新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

仕事の世界における暴力及びハラスメント」は条約・勧告だったとは

2024-04-27 11:55:24 | コラム
自分が書いた事を失念していたとはと恥じている:

President誌の24年5月17日号に山藤祐子氏の“言ってはいけない「最新版ハラスメント」”と題した記事の中で、“2019年にILOで採択された「仕事の世界における暴力及びハラスメント」に関する条約・勧告があります”と指摘しておられたのを読んで、実は愕然となった。それは、私は「パワハラ等という抽象的な事が法律で決まっているのか」と何度か述べてきたのだったから。不勉強だった。

その自分が2019年2月19日に「職場でのパワーハラスメント(パワハラ)防止を企業に義務付ける労働施策総合推進法の改正法(通称、パワハラ防止法)等というものは理解できない」と堂々とブログに掲載していたのだった。「何という事をしていたのか」と、陳腐な言い方をすれば「穴があったら入りたい」思いにとらわれていた。

しかも、山藤祐子氏は“「知らなかった」とは言い逃れできない!法律で認定されている6大ハラスメント”として、パワハラ・セクハラ・シジハラ・マタハラ・パタハラ・ケアハラの解説までしておられたのである。この有様では「入るべき穴は、温泉が湧き出る程深く掘らねばなるまい」と痛感した。因みに、パワハラとは「優越的な関係を背景に、業務上の必要且つ相当な範囲を超えた言動などで、労働者の就業環境を害すること」と規定されているようだ。

当方が5年前に論じていたことは、
「私が在職中にアメリかでは“sexual harassment”が問題になっていて、本社ではわざわざ副社長を集めて説明会があり、我々部員にもそれに該当する例を詳細に解説されたのだった。“harass”とはOxfordには“to annoy or worry ~ by putting pressure on them or saying or doing unpleasant things to them”とある。との解説の中には「女性に向かって、今日の洋服は良く似合うね」は駄目だというのがあった。それほど微妙なことだと良く解ったし、アメリカにおける女性への対処法とは、こういう微妙ものかとも理解できた。

 それが我が国では「セクハラ」などというカタカナ語にされて、勝手な解釈を付け加えて「上司または権力者による苛め」を「パワーハラスメント」などという意味不明なカタカナ語に置き換えてしまった。しかも、それだけに飽き足らず、「パワハラ」などという俗称まで造ってしまった。“power”は既に何度も解説したが「上司」だの「権力者」という意味では使われていない言葉だ。もしも上司と言いたければ“superior”という歴とした言葉もあるし、略式では“boss”が広く使われている。即ち、「スーハラ」か「ボスハラ」ならば、私も揚げ足は取らないということ。」

であって、専らpowerという単語の使われ方が誤っていると言いたいいようだった。何れにしても、不勉強だったことを反省している。

私はアメリカの企業社会では「パワハラ防止法」は不要だろうと思っている。それは圧倒的多数の企業では即戦力となる経験者を随時中途採用して仕事をさせる、我が国で言われ始めた「job型雇用」の世界であるから。即ち、事業部長の下に横一線で担当者がいるので、彼等の間には上下関係などあり得ないし、部下などはいないのだ。私も完全にただ一人で日本駐在マネージャーの仕事をしていた。

しかも、アメリカでは「職の流動性があるから、各人が長い年月その会社のその職務に止まっている訳ではない」という我が国とは異なる「異文化」の世界なのだ。また、事業部長は余程のことでもない限り、指揮下にあって割り当てられた仕事を担当しているマネージャーに注意を与えるとか、指導をするなど先ずあり得ないのだ。要するに「ハラスメントの機会はない」のである。

この山藤祐子氏の記事を読んで今更ながら思ったことは「良い時にリタイアしたものだ。こんな事まで法制化された企業の社会では、私如きは到底存在し続けてはいられなかっただろう」という、負け惜しみにも似た感情だった。とは言ってみたが、何とも会社勤めが難しい時代になったものだと思わせられている。

マイナ保険証を使うのには二択制だとは知らなかった

2024-04-26 14:45:31 | コラム
河野太郎さん、高齢者にも伝わるようにもう少しの配慮が出来なかったのですか:

マイナンバーカードのIDとPWを書き記したメモを無くしたので、不味いことになったと慌てて、「どうすれば良いのか」を新宿区役所に電話で問い合わせた。答えは「区役所でも出張所でも良いから出かけて、係員に相談して下さい」だった。

そこで、今朝程ジムに行く前に、その直ぐ近くの戸塚出張所に恐る恐る出かけた。エレベーターを降りたところで、案内役の女性から「どうしました」と声をかけて貰えた。マイナ保険証云々を伝えると、色々と質問された。そこで、既に国立国際医療研究センター病院とさいとう眼科で顔認証をした旨を伝えた。

すると「それならば、もう登録してあった4桁の数字は不要になっていて、これからは全て顔認証しか使えないことになった」と教えられた。どうやら、俗に言う紙の保険証も使えない事のようだった。「エッ」という思いだった。「そんな事、河野さんも武見さんも仰っておられません。何時、そういうお触れが回ったのですか」なのだ。要するにマイナ保険証を使う際には「4桁の番号の入力か、顔認証の二択だった」という事のようだった。

「それならそうと、誰にでも伝わるように公表しておけば良かったじゃないか。矢張り河野太郎さんは強制するだけで、配慮が足りない政治家だ」と再認識した次第。それでも不安な点が残った。それは「ひょっとして、当方がそういう二択制だとの発表を聞き漏らしたのか、見落としていたのではないかという反省しなければならないのか」なのだ。

このように高齢者が恐る恐る区役所に出向いて確認しなければならない事態をも招く制度に変更しようというのならば、もう少しの親切心があっても良かったのではなかろうかと、やや不満な思いを抱えて、ジムに向かって坂を上って行ったのだった。


2024年3月の新宿区の人口

2024-04-26 08:01:54 | コラム
2024年3月の東京都新宿区の人口は349,318人になっていた:

我が新宿区百人町/大久保(マスコミは何故か知らないが「新大久保」と誤った呼び方をする)には暖かい季節ともなれば、より多くのアジア系のインバウンド様たちが、JR新大久保駅付近の道路を歩行困難にする程殺到している。彼等は何処に宿を取っているのだろうか、我が国に何を観光に来たのだろうかと、何時も不思議に思って眺めている。

一昨日だったか、彼等とは無縁なのだろうとばかり認識していた高田馬場駅前に、路上駐車していた他県ナンバーのワゴン車があった。先ず多くのトローリーケースが積み込まれたかと思えば、何処からともなく現れた数名が乗り込んで走り去っていった。それを見ていた人たちは誰言うともなく「あれはもしかして、何処かの国の人用の白タクじゃないのか」という事になった。

先週のことだったが、新大久保駅構内のアナウンスでは「乗降客の皆様はパーテーションで仕切られた通りにご通行ください」と繰り返し放送されていた。駅から出ていく方だったカタカナ語排斥論者である私は「JRの職員ともあろう者がpartitionをパーテーションなどと言うとは情けないな」と憤慨させられていた。「仕切り」は「パーティション」というのだ。

兎に角、新大久保駅前の「回らない回転寿司店」等は何時入ってみても、洋の東西南北を問わない外国人で賑わっている。先日はスーツ姿の4人組に「何処の国の人」と尋ねてみれば、ネパール人でコンサル会社を経営しているとか。この店の存在はネットで知って遙々やってきたと言う。今月から新規開店した読めない中国の簡易体の看板を掲げたスタンドには、連日長い列が出来ている程の人気。

何しろ、岸田政権が懸命に景気回復策として観光客誘致を続けておられる以上、インバウンド様たちがこんな繁華街でもないところに押しかけてくるのだから、我々原住民にとっては「良い」じゃなかった、悪い迷惑なのだ。山手線の線路の内側がKorean townとして老若女の人気となっているのだが、ここ線路の外側にもイスラーム教国人に加えるに、中国勢が静かに進出を開始している。私はこのような傾向を歓迎する気は毛頭ない。

先月も指摘したことで、世界を歩いてきた私から見れば、我が国程遠来の客に気を遣って親切にしている国はないと思う。他国では何処に行っても外国人を特別扱いしている様子は感じられなかった。我が国のように至る所で日本語に加えて英語、中国語、韓国語が記載されている親切な看板を見た記憶がない。空港のアナウンスだってその国の言葉と英語が聞こえてくる程度。我が国とは親切・丁寧さの度合いが違うのが普通。

新宿区の人口の推移を見ていこう。24年3月新宿区の人口は対前月比で244人増加して349,318人に達していた。その内訳は日本人434人の増加で305.627人、外国人は△190人で43,691人となった。外国人が全人口に占める比率は12.5%となり前月の12.57%よりもほんの僅か低下していた。街中であれほど多くの外国人を見かけても、彼等は定住しようとはしていない模様だ。

ここ新宿区大久保と百人町界隈に押し寄せてくるアジア系とイスラーム教国系の外国人の増加傾向は変わる様子もない。私は異常だと認識している。何が彼等をあれほどまでに惹きつけるのか、何か彼等が安心して短期間でも住みたいと思わせているのか、理解できない。私には彼等が日本を甘く見て甘い汁を吸おうとしているのだとしか思えない。
今回も同じ事を言おう。「イスラーム教国やアジアの諸国の人たちが、物価上昇を克服して我が国で悠々と生活していられるのが不思議に思えてならない」のである。イスラーム教国の連中がハラルフード店以外で働いているのを見たことがない。それで生活が成り立っていることが不可解に思えるのだ。我が国の政府は何で彼等に観光ヴィザなどを与えているのだろうか。岸田総理には「持ち帰って真剣にご検討願いたい事案」である。

新宿区百人町/大久保界隈に顕著に表れた現象は、日本人向けの蕎麦屋のような料理屋、八百屋、魚屋、惣菜屋のような小売店/商店が続々と廃業してしまって商店街が消滅した上に、銀行の支店もなくなってしまった状態なのである。私はこのような不便な状態になるまで議会も行政も拱手傍観していたのは、彼等の至らざる所だと不愉快に感じている。

行政には我々市民が、他国民が群がって歩行もままならない混雑に巻き込まれて「ここは何処か余所の国か」あるいは「何でこのような状態になってしまったのか」と不満に思っている状態を具に観察して「何とかしなければなるまい」と真剣に考えるようになって貰いたい。それでも、話に聞く川口市の状況に比べれば、未だ正常な状態のようである。改めて、行政の不行き届きを非難したい。

参考資料:新宿区広報24年4月25日号

世界の製紙産業界の変化の考察:

2024-04-25 12:01:10 | コラム
世界の情勢を変えた新興勢力の急成長:

このような見出しにはしたが、実際にはアメリカ産業界の問題点の指摘になってしまうだろう事をお断りして始めよう。

1997年1月にインドネシアのジャワ島に華僑財閥のSinar Mas Groupの、今や世界最大の製紙会社になったと言っても誤りではないAsia Pulp & PaperのThibikimia工場(チビキミア)を訪れる機会を得た。そこで見たその世界最新鋭の抄紙機の規模の大きさ、生産能力と抄紙の速度、完璧なコンピュータ管理の生産工程には、大袈裟でも何でもなく「腰を抜かす」程驚かされたのだった。

それは悲しいことに長い間アメリカの過去の遺物のように成り果ててしまった、嘗ての大型マシンに慣れてきた私にとっては、信じられない程驚異的な最新鋭の設備だったからだ。しかも、その最新鋭の抄紙機は三菱重工が製造したものだったのも驚かざるを得なかった。

現代に「後発乃至は新興勢力の国の製紙産業界に見られる現象はと言えば、後発なるが故に世界最新鋭の原料の生産から製紙までの設備の導入が可能なので(と言うか、最早旧式の設備は入手できない時代なのだ)、先進国を凌駕する優れた品質の製品を、合理化された設備で生産出来るだけではなく、価格競争能力が非常に高くなるのだ。

その典型的な例が今や世界最大の製紙国になった中国であり、6位にのし上がったインドネシアなのである。念のために取り上げておくと、インドネシアの人口1人当たりの消費量はと言えば29.7kgだったのだから、自国内では消化できずにアメリカに輸出攻勢をかけたのは自然の成り行きだった。

つい先頃まで世界最大の製紙国だったアメリカが中国に大きく差をつけられた2位になり、我が国が3位に下がったのも、先進国というか先発だったが故に新規や合理化の投資が遅れた為だったのだ。即ち、生産設備は古く、遅く、小規模で古物化してしたので、中国やインドネシアのような新興勢力に対して品質でも価格でも競争能力が著しく衰えてしまったのである。

これは紛れもない事実であり、私はこのような現象は必ずしも製紙産業界だけに起きていることではないのではないと見ている。例えば、EVのように中国のBYDが世界の主導的存在になっている例があるではないか。

それならば「新規に設備投資をすれば良いじゃないか」となるかも知れない。だが、そんな簡単なことではないのが世界の実態である。何故ならば、アメリカ式の資本主義というか経済の考え方では「利益が上がらなければ再投資をしない」と言う思想から離れられずに、古物化した設備を我慢して使い続けていれば、高騰する原料コストを賄いきれず、価格競争能力が衰えてしまうからだ。古い設備を何とか改造して使っている状態では生産効率が上がらないのだ。

問題はこれだけには止まっていなかった。嘗ては世界を主導してきたアメリカ式の「少品種大量生産から大量販売方式」から産み出されたアメリカの市場だけにしか通用しない製品とその価格では、新興勢力の高品質で経済的な価格の製品との競争には勝てなくなってしまったのだ。アメリカの自社の設備を効率的に稼働させるスペックで造り出される量産品は受け入れられなくなったのである。

例えば、アメリカ特有の針葉樹の強力な木材繊維の特性を活かした荒々しいが印刷加工の能率は上がる印刷/情報用紙類は、我が国や新興国のように闊葉樹の繊維を活用した滑らかな表面状態と緻密な地合の紙に慣れた需要家には歓迎されないのだった。言い換えれば、折角の「優れた針葉樹繊維の紙は通用しなかった」という事になる。

そこに加えるに、既に繰り返して取り上げた「労働力の質の低さの為に、世界中何処に行っても受け入れられるような製品が出来ない」という労働組合の問題もあるのだ。職能別労働組合が強力で賃上げの要求が厳しくなる一方だったので、古い話を持ちだして恐縮だが、一部の産業界には「空洞化現象」まで起きていたのだった。

その弱りかけてきたアメリカ市場に国内の需要を遙かに超える過剰な設備を抱える事になってしまった新興勢力が輸出攻勢をかけてきたのだから、アメリカは防戦一方になったのも止むを得ないこと。結果的には嘗ての下請け工場的存在だった中国からの輸入の激増に、トランプ政権は高率の関税で対応したのだった。インドネシアからの印刷用紙などはその前に、既に超高率の関税で閉め出されていた。

私は古物化した設備を多くの分野で抱えているアメリカの製造業が衰退してしまった原因と言うか背景には、上述のような問題点があったと見ている。その他に忘れてはならない事がある。それはアメリカ市場の特性で「如何なる製品でも本質的に求められている機能を充分に果たしていれば十分だ」とする極めて合理的というか実用的な消費者の要求だ。彼等は例えば牛乳パックなどには我が国のような芸術的な美術印刷などは求めていないのだ。

だから、アメリカの製造業はアメリカ市場で通用し、受け入れられていた製品をそのまま海外の市場に流せるものと確信していたようだったのだ。だから、外国からの厳格な品質の要求に簡単に応じられず、容易に海外市場に浸透できていなかったと見ている。その悪い例が「未だに左ハンドルの車しか作らないにも拘わらず、トランプ前大統領のように「買わない日本が怪しからん」などと言うのだ。欧州では右ハンドルを作っているではないか。

私は20年以上もアメリカの大手企業に勤務して、彼等が「世界で最も品質にも価格にも厳格な要求をする国である」と言う日本向けの輸出を担当して、苦労もしてきた。その間に実体験して学んだ結果で知り得た、アメリカの産業界が抱えていると思う問題点を取り上げてみた次第。この辺りは大所高所から見ておられ、米国経済についての豊富な情報源を持っておられるエコノミストや評論家の方々の見解とは違うのは当然かと考えている。

アメリカの製造業界が世界の情勢の時々刻々の変化に遅れることなく付いてきて、設備の合理化の投資を怠ることがなければ、自動車産業があそこまで衰退せずに済んだのではなかったか。新興勢力が世界最新鋭の生産設備を導入して、先進国を追い抜いている状態をオバマ元大統領やトランプ前大統領が的確に把握しておかれるべきだったのではなかったか。だから、新世代の賢明な経営者たちはGAFAMに向かったのだと思って見ている次第。

私が上述のようにアメリカの製造業が衰退したと指摘できた理由は「米国の企業社会の中に入って、アメリカの実態を具に見て、アメリカの為に働いてきたから」なのだと思っている。我が事業部の副社長が指摘した“We are making the things happen.”と言ったように「我々は当事者であり、我々が事を起こしている」と言う世界にいたから言うのだ。

偉そうに後難を怖れずに言えば「高名なエコノミストやジャーナリストの方々とは違う立場と視点からアメリカの産業を経験してきたからこそ言えること」を述べてみた次第だ。一般の方々が簡単に踏み込める機会ないと思う世界を紹介しようと試みたのである。

4月24日 その2 私が世界各国の1人当たりの紙消費量を取り上げる訳

2024-04-24 13:16:20 | コラム
実は、中国で生活様式に変化があったのかを知りたかったので:

10数年前のことだったかメルマガ「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏に示唆されて「中国の全人口の生活様式が変わり、水洗トイレが普及して10数億の人口が洩れなくトイレットペーパーを使用する状態が出現した場合に、全世界の紙パルプの需給にどのような影響を及ぼすだろうか」を試算してみたことがあった。

この試算をするに際しての私の興味と関心は「中国がアメリカに迫る世界の経済大国にのし上がったとは言え、人口1人当たりのGDPでは未だに世界の上位には上がり切れていない事が示されるのかも」という点にあった。試算をする為の前提となった資料は最早手元には残っていないが、結果として予測できたことは「10数億の人口にトイレットペーパーが普及すれば、全世界のパルプと古紙等の製紙原料全量がそこに費やされてしまう事になる」だった。

要点は「経済発展が生活様式の変化をもたらしていたか」を見たかったのである。

しかしながら、中国ではディジタル化は世界に先駆けて進み、誰でもがスマートフォンを持ち歩いて買い物をする際に店頭のQRコードを読ませて決済すると報じられているように「究極のペーパーレス化」が進んでいる事実も報じられている。だから、人口1人当たりの紙の消費量が世界175ヶ国の平均を超える所までには至ったものの、30位のバーミューダの102.0kgにも及ばない83.9kgに止まっている状態。

想像を逞しゅうすれば、トイレットペーパーの普及は未だしの感がある。しかし、話をここまでで止める訳にはいかないと思う。今や世界最大の人口を擁するのはインドなのである。そのインドは生産量で5位、消費量では4位という大国なのだ。だが、1人当たりの消費量は何と12.6kgであり、大いなる将来性を秘めているとも言えそうだ。ここで、もしインドで生活様式に変化が生じ、トイレットペーパーを消費するようになれば・・・なのだ。

製紙原料は電力とは違って太陽光パネルを設置すれば供給量が増えるような訳にはいかないのである。ウエアーハウザーでは自社で育成した針葉樹の苗を植えてから伐採するまでに、50年というサイクルを見ていた。保有していた森林地も約600万エーカー(1エーカー=約1,200坪)であるから、とても何時の日か飛躍的に増加する衛生用紙向けの製紙原料の需要を、部分的にでも賄いきれるものではないと思う。

印刷情報用紙や新聞用紙等の印刷媒体用の紙の需要は急速に減少したが、世界全体の新興国等々で衛生用紙の需要が伸びていった場合には、原料の供給は間に合わないだろうし、生産する設備(=抄紙機)にした所で、衛生用紙の生産に適した機械を急に導入せよと要求されても、無理な相談だと思う。

以上は飽くまでも仮定の話だから「それは大変」などと慌てる必要はないと思う。ではあっても、新興国だけではなく嘗ては発展途上国と呼ばれた多くの国も、時代の急速な変化と進歩に合わせて経済は発展し、生活様式も変化していくだろう事は、容易に想像できる。その時代にあって「未だ紙を使っているのか」などという不埒なテレビCMを流しているIT企業には「何を考えているのか、紙を軽視するな」と警告してやりたくなるというもの。