったが、考えてみれば「勤労感謝の日」とかの休日だったようだ。その昔は「新嘗祭」だった日だ。最早感謝すべき対象となる勤労とも縁が薄れたが、その祭日を利用しようとした次第。

この「極暖」はUNIQLOの数ある商品の中でも傑作の部類だと思っているので、これから本格的な寒さが襲ってくるのに備えて去年に引き続き在庫を補強しようとした次第。無事に買い物を終えて午後からはサッカーのJリーグのチャンピオンシップ戦の第一段階である鹿島アントラーズ対川崎フロンターレの試合をさしたる期待も興味もないままに観戦した。実は、近頃はJリーグのサッカーは余りテレビ観戦をしていなかったので、顔と名前が一致する選手が少なくなったという不真面目な評論家なのだ。

何故興味を失ったかと言えば、矢張り偶にニュースで見るヨーロッパのサッカーと比べて余りにもスピード感に乏しく、余計なパス回しばかりに終始し、カタカナ語にすれば「スリルがない」のである。しかし、通年でリーグ戦の勝ち点が2位対3位の決戦である以上、何らかの見所がありはしないかとのほのかな期待感はあった。試合開始前の閃きでは上位のはずの川崎には勝ち目がないと出ていた。結果も遺憾ながら勝たせたかった川崎の敗戦だった。

私が見るJリーグというか日本のサッカーの数ある問題点の中でも先ず気にかかるのが、後陣でも何処でも誰かがフリーでボールを持った時に幾ら周りを見渡しても誰も動いてるフリーになろうという努力を怠る点だ。これでは攻め込む切っ掛けが作れず、ただ単に味方同士で無駄な横パスか後ろへのパス交換で時間を空費するだけだ。この点が欧州勢の無駄走りを含めての積極的な動きとの大いなる違いである。物足りない。子供の頃の育て方に欠陥があるのかと疑っている。

次に気になるのが、パスの出し方と受け手の動きだ。昭和20年に湘南中学の蹴球部に入って以来「大原則」として教えられたことが「受け手の動きを止めるようなパスを出すな。常に前進を図れ」だった。現在の選手たちの球慣れと扱いの上手さは我々の時代の比ではないが、彼らは何を思ったのか常に受け手の足下にピタリと入るパスを正確に出すように仕込まれてきているのだ。即ち、受け手の前進乃至は動きを阻むパスしか出せないのだ。

要するにお互いに静止している同士でのパスしか出せないのだ。更に動きの中というか流れるように前進(時には局面での必要に応じて後退する場合もあるが)しながらのパスを続けられないのだ。これでは相手の守りを切り崩す形にはならないのは当然だろう。それだけではない。何時だったか木村和司が批判していたことで、私が賛成したことで「ゴール前へのクロスなるものを外側から上げる際に、中に入っている(待っている?)FWその他の者が上がり過ぎている為に、表現が難しいのだが、上手く対応する時間的且つ場所的に余裕がなく、デイフェンダーなる者たちとの競り合いで負けてしまうことが多過ぎるのだ。

この点もその昔に教えられた原則とは大いに異なっているのが気になるのだ。即ち、「クロスの標的となるべき逆サイドを走ってくる者の前を狙って上げるべきで、(フットボールでいう「リード」をつけたパスを上げろという意味)デイフェンダーと並んでクロスが入ってくるのを待つような形にするな」と教え込まれていたのだった。思うに、時移り、人が変わり、サッカーも進歩し、フォーメーションも戦術も変化して、昔の大原則が通用しない時代になってしまったのかと解釈するようにして諦めている。

ところで試合だが、そういう動きの点では約半日ほどの長があった鹿島アントラーズの金崎なる私の好みではない者が、難しい左からのクロスに、川崎のデイフェンダーと競り合いながらヘデイングを決めた1点で逃げ切ってしまった。解説の山本昌邦は非常に緊張感がある良い試合だったと絶賛していたが、テレビ観戦した者の目には両方が懸命にやっているのは伝わってきたが、スピード感と欧州のような動きの中での流れるようなパス交換が出来ていない辺りがもどかしく、折角の熱戦も中途半端な印象に終わったのは残念だった。さて、次なる浦和レッズが鹿島ととどのように戦うのかには少しは興味も関心もある。

さて、kazkさんはこの試合を見ておられただろうか。もしかして、裏番組の慶応と早稲田のラグビーだったか。


海外でのお買い物の零れ話

2016-11-23 09:40:03 | コラム
「偽ブランド品」ではない!:

昨22日は雨も上がって気分良くジムに出かけた。運動を終えシャワーを浴びてロッカールームで着替えているところに、顔馴染みの気っぷの良い仲間が「良いシャツを着ている。お洒落だ」と褒めてくれた。そこで「実は、このシャツはそんじょそこらのシャツとは違っていて、何と北京製のバーバリーなのだ」と説明した。彼ともう一人の居合わせた人も怪訝な顔をしているので「それでは」と故事来歴を説明した。

それは1990年代末に初めて北京をパック旅行で訪れた時のことだった。目的はただただ万里の長城を見たかっただけだったが、その後でガイドがお定まりの土産物店にご一行様を案内したのだった。ご案内の方も多いとは思うが、その目的は売上げから彼(または彼女)にいくらかの戻しがあるのだ。だが、誰も何も買わずに終わりそうだった。その時に私が偶々目に止まった邦貨で¥8,000にもなるバーバリーのシャツを手に取ってしまった。そこに店員が食いついてきたので、「¥8,000は高すぎる。どうせ偽ブランド品だろうに」と冷やかしてしまった。それが切掛けだった。

すると、彼は「何を仰いますか。歴とした本物です。何しろバーバリーの下請けをしている工場から生地とボタンを貰ってきて作ったものですから。チャンとロゴマークだって入っているじゃありませんか」と反論してきた。何れにせよ、買う気はないので店を出ようとすると彼が追いかけてきて「それでは20%引くからお買い上げを」と迫るので「高い。精々5,000円程度の代物」と言い返すところにガイドがやってきて「何とかそこで折り合って下さい」と半ば懇願され、押し問答の末に買ってしまうことになった。

「何ともはや」という事だったが、この時にはもう一つ面白い出来事があった。それは恭しくガラスのケースの中にあったまがい物と覚しき”Rolex”の時計を一行中の青年二人が「ナンチャッテだろう」冷やかしていたのだった。ところが売り場にいた若き女性も然る者で怯むところなく「いいえ、チャンとした香港製のローレックスという本物です」と切り返した。流石の二人も返す言葉もなく大笑いして戻ってきたのだった。現在の中国がこのような面でどう変わっているだろうか。

次はアメリカでのこと。私は仕事柄何度も日本からお見えになる団体のお世話をしたことがあった。その時は恐らく生涯で初めてで最後のアメリカ旅行になるかも知れない方が多い団体をシカゴで”Magnificent mile”と呼ばれるかの有名なる”North Michigan Ave.”にお買い物にご案内した。先ずは”Brooks Brothers”に入店し、紳士物用品のネクタイ、シャツ、ベルト等々をお土産用も含めて大勢で買いまくられた。店員たちも応対に大童だった。ところが一向に仕事が捗らないのだった。

そこで「時間が限られた団体だ。何をやっているんだ」と質すと、困ったような表情で「これほど一度にギフト用の箱が必要になったことがないので、地下の倉庫に係の者を取りに走らせたところで暫時お待ちを」と答えた。それで何とか包装が始まった。ところがその後直ぐにまた停滞した。「今度は何だ」と詰問すると「これほど大勢のお客様の全員が現金で支払われたことがないので、釣り銭用の現金が不足して、ただ今銀行に会計係が飛んでいったところです」という答えだった。これは理解出来る話である。何しろアメリカではクレデイットカードか小切手払いが普通で、現金での買い物客は希であるから。

何とかそこでの買い物を終えて次は両手にBrooks Brothersの大きなショッピングバッグを抱えた無慮20数名の方の先頭に立って化粧品ということで「壮麗なる」ノースミシガン通りを些か恥ずかしかったが、威風堂々と行進してデパートに向かった。そこでは何故かご一行様はシャネルには見向きもせずにクリスチャン・ディオールの口紅に殺到された。ここでも売り場の要員が不足して本来あるべき事ではないのだが、他のブランドの担当者まで応援に駆けつけた。そこで、中学と高校の同期生で去る旅行社の常務だった友人から聞いていた「ガイドへの心付けがある」というのを思い出して、軽い気持ちで売り場の責任者らしき青年に「何か忘れていませんか」と声をかけてみた。

すると、彼は慌てふためいた顔付きで「大変失礼いたしました」と何処かに走って行き息せき切って戻ってくるや、私に高価な香水のセットを差し出すのだった。なるほどそういうものだったかと納得したが「私はガイドではない。ご一行様のアテンドをしているアメリカの会社の社員である」と言って、英語にすれば”respectfully declined”で、謹んで固辞したのだった。

海外では色々なことがあるもので、文化というか言語・風俗・習慣の違いから予期せざる出来事に出会うものなのだ。他にも未だ数多くの興味深い上記のような経験をしていたが、それはまた何時か別の機会にでも。それよりも今日辺りではトランプ氏の「就任と同時にTPP離脱声明」でも論じていなければなるまいかと危惧するものだ。


11月22日 その2 対ロシア問題

2016-11-22 17:12:12 | コラム
TBSのゴゴスマに勉強させて貰ったこと:

本22日の午後に何気なくつけっぱなしにしておいたTBSのこの番組に登場した元NHKの手嶋龍一と時事通信の田崎史郎のお二方の、対プーチン大統領との北方領土問題、経済協力、平和条約等に関する交渉についての解説が大変勉強になった。私はもとよりロシア問題などについては全く何の知識もなく、ただ何となく安倍総理は大変な難敵と思わせてくれるプーチン氏を相手に、お国の為に善くぞ奮闘しておられるものだと感心しているだけだった。

昨日も偶々居合わせた次男とこの問題について短く語り合った時にも、彼の感覚的な意見である「ロシアが北方領土など返す気などありはしない。あり得ないと思って見守っている方が失望の度合いが軽いだろう」には躊躇うことなく賛成していた程度の感覚で捉えていた。また最近のマスコミ論調というか報道には「プーチン大統領は返さないとは言っていないが、その為には平和条約の締結が先で、その条約を結ぶ為には色々と難しい条件がある。即ち、簡単には事が運ばない」とあった。

いかし、今日の二人のゲストの観測はそれよりももっと厳しく「もしも二島だけでも返還すれば、そこには日米安保の適用範囲内となるので、ロシアが自国の領土だと主張して譲らない地域にアメリカが入ってくることになる。それをプーチン大統領が易々と認めるだろうか」というものだった。更に田崎は「ロシアは目下経済的に苦しいところにあり、15年度のGDPも1兆3,260億ドルと世界の第12位で、11位の韓国の1兆3,778億ドルの後塵を拝している状態で、我が国に求めているのは経済協力で、北方領土返還は・・・」と指摘した。

そこまで聞いて早速Wikipediaに訊いてみると、ロシアの人口も1億4,350万人で、韓国の5,100万人よりも遙かに多いのだ。すると、人口1人当たりのGDPが如何なることになっているかは計算するまでもなかった。知らぬ事とは言え、自らの不明と不勉強を恥じるような結果だった。なるほど、これでは安倍総理に経済協力を要望する訳だと、納得したものだった。それで、安倍総理がペルーでの首脳会談の後のあの厳しい表情での記者会見となった背景も良く見えた次第だった。

しかし、プーチン大統領も12月には日ロ首脳会談の為に総理の故郷である山口県まで来られることでもあり、何らかの色好い条件の提示があるかと期待するのは甘いだろう。だが、そこはそれ国際的にも評価されていると聞く総理の外交力が何らかの成果を上げることだろうと信じようと考えている。対ロシア問題は私のこの認識で良かったのだろうか。


トランプ氏に期待したいこと

2016-11-22 08:32:02 | コラム
「日米間の企業社会における文化と思考体系の違いの理解」が望ましい:

いきなりここから入るのは忸怩たるものがある。実は、嘗ては世界最大のInternational Paperに次ぐアメリカの最大手の紙パルプ・林産物メーカーだったWeyerhaeuser Companyが、今年の9月末で全紙パルプ事業の売却処分を終えて、完全に1900年に創立された当時の木材会社に戻っており、紙パルプ業界の衰退振りをイヤと言うほど示していた。この最大の原因は言うまでもなくICT化が進みすぎて「印刷媒体」(=紙媒体)が衰退したことにあった。中でも典型的な例として新聞用紙の需要が過去10年間で60%の減少したことが挙げられる。

International Paper(IP)を始めとする大手メーカーは21世紀に入った頃から、相次いでリストラで紙パルプ事業部門の中でも主に印刷用紙事業からの撤退を開始していた。IPはそのリストラを「経営体質転換」と称した。そして、その事業をファンドなり中小会社が引き継いで経営していった。だが、遺憾ながら時代の流れには抵抗出来ず事業が期待通りに進展せず、相次いでChapter 11(アメリカ版の民事再生法)請願となってしまったのだった。しかも、困窮した会社群は中国、インドネシア、タイ、ブラジル等の新興勢力からの輸入される良質の印刷用紙に高率の関税の賦課を商務省に申請し実行され、閉め出しに成功してしまった。

アメリカの製紙会社はこれだけに止まらず、中国とドイツから輸入されていたキャッシュレジスターのレシートに使われている感熱紙も反ダンピング関税の賦課も請願し、実質的に閉め出してしまった。問題は輸入紙の方がアメリカ製よりも品質が優れていた点にあった。これらの政策を保護貿易政策と言わずして何だろうか。

このような保護貿易政策は何も紙パルプ産業界だけに限られてはいないようだが、アメリカは今や中国に抜かれて世界第2位の製紙国に成り下がり、首位に躍り出た資源小国の中国にパルプや古紙を供給する立場に成り下がったのだった。その原料をお買い求め頂く中国からの製品を閉め出すという政策を採ったのだ。

こういう貿易政策を採ってきたのが、オバマ大統領率いる民主党だった。私は共和党のトランプ氏が率いる新政権が来年の1月以降、TPPの処理を始めとして如何なる貿易政策を採ってくるかに大いに関心がある。と言うのも、トランプ氏は既にキャンペーン中に「我が国が大量の自動車を輸出している」などという見当違いのことを吠えていた辺りを、どのように修正してくるのかということだ。要するに、トランプ氏がどれほど国際的なビジネスを理解して認識するかではないだろうか。

換言すれば、トランプ氏が専門分野だったは「不動産業」の域から如何に速やかに脱出するかではないのだろうか。希望的には、現時点で各分野の専門家からブリーフィングを受けているだろうとは思うが。望むらくは、過去におけるクリントンとオバマ大統領の民主党政権がが示したような我が国に対して冷たい政策を採って貰いたくないのだ。より深く広く「日米間の企業社会における文化と思考体系の違い」を理解した上で、対日政策を立てて欲しいのだ。

因みに、Weyerhaeuser社は最盛期の1990年代末期には2兆2~3,000億円の売上げで社員が58,000名だったものが、紙パルプ事業を手放した現在では売上高が7,000億円で社員は13,000人の会社になっている。デトロイトも周知のような状態。即ち、アメリカの製造業の回復は未だしの段階だ。そのどん底にある製造業を不動産王が建て直して、”Make America great again”の為には何をすれば良いのかをご存じであって欲しいということだ。