卒業したアイドルさんが彼女たちのイメージに無いような卒業後の行動をふつうにとっているとき、それはたとえば、居酒屋とかスナックでおしゃべりしながら楽しく飲んでいたり、町中華の小上がりであぐらをかきながら瓶ビールをぐひぐびやっていたり。これらの、なんてことはないのだけど、ちょっと「どうしてだろう?」とファン側からは思えてしまう振る舞い。そんな彼女たちにたいして、僕には「現役アイドル時代、いろんなファンと向き合ってきたから仮説」がある。あくまででっかい仮説です。勝手な想像の産物に近いですが。
仮説とはこういうもの。お金のないファン、人生負けっぱなしのファン、嫌われ者のファン、悲しみや苦しみを背負ってるふうなファン、身なりが汚いファン、言葉遣いが荒いファン、表情も口数も少ないファンその他などなど、いわゆる「少数派に割り振られる人」だったり「社会の周縁がやっと自分の居場所」だったりした人たちもいたと思うのですよ。そういった、通常とか一般とかの文脈ではとらえきれないような、その個人個人ならではの情報量を多く抱えた人たち、といったらいいのでしょうか。そういう人たちもアイドルを応援しているわけです。
アイドルを卒業すれば、一般ファンたちもそうかもしれないけれど、そういう人たちともちょっと距離ができるような気がする。でも、現役の頃にそういった、一般の枠からはみ出ているようなファンの人たちを受け止めたのはウソではなく、さらに、卒業したから断ち切ろうとすることは現役の頃の自分をも断ち切ることにつながりもするし、前述の「瓶ビールをぐひぐび」やったようなアイドルさんは受容し包摂したように感じられた。
いろんな人生の人と正面から「ありがとう」のやりとりをしたし、その自覚があるから、自分が成功者になっても、彼らとまったく違う地面に立つことは自分の在り方ではないと感じるゆえなのかもしれない。まあ、一般の枠からはみ出ているようなファンの人たちを例にするのはちょっと突飛だったかもしれませんし、一般的な枠内にはまっている「庶民的なファン」を例にするだけでもよかったかもしれません。
あくまで仮説、勝手な想像なのですけど……、僕は大好きだ。
アイドルとファンの関係性を「ケア」から見ることは可能なんですよねえ。でも、これこそ「秘すれば花なり」であって、論じることではないのかもしれない。ただ、自分がいったい何者なのかわからなくなったアイドルやファンの人はちょっとこのあたりを考えてみて自分を取り戻したりできそう。
仮説とはこういうもの。お金のないファン、人生負けっぱなしのファン、嫌われ者のファン、悲しみや苦しみを背負ってるふうなファン、身なりが汚いファン、言葉遣いが荒いファン、表情も口数も少ないファンその他などなど、いわゆる「少数派に割り振られる人」だったり「社会の周縁がやっと自分の居場所」だったりした人たちもいたと思うのですよ。そういった、通常とか一般とかの文脈ではとらえきれないような、その個人個人ならではの情報量を多く抱えた人たち、といったらいいのでしょうか。そういう人たちもアイドルを応援しているわけです。
アイドルを卒業すれば、一般ファンたちもそうかもしれないけれど、そういう人たちともちょっと距離ができるような気がする。でも、現役の頃にそういった、一般の枠からはみ出ているようなファンの人たちを受け止めたのはウソではなく、さらに、卒業したから断ち切ろうとすることは現役の頃の自分をも断ち切ることにつながりもするし、前述の「瓶ビールをぐひぐび」やったようなアイドルさんは受容し包摂したように感じられた。
いろんな人生の人と正面から「ありがとう」のやりとりをしたし、その自覚があるから、自分が成功者になっても、彼らとまったく違う地面に立つことは自分の在り方ではないと感じるゆえなのかもしれない。まあ、一般の枠からはみ出ているようなファンの人たちを例にするのはちょっと突飛だったかもしれませんし、一般的な枠内にはまっている「庶民的なファン」を例にするだけでもよかったかもしれません。
あくまで仮説、勝手な想像なのですけど……、僕は大好きだ。
アイドルとファンの関係性を「ケア」から見ることは可能なんですよねえ。でも、これこそ「秘すれば花なり」であって、論じることではないのかもしれない。ただ、自分がいったい何者なのかわからなくなったアイドルやファンの人はちょっとこのあたりを考えてみて自分を取り戻したりできそう。