Fish On The Boat

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『口語訳 遠野物語』

2024-05-08 13:09:21 | 読書。
読書。
『口語訳 遠野物語』 柳田国男 佐藤誠輔 訳 小田富英 注
を読んだ。

原典の『遠野物語』は1910年、のちに民俗学の祖となる著者・柳田国男によって自費出版されたものです。その文語体の文体の美しさが本書の解説でも素晴らしいと言われていまして、こうして口語体にすることで、面白みや美しさが損なわれてしまうのですが、それでも文意をわかりやすく伝えるべく挑んだ冒険作と評価されています。

「遠野」はアイヌ語が語源のようです。たとえば、「トオノ」の「トオ(トー)」は湖を表すのだ、と。アイヌは北海道のみならず、東北やロシアにもダイナミックに活動域を広げていたと、以前読んだことがあります。その痕跡をこうして身近に感じられると、遠い話ではないような気がしてきます。

さて。61ページのあたりなどで、いくつかの段に渡って語られるザシキワラシのお話はよく知られていると思います。それまで屋敷に宿っていたザシキワラシに逃げられた瞬間から、馬屋で大蛇が出て、主人に「そのままにしておけ」と言われたのを聞かず、下男たちが面白がっていたぶって殺してしまう。すると、馬草の中からさらに小さな蛇たちがわんさか飛び出してきて、それも下男たちがみな殺してしまう。そのあと蛇塚を作るのですが、相当な量の死骸があったそうです。それからまもなく、下男がみたことのないキノコを屋敷の敷地内に見つけ、食べれるかな、と話し合っていると、また主人が「やめておけ」というのを聞かず、おからといっしょに混ぜながら炒めれば食べられるなどという下男の中でも物知りとされている男の言葉を信じて食べてしまう。もちろん、一家は全滅。その屋敷の繁栄はあっという間についえたというお話がありました。これは、遠野物語といえば語られる代表的なお話のひとつでした。まあこの話は、下男の無知無教養が不幸につながっているわけですけれども。
明治時代の学者・南方熊楠がザシキワラシに対する解釈として、人柱で家の土台に埋められた男女の子どものに対する意識、あるいは彼らの霊だとした、という逸話も注釈に載っていました。人柱ってそんなにありふれた行いだったのでしょうか。ちょっと認識が揺らいできます。

個人的に好きな話が、143ページにある72段目のお話「子ども好きのカクラサマ」。雨ざらしになった、木彫りの神様の座像です。これを子どもたちがひっぱり出しては川に投げ、道路の上を引きずり、そのうちこの座像の目も鼻もわからなくなるほどおもちゃにされていました。この乱暴な扱われ方に一言言わずにおれなかった大人たちが、「そんなに乱暴にするもんでねえ。ちゃんと元のところさ返しておけ」と子どもたちを叱り、子どもたちは従います。すると、子どもたちを叱った大人たちは足が動かなくなるものがでたり、高熱を出して寝込むものが出たりなどしました。不思議に思って、ある者に拝んでもらうと、あの座像であるカクラサマがでてきてお告げをします。「この大人たちは、おれがせっかく子どもたちと、楽しく遊んでいたものをじゃましたがら、少し罰を与えておいた」。大人たちはお詫びをし、元の体に戻してもらったそうです。
木彫りの神様って昔はよくあったのかもしれないですね。余談ですが、木彫りの神様の座像と読んで思いだすのが木彫りの仏様の像でした。これらは円空や木喰らによるものが伝えられていますよね。このあたりもちょっと知りたくなってきます

また、明治29年の大津波の話も、さらりと語られていますがすごいです。38.2メートルの津波が三陸を襲い、日清戦争の凱旋記念花火大会に来ていた大勢のひとたちが全滅したりしたと注釈にありました。溺死者は2万2千人だそうです。2011年の東北大地震時の大津波をほうふつとさせます。

あと、とある峠のお堂の話にあるのですが、その壁に、旅人たちが、盗賊にあったとか、不思議な女とすれ違ったときにニコっと微笑まれたとか、猿にいたずらされたとか書き記していくのが昔からの習わしだと『遠野物語』にある。なんだか、「今も昔も」なメンタリティーですよね。こういう風俗・習俗の源流が知れるのはおもしろいです。

本書を読んで『遠野物語』の内容を知った後は、ぜひ原典にあたってその文体の調子から丸ごとを味わってほしい、というような願いが本書には込められています。昔の文語体で読むのは骨が折れそうでハードルの高さを感じますが、ちょっと余裕が持てたときなんかに、挑んでみたいです。


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