やれやれローマ字読み:
今回は私の好みであるカタカナ語の話題は一般受けしないと承知の上で取り上げてみよう、オリンピックの話題から離れたいために。その中でも「ローマ字読みには英語の正確な発音を身につけるのに対して弊害がある」と思うので、女子のソフトボールにおけるオーストラリアの選手の名字の英語の発音を正確に表示していないカタカナ表記から入っていこう。
彼女はLeigh Godfreyという人だった。だが、テレビの画面に表示されたのは「ゴッドフリー」だった。これを見て直ぐにGodfreyさんのことだと解った。辞書に出ている発音記号をカタカナ表記すれば「ガッドフリー」が最も近いかと思う。だが、本音では「ガードフリー」としたいのだ。以前から論じ続けてきたことで、英語では”o“をローマ字式に「オ」と発音することは少ないと思っていて良いだろうし、同様に”a”も先ず「ア」とはならない例が多過ぎるのだ。今回は“a”の関連は論じない。
このガドフリーさんの名字の前半のGodにしても、如何なる辞書を見ても「ゴッド」とはなっていない。既に指摘したように「がッド」か「ガード」に近い発音記号になっている。だが、我が国のカタカナ語製造業者たちは躊躇せずに“o”は「オ」としたし、“a”は「ア」にしてしまった。余り芳しくない例を挙げれば芸人たちが好む嘆きの台詞では「オーマイガー」となっていて「オーマイゴー」ではないのだ。彼らの耳にもGodは「がード」と聞こえているらしい。
この“o”絡みでは他にも“holiday”を取り上げたい。我が国では堂々と「ホリデー」となっているが、Oxfordだって「ハラデイー」に近い発音記号で表示されている。ボクシングの「ボディーブロー」だった「バディブロー」が英語に近いのだ。勿論、「それが日本語として通用しているのだから、放っておいてくれ」と言われるのは百も承知だ。ここは永年言って来たことで「本当の英語の発音とカタカナ語とは別物だ」と承知していて貰えれば良いのだ。
次は、先日オリンピックの開会式を採り上げた際に採り上げた「ジオラマ」を。英語の綴りは“diorama”なのである。この“di”を「ジ」とするのはまるでポルトガル語のようだが、正確な発音は何と「ダイアラマ」に近いのだ。ここでの英語のイヤらしさはといえば“i”をローマ字式に「イ」とはせずに「アイ」にしているところだ。カタカナ語製造業者の苦心のほどは「デイオラマ」とせずに「ジオラマ」にして逃げた辺りで解る。
この“d”が関連する単語に「デユース」または「ジュース」がある。これはテニスの用語にある。英語の綴りは“deuce”であり発音は「デユース」が近い。だが、ある説によれば、デユースという発音が出来ない人が出てきたので、易しくして「ジュース」になったのだそうだ。英語のイヤらしいところは“schedule”だと「スケジュール」となる辺りにある。
“d“絡みでは他に”diazo“がある。これはICT化やデイジタル化が進んだ現代の方々には通じないだろうと思う。それは「ジアゾ」乃至は「青焼き」と呼ばれていた「コピー」の方式である。コピーして出された書類や図面が青く出てくるので「青焼き」と呼ばれていた。英語の発音はといえば「ダイエゾ」なのである。またしても“i”は「イ」とはなっていないイヤらしさだ。他にも“dilemma”がある。これは「ジレンマ」ではなくて「デイレマ」となっているのだ。
このような英単語の不規則さを「ローマ字読み」にして切り抜けようとした先人の知恵と努力は大変なものがあったとは思う。だが、カタカナ語排斥論者の私には「本当の発音を恣意的に変えてしまう表記の仕方が、正確に英語を学ぶというか発音を覚える妨げになっているのではないかと思える」のだ。「いや。そんなことになるのはインポッシブルだ」などと言わないで欲しい。“impossible”の正確な発音は辞書を見て頂きたい。
今回は私の好みであるカタカナ語の話題は一般受けしないと承知の上で取り上げてみよう、オリンピックの話題から離れたいために。その中でも「ローマ字読みには英語の正確な発音を身につけるのに対して弊害がある」と思うので、女子のソフトボールにおけるオーストラリアの選手の名字の英語の発音を正確に表示していないカタカナ表記から入っていこう。
彼女はLeigh Godfreyという人だった。だが、テレビの画面に表示されたのは「ゴッドフリー」だった。これを見て直ぐにGodfreyさんのことだと解った。辞書に出ている発音記号をカタカナ表記すれば「ガッドフリー」が最も近いかと思う。だが、本音では「ガードフリー」としたいのだ。以前から論じ続けてきたことで、英語では”o“をローマ字式に「オ」と発音することは少ないと思っていて良いだろうし、同様に”a”も先ず「ア」とはならない例が多過ぎるのだ。今回は“a”の関連は論じない。
このガドフリーさんの名字の前半のGodにしても、如何なる辞書を見ても「ゴッド」とはなっていない。既に指摘したように「がッド」か「ガード」に近い発音記号になっている。だが、我が国のカタカナ語製造業者たちは躊躇せずに“o”は「オ」としたし、“a”は「ア」にしてしまった。余り芳しくない例を挙げれば芸人たちが好む嘆きの台詞では「オーマイガー」となっていて「オーマイゴー」ではないのだ。彼らの耳にもGodは「がード」と聞こえているらしい。
この“o”絡みでは他にも“holiday”を取り上げたい。我が国では堂々と「ホリデー」となっているが、Oxfordだって「ハラデイー」に近い発音記号で表示されている。ボクシングの「ボディーブロー」だった「バディブロー」が英語に近いのだ。勿論、「それが日本語として通用しているのだから、放っておいてくれ」と言われるのは百も承知だ。ここは永年言って来たことで「本当の英語の発音とカタカナ語とは別物だ」と承知していて貰えれば良いのだ。
次は、先日オリンピックの開会式を採り上げた際に採り上げた「ジオラマ」を。英語の綴りは“diorama”なのである。この“di”を「ジ」とするのはまるでポルトガル語のようだが、正確な発音は何と「ダイアラマ」に近いのだ。ここでの英語のイヤらしさはといえば“i”をローマ字式に「イ」とはせずに「アイ」にしているところだ。カタカナ語製造業者の苦心のほどは「デイオラマ」とせずに「ジオラマ」にして逃げた辺りで解る。
この“d”が関連する単語に「デユース」または「ジュース」がある。これはテニスの用語にある。英語の綴りは“deuce”であり発音は「デユース」が近い。だが、ある説によれば、デユースという発音が出来ない人が出てきたので、易しくして「ジュース」になったのだそうだ。英語のイヤらしいところは“schedule”だと「スケジュール」となる辺りにある。
“d“絡みでは他に”diazo“がある。これはICT化やデイジタル化が進んだ現代の方々には通じないだろうと思う。それは「ジアゾ」乃至は「青焼き」と呼ばれていた「コピー」の方式である。コピーして出された書類や図面が青く出てくるので「青焼き」と呼ばれていた。英語の発音はといえば「ダイエゾ」なのである。またしても“i”は「イ」とはなっていないイヤらしさだ。他にも“dilemma”がある。これは「ジレンマ」ではなくて「デイレマ」となっているのだ。
このような英単語の不規則さを「ローマ字読み」にして切り抜けようとした先人の知恵と努力は大変なものがあったとは思う。だが、カタカナ語排斥論者の私には「本当の発音を恣意的に変えてしまう表記の仕方が、正確に英語を学ぶというか発音を覚える妨げになっているのではないかと思える」のだ。「いや。そんなことになるのはインポッシブルだ」などと言わないで欲しい。“impossible”の正確な発音は辞書を見て頂きたい。