新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「なでしこ」危うし

2021-07-25 11:01:02 | コラム
マスメディアは軽々しく「金メダル狙い」などと言わない方が:

昨夜の対英連合王国(UK)戦は(アメリカン)フットボールの言うなれば専門家と観ていた。遺憾ながらFIFAのランキングでは我が方の10位なのに対してUKは6位だった。暫く観戦した後での一致した見解は「相手もこれといった攻め口がないのだが、我が方はそれ以下なので先ず勝ち目がないが・・・」と言ったところだった。だが、私は岩淵を出したと後で知った80分に達する前に諦めて寝てしまった。これでは「なでしこは予選落ちの危機だ」と懸念しつつ。マスメディア「金メダル狙い」などと余計なことを言って要らざる精神的な負担を選手たちにかけるなと言っておきたい。

諦めねばならないかと思った理由は数々あるので、順序不動で並べてみよう。

第一は「現在の能力と技術はを、どうしてもあのW杯でアメリカをPK戦で破って優勝した佐々木則夫監督が率いたテイームと比較しながら観てしまうので、見劣りするのだ。この儘では予選リーグを勝ち抜くのには無理がある」と思えてならないのだ。

仮に、あの当時のテイームがあの戦力を維持していて今のオリンピックに出たとしても、優勝までには漕ぎ着けられないだろうと読むのだ。そういう理由は簡単で「競争相手の諸国は10年も経てば身体能力も、敢えてskillとする技術も何も向上させているだろうから、あの当時の「なでしこ」以下と評価する現在の「なでしこ」では、優勝などは無理な相談だと言わざるを得ないのだ。

次はこのテイームには中心となって試合を組み立てていける強力な者が不在だという点。良く言えば「全員横並びで粒が揃っている」のだが、そのコインの裏側は「往年の澤穂希さんや宮間あやのような傑出した選手が不在である」と言うことなのだ。これが高倉麻子監督の方針なのかどうかは知らないが、佐々木なでしこ時代のように組織的且つ意図的に細かくパスを回し、繋いでいって攻める形を作り上げてはなくて、唯々パスの為のパスしか回せていないと言いたい。

3番目に挙げたいことは「あの当時テイームの中心だった者たちの後継者を育成できていなかったこと」を挙げたい。これは高倉麻子監督の責任ではなく、なでしこリーグ(っていったか)の各テイームと女子のサッカー部を持っている高校と大学の責任だろうと思う。代表にまで上がってくる過程で体幹と身体能力を十分に鍛え、基礎を固めるような育て方を等閑にしていたのではないのかと疑う。何時まで経っても永里や川澄の後継者が、SやTではどうにもならない気がする。

その後に昨夜の高倉監督の選手起用に疑問を呈したい。選手入場の際に岩渕真奈の顔が見えないに気が付いた。何故かアナウンサーは得意の馬鹿な表現である「ベンチスタート」は言ったが「何故か」には触れなかった。それくらいは取材してから放送しろと言いたい。後で知ったことは「万全の状態ではなかったから」だったらしいが、明らかに劣勢と試合前から解っているのに、10番をつけた者を外した意味が解らなかった。岩渕は確かにどちらかの足にサポーターがついてはいたが、ベンチには入れられる状態だったようだった。

高倉監督の心中を読めば「ここで無理をさせて負傷を悪化させれば、次の試合に差し障りを生じるかも」との懸念があったかも知れない。そういう配慮で使わなかったのが監督だけの決断であって、岩渕が納得していたのかが気になった。勝てそうもない相手に、たった一人と私が読む点が取れる者を敗色濃厚となった残り10分で起用した作戦は理解不能だった。

と、ここまで指摘してくると、この「なでしこ」にはまるで良いところがなかったように聞こえるかも知れない。だが、そうとまでは言っていない。あの私が「毛嫌いしている茶髪」にしていたMFの思い切って遠くから狙ったシュートなどは「勝ちたい」との意欲の表れと評価したい。だが、現在の技術力では「勝ちたい」と「勝って見せよう」との意欲を形に出来る次元にまで達しておらず、大したフォーメーションの持ち合わせもないUKの身体能力と足の長さを征服できなかっただけのことだった。

今後の課題というか磨き上げるべきことは「身体能力と体格の差を補って余りあるスピードがある技と、目的意識を持った正確なパス回しの力を磨き上げること」に加えて「正確で強力なシュート力」である。アナウンサーは何度か田中美南の枠を外したシュートを「惜しい」と言っていたが、枠内に行っていないのでは「惜しくも何ともない」と知るべしだ。ここまで来てしまったのだから、何としても最後の対チリ戦に大勝することだが、先ほどTBSに出ていた中西が「南米の國は侮れない」と警告していたのが気になる。

「なでしこよ。最善の努力をせよ(「ベストを尽くせ」などという間抜けなカタカナと英単語の合成語などは言わない)」と言って終わる。


微妙な問題だと思っている

2021-07-24 10:50:43 | コラム
ファイザー社CEOアルバート・ブーラ博士が来日していたとは:

小林賢太郎問題が発生した後のことで、何時もは寧ろ寡黙と言いたいほどの菅義偉首相が速効で「言語道断」と斬って捨てたのには、その手回しの良さが意外だった。確かにオリンピック開会が目前に控えていれば当然の処置かと思った。

だが、その後の発表で来日中のファイザー社CEOのブーラ博士との会談が控えていたと知って「なるほど。そういう背景があったのか」と納得した。私は特に気になって調べていた訳でなかったが、ブーラ博士(Dr. Albert Bourla)がギリシャ系ユダヤ人であると承知していた。そうであれば、菅首相は一刻を争って小林賢太郎の不行跡を切り捨てておかれる必要があったのだろうと、推察した次第だ。

私は20年以上もアメリカの会社に勤務したが、アフリカ系の人たちと同様に、ユダヤ人を語ることは先ずあり得なかったし、敢えて深く知ろうとも考えたこともなかった。ユダヤ系の人たちがアメリカでは政界・財界・文化・芸能・音楽・スポーツ等々の世界に数多くいることくらいは常識である。それかあらぬか、何かそのことを語ることも、積極的に話題にしたこともなかった。私は勝手に非常に微妙な問題で触れるべきではないことであると解釈していた。

そういう事柄であるにも拘わらず、小林賢太郎なる人が20何年か前であっても、コントとして使ってしまっていた感覚には驚きを禁じ得なかった。いや、寧ろ良くそう言うことがあったと知っていてコントにしようとした感覚は理解を超越していた。

私は20年以上もの間にユダヤ系の人と直接に語り合った経験は、ウエアーハウザーで一度中央研究所のPh.D.の者とあっただけだった。最初に勤務したミードでは本部の偉い人にそういう方がおられたと聞いていた程度で、直接何か指示があったというような経験はなかった。

アメリカで知り得た知識では「ユダヤ系の人たちの名字には複音節(ダブルシラブル)になっている例が多い」とは心得ていたが、Dr. Bourlaの場合にはギリシャ系であれば、その例に当て嵌まらないようだなと思っていた。何れにせよ、現代は良くも悪くも国際化が進んでしまったので、色々と広範囲のことに気を配らねばならないようで、難しい。


7月23日 その2 オリンピックが始まってしまった #2

2021-07-23 10:45:27 | コラム
男子のサッカー対南アフリカ戦:

「あの何とも例えようがない愉快ならざる条件下で、善くぞ勝ってくれた」と褒めてやりたい。理由は数々あるが、最大のものは何と言ってもあのベネズエラだったかのレフェリーの判定である。NHKの解説に最近頻繁に登場するようになった嘗てのデイフェンスの強者・森岡隆三が遠慮がちに「あの判定は・・・」と言っていたのが良く物語っていた。まさか、意図的だったとまでは思わないが、一度あのような基準で笛を吹いてしまうと、その後でも、そうしないと首尾一貫しなくなるのは解る。だが、どう考えても「偏向した判定」だったと言わざるを得ない。

それは、私は南アフリカのサッカーを初めて見たような気がするので、あのような当たられてもいないのに倒れ込んで、のたうち回ってみせる所謂中近東方式で来るとは知らなかった。レフェリーも承知していたのか惑わされたのか、兎に角そのシミュレーション的な悶え方に騙されたのか、明らかに何も反則がなかった場合でも、全て日本側の反則とするのだった。選手たちは随分我慢していたようで、森岡も「感情的にならないで欲しい。ジャッジに文句を言わないように」とまで言っていたほど理解に苦しむ判定だった。

その為に堂安と遠藤と、交替してベンチにいた板倉?にまでイエローカードを出してしまった。これでは、我が方は迂闊に当たることも出来ず、ついつい遠巻きにしてボールを持たせるような攻守になっていた。それに加えるに、南アフリカ側は所謂「引いて守っている」だけで、中盤では当たらずに自由にパス回しを許して、隙が出来れば逆襲を狙う戦法に出てきたので、見ている方も相当以上に苛立たされた。簡単に言えば「余り愉快ではない試合」だった。南アフリカ側は殆ど黒人だったが、彼らが中近東スタイルで来るとは、大いに勉強になった。

勝敗の読みはと言えば、まさか負けることはないとは思っていた。だが、この儘攻め手を見出せないでいれば引分けもあるかも知れないが、何時かは何とかなるだろうという予感はあった。そこを左サイドで張っていた久保建英に見事な長いパスが通って、彼が左足で蹴りやすい方向にドリブルでペナルティーエリアに入り、左足で左側のポストに当たってはいる強烈なシュートを決めてくれた。結局は前線に置いておいた者たちの能力では決めきれずに、MFのはずの久保が頼りという形になってしまった。

不安な点を言えば、その前にフランスを撃破して見せたメキシコと次に当たるのでは、あの寝っ転がり戦法の南アフリカの引いて守るデイフェンスを突破しきれなかったのでは苦しめられるだろう。あの素早いパス回しと身体能力と何処まで戦えるのかという点が気になる。点取り役として最前線に置かれている上田、前田ともう一人の奮起を促したい。ここでも女子と同様に、シュート力が弱いのと、弱敵を相手にして尚且つ後ろ方向にばかりパスを展開する安易さというか、弱気が気になる。もう少し「我こそは」という気迫を見せて突っかけて欲しいと願うのは誤りか。

女子のソフトボール:
ここにも難しい問題があるように思えた。それは、余りに偉大な功績を残した上野由岐子の使い方だ。何となく、未だに三浦知良を外しかねている横浜FCのように思えた。上野由岐子は未だ未だ通用するような球威を持っているし、それ以上に精神力も衰えていないとは思う。だが、昨日のメキシコ戦では、私の目には最終回である7回の表は逃げ切れないと見えたほど、疲れが明らかだった。だが、宇津木監督は交代を躊躇ったと見えた。そこにセンターの山田の落球が出た。勝負とはそういうものなのだ。後藤があれだけ投げられたのだったらと言うのは、結果論だ。

監督は何処で上野由岐子を見切るかで苦心して、腐心しておられたのだとは解る。しかし、上野自身が「この暑さの中でこれほど投げたのは初めて」と言ったほど、39歳の体力には酷暑はきつかったのだろう。では、上野を休ませて、藤田か後藤でやっていけるかとなれば、宇津木監督にとっては未知の世界になるだろうから、容易には踏み切れまい。まして残る最大の難関はアメリカなのだから。だが、暑さと戦うのはアメリカも同じ条件だろう。矢張り「やってみなければ解るまい」と思う。

私が怖れていることは、アメリカが相手だと身体能力はとの争いになってしまうだろう事だ。我が女子代表は何処まで体幹と身体能力を強化するトレーニングを積んで来ているのだろうか。何とか、再び優勝して欲しいと願って終わる。


本日のウンザリ

2021-07-23 08:17:40 | コラム
ウンザリさせられてばかり:

日本側の説明不足だと:

ユネスコ(UNESCO=United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)の世界遺産委員会では「軍艦島における韓国が言い募る虚偽の徴用工虐待問題についての日本側の説明不足だと決めつけた」そうである。「落胆した」とか「何故韓国の捏造の言い分が通るのか」などと嘆く前に、「外務省だかどの官庁の所管だか知らないが、何故もっとより明解に韓国が事実をねじ曲げて、虚偽の申告をしていると訴えられなかったのか。またもや彼らのロビーイングにしてやられたのか」とウンザリしている。

私は今日までに繰り返して「我が国からの海外向けの情報発信量が少なすぎるし、その内容も説明不足で理解されにくい。可及的速やかに改善すべきだ」と唱えてきた。更に言わずもがなのことを敢えて言えば「外務省の英語は堅苦しすぎるし、誰に配慮したのか遠慮がちであり、時代遅れの言わば文語体であって、誰もが喜んで読んでくれそうもない」と判定していた。

対照的に韓国だけを取り上げてみれば、国を挙げて英語教育の充実を図っているので、発音から何から立派な英語力が深く広く浸透しているのだ。何時だったか、韓国のゴルフの女子選手がアメリカで優勝インタービューをされた際に、実に綺麗で正確な英語で答えていたことを取り上げた事があった。ゴルファーがあそこまでの次元に達していれば、我が国を悪し様に言う担当官庁の者どもの英語力が高くても、何ら不自然ではあるまい。我が国で俄に英語力を上昇させる訳には行くまいから、せめてUN等の場では言うべき事を思いきり言うような最低の努力をして貰いたいものだ。

上記のようにユネスコとは我が国に未だに崇め奉っている我が国に敵国条項を当て嵌めているUNの機関である。彼らを尊重して何か得るところがあったか。そんなUN信仰という迷信に何時までもとらわれていないで、言うべき事をチャンというように努力して貰いたい。韓国にしてやられてばかりいて何とする。ウンザリだ。

そんな昔の事まで調べられないとご理解を:
これは今回の小林賢太郎解任問題の説明の席で、武藤敏郎事務総長がシレッとして述べた責任回避の弁である。未だと言うか、またそんな責任逃れを言うのかと、心からウンザリだった。尤も、報道では「組織委員会が直接選んだのではなく、依頼された者たちが仲間を集めたのだから・・・」との解説もあった。マスメディアも逃げを打っているのだ。芸能等の分野を担当している記者たちが知らなかったのでは職務怠慢であるし、仕事をしていないと言われても言い逃れは出来まい。

では訊くが「サイモン・ウイーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Centerで、これはサイモン・ウイーゼンタールというユダヤ人の名前だそうだ)がアメリカにいながら、何で小林賢太郎のお笑い時代の企画を承知していたのか」という問題だ。事務総長は調べきれなかったと責任逃れの言い訳をするが、SWCはどうやって知ったのだろう。考えなくとも解ることは「何処かに告げ口をした者がいたから」ではないのか。尤も、我が国にはかなりの数のユダヤ人とその系統の方が、芸能界にもおられると聞くが。

余談の部類に入るかも知れないが、カタカナ表記を論じてみよう。何故、マスメディアはSimonを「シモン」と表記しなかったのだろう。今日まであれほど奇っ怪なローマ字読みに徹底して来たにも拘わらず、何が故に突如として本当のサイモンを採用したのだろう。彼らはModernaを「モダーナ」ではなく「モデルナ」と馬鹿な表記をして、私をウンザリさせてくれていたのだった。

ある専門家が「組織委員会は官庁を含めて方々からの出向者で構成されていて、オリンピックが終われば解散して、それぞれが所属していた官庁や会社等に戻っていくのだ」と解説していた。これは、言外に事務総長を筆頭とする責任回避体質が何処から来ているのかを説明していたと解釈した。矢張り「ウンザリ」だった。


7月22日 その2 組織委員会って何をやっていたのだろう

2021-07-22 15:34:59 | コラム
小林賢太郎って誰だ?何をしている人?:

先ほど買い物に出た序でに、サンパークホテルで家内と共に、久しぶりに¥980の鰻重を楽しんでいた。その時に、遠くに見えたテレビでは日テレのニュースが流れていて「小林賢太郎氏が解任された」と出ていた。だが、当方は言ってみれば「小林賢太郎って誰だ?何をしている人?」状態だったので、何があって如何なる地位を解任されたのも解らなかった。

深く気にもとめずに帰宅してから改めてニュースを見て、検索して、何が起きていたのかが漸く解った。感想を言えば「組織委員会とやらの度重なる不手際には驚き呆れた」だけだった。私は純真にも我が国でオリンピックの開会と閉会の式が行われる以上、国柄に恥じない立派なものになるだろうと半ば確信していたので、誰がおかしな事をして辞任したとか演出者が交替したという類いのニュースには関心がなかった。従って、誰が現時点での演出者などは全く知らなかった。だが、渡辺直美を侮辱するような提案をした者が属していた会社には、永年好感を持っていなかった。

そこに、小山田圭吾問題が発生して大騒ぎとなって辞任させた。もうこれでゴタゴタはお仕舞いだろうと思っていたら、そう言う人物がいたことすら知らない小林賢太郎という人が開・閉会式の演出者だったと初めて知ったのだった。私は組織委員会の調査不行き届きを論う前に、音楽と言い演出と言い、そういう分野の人物を選んでいた見識というか感覚に驚かされている。当初は野村萬斎だとか聞いていたので、これには多少以上の違和感があった。だが、このご両名はそれ以前に「到底我が国を代表しても良い、その資格がある者か」という疑問を生じさせてくれた。

「人は道によって賢し」という言い慣わしがあるので、組織委員会の見識と感覚では、このお二方は適任者だとの判断があったのだろう。だが、小林賢太郎の場合は小山田同様に過去の過ちを反省して見せている。だが、ユダヤ系の団体に声明を出されてしまうような過去があった事を、組織委員会なのか深く関係していたかのような、かの広告宣伝会社が知らなかったとは言わせたくないのだ。

組織委員会の事務総長の元事務次官という高貴なお方が、下々の世界の事情に通じておられなかったとしても驚かない。だがしかし、彼の下には世間知らずのエリートばかりがいた訳ではないだろう。それとも、気が付いていても上司に申告できなかったとでも言うのか。尤も、偉そうに言う私は小山田と小林などという連中の存在すらも知らなかったが。

私は我が国のメデイアが何かと言えば諸外国における評判を気にするのは、彼らがまるで国際化されていない田舎者丸出しの所為だと思っている。だが、今回はSWCなるアメリカの団体に小林賢太郎のラーメンズとやら言うお笑い芸人の時期の失態を衝かれてしまったのでは、マスコミの不行き届きも責められて然るべきだろう。彼らは組織委員会に密告することだって出来たはずだ。先ほどチラと見たYouTubeの書き込みには「もう開会式には演出などなくして、選手入場と聖火の点灯と国歌斉唱だけで済ませたらどうか」と言ったようなことがあった。あーあ、組織委員会。