読書。
『サピエンス全史 上・下』 ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之 訳
を読んだ。
本書では、人類つまりホモ・サピエンスが経験してきた三つの躍進を、それぞれ「認知革命」「農業革命」「科学革命」と大別します。人類史の構造部分(といっても抽象的というよりも具体的に話は進んでいきます)をしっかり読み解いて、人間ひいては社会はなんぞやということを解き明かす大著でした。
読みどころの多い本です。序盤こそ、さまざまな研究を寄せ集めただけなのではないか? と舐めてかかっていました。ですが、寄せ集めにしてはその量は膨大でしたしそのすべてを十分に咀嚼して自分のものとしたうえで執筆しているのがわかるくらい中身があり読みやすい文章なのでした。
人類学や考古学や経済学やいろいろな学問分野を横断的に、そしてコンセプトに合わせてくっつけたものを掘り進んでいくかのような読まされ方をする感じです。様々な知見の集め方がまるでAIみたいだし、多くの知見の咀嚼力も本当に強力でそれらがシームレスに構成材料になっています。その集められた知見の量が量だけなこともあって、それらを繋ぐ糸がどう張り巡らされているかを著者が見ていくことで、読者が目にすることになる「今まで見たことのない図形」。そしてこの図形には隠れた本質が宿っているのをやがて知れるのです。
ここからは、数多くの関心をもったトピックのなかから、自分として引きつけられたところのうち何点かを。
「歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある」に深く肯きました。全自動洗濯機に冷蔵庫、パソコン、掃除機……、それらがなかった時代の身体的な仕事量と今の仕事量を比べたとしたらどうなんでしょう。家電化して浮くはずの時間が、あらたなコトに消費させられていきます。人はぼーっとしてはいられないんですよね。強迫観念的に、more…more…more……と時間と労力をつぎ込んでいく。浮いた時間でする遊びにだって、流行やらなにやらに強制される義務的な行動としての側面があるような気がしてきます。
また、矛盾や認知的不協和が文化の推進力になるっていうような話にはなるほどなと思いました。極端に針を振るんじゃなく、その間を揺れ動くことがエネルギーに。これは個人の場合でも似ていると思います。極端な場所に安住しては推進力は得られないという知見は、僕の考え方とも一致するんです。漫画『ドラゴンボール』でなぞらえるなら、矛盾や認知的不協和は、いわば「超神水」なんですよ。
と、いうところで、大著の感想の割にさっぱりしてしまいました。
要は、認知革命でサピエンスが駆使できるようになった創造力、それも虚構(これが重要なポイント)を創り共有できる能力がたぶん今日の繁栄のすべてで、それに積み重なるように農業革命があり、無知であることを自らわきまえたことで起きた科学革命が、現代への飛躍になっています。また、歴史を学ぶときに、それが苦しみや幸せにどうつながったのか、苦しみを生んだ歴史だったのか、幸せを生んだ歴史だったのかを吟味してこなかったのがこれまでの歴史学で、それを考えることに意義があるのではないか、という著者の主張・問いには肯きました。
歯に衣着せぬ、ズバリと本質をつく論考なので、気持ちのいい刺さり方もすれば、暗部をえぐられる刺さり方もします。それを受けとめる度量をもって、挑んでください。そういう本でしたし、しっかり読んだときに得られるモノはかなりのものだと思いました。
『サピエンス全史 上・下』 ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之 訳
を読んだ。
本書では、人類つまりホモ・サピエンスが経験してきた三つの躍進を、それぞれ「認知革命」「農業革命」「科学革命」と大別します。人類史の構造部分(といっても抽象的というよりも具体的に話は進んでいきます)をしっかり読み解いて、人間ひいては社会はなんぞやということを解き明かす大著でした。
読みどころの多い本です。序盤こそ、さまざまな研究を寄せ集めただけなのではないか? と舐めてかかっていました。ですが、寄せ集めにしてはその量は膨大でしたしそのすべてを十分に咀嚼して自分のものとしたうえで執筆しているのがわかるくらい中身があり読みやすい文章なのでした。
人類学や考古学や経済学やいろいろな学問分野を横断的に、そしてコンセプトに合わせてくっつけたものを掘り進んでいくかのような読まされ方をする感じです。様々な知見の集め方がまるでAIみたいだし、多くの知見の咀嚼力も本当に強力でそれらがシームレスに構成材料になっています。その集められた知見の量が量だけなこともあって、それらを繋ぐ糸がどう張り巡らされているかを著者が見ていくことで、読者が目にすることになる「今まで見たことのない図形」。そしてこの図形には隠れた本質が宿っているのをやがて知れるのです。
ここからは、数多くの関心をもったトピックのなかから、自分として引きつけられたところのうち何点かを。
「歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある」に深く肯きました。全自動洗濯機に冷蔵庫、パソコン、掃除機……、それらがなかった時代の身体的な仕事量と今の仕事量を比べたとしたらどうなんでしょう。家電化して浮くはずの時間が、あらたなコトに消費させられていきます。人はぼーっとしてはいられないんですよね。強迫観念的に、more…more…more……と時間と労力をつぎ込んでいく。浮いた時間でする遊びにだって、流行やらなにやらに強制される義務的な行動としての側面があるような気がしてきます。
また、矛盾や認知的不協和が文化の推進力になるっていうような話にはなるほどなと思いました。極端に針を振るんじゃなく、その間を揺れ動くことがエネルギーに。これは個人の場合でも似ていると思います。極端な場所に安住しては推進力は得られないという知見は、僕の考え方とも一致するんです。漫画『ドラゴンボール』でなぞらえるなら、矛盾や認知的不協和は、いわば「超神水」なんですよ。
と、いうところで、大著の感想の割にさっぱりしてしまいました。
要は、認知革命でサピエンスが駆使できるようになった創造力、それも虚構(これが重要なポイント)を創り共有できる能力がたぶん今日の繁栄のすべてで、それに積み重なるように農業革命があり、無知であることを自らわきまえたことで起きた科学革命が、現代への飛躍になっています。また、歴史を学ぶときに、それが苦しみや幸せにどうつながったのか、苦しみを生んだ歴史だったのか、幸せを生んだ歴史だったのかを吟味してこなかったのがこれまでの歴史学で、それを考えることに意義があるのではないか、という著者の主張・問いには肯きました。
歯に衣着せぬ、ズバリと本質をつく論考なので、気持ちのいい刺さり方もすれば、暗部をえぐられる刺さり方もします。それを受けとめる度量をもって、挑んでください。そういう本でしたし、しっかり読んだときに得られるモノはかなりのものだと思いました。