世界フィギアスケートで安藤美姫が優勝した。
しかし、ネットでの報道を見る限りでは、「安藤優勝」と「キム・ヨナ2位」「浅田真央6位」の扱いが同等のように思える。
そして、信じられないことに、全米柔道大会での石井慧優勝も同じ扱いだったような気がする。
いくら元金メダル選手とはいえ、国際的な選手が、ほとんど出ない大会での優勝は世界フィギアほどの価値はない、とスポーツジャーナリズムは、考えないのか。
スポーツジャーナリズムは、何を基準にアスリートの評価をしているのだろうか。
ただ、名まえが売れているから、何が何でも報道してしまえ、というイケイケの内容の伴わない記事は、スポーツを歪めることに気づかないのか。
ローカルな程度の低い大会と国際的な大会の優勝者が、同列に扱われる不思議。
どうやら日本人は格闘技好きの人種らしいが、それにしても一流のスポーツ選手に対するリスペクトの仕方を間違えていると思うのは、私の感性が異常だからか。
「有名な人は、どんなことでも記事にして、無理矢理『一流の冠』をつけて記事にすれば、格闘技好きは、喜ぶんだよね」
私には、そんな風に、記者が読者を馬鹿にしているように思えるのだが・・・。
浅田真央、キム・ヨナ、石井慧のネームバリュー。
浅田とキムはわかるが、石井のネームバリューが安藤の世界フィギアの優勝と同等だという価値観が、私にはわからない。
スポーツジャーナリズムが、ただ有名人の名前を大きく提示して、読者の関心を煽ることだけが仕事だと思っているなら、定見のない「にぎやかし集団」を貫けばいいと思う。
スポーツの本質を歪めて、そのことに罪悪感を感じないスポーツジャーナリズムは、そんなことが好きな限られた読者だけを相手にして、異質のスポーツマスコミを作り上げればいい。
彼らが作るスポーツの風景は、勝っても負けても、有名でさえあれば価値があるという世界である。
アスリートの技術や培ってきた崇高なものは、どうでもいいのだ。
ただ、目立てばいい。
そんなスポーツジャーナリズムは、私から見れば、スポーツの発展という観点からすると邪魔なだけだが、それを好む人もいる。
スポーツジャーナリズムに乗せられた「にぎやかな話題」しか興味のない人は、スポーツの本質を記事の見出しだけで判断する。
しかし、私の好きなスポーツが、そんな軽薄な文字で表現されるという腹立たしさ。
アスリートたちが作り上げた尊いものが汚される現実は、歯がゆいほど醜悪だ。
スポーツジャーナリズムには、もう少しスポーツを愛し、尊敬して欲しいと思う。
しかし、ネットでの報道を見る限りでは、「安藤優勝」と「キム・ヨナ2位」「浅田真央6位」の扱いが同等のように思える。
そして、信じられないことに、全米柔道大会での石井慧優勝も同じ扱いだったような気がする。
いくら元金メダル選手とはいえ、国際的な選手が、ほとんど出ない大会での優勝は世界フィギアほどの価値はない、とスポーツジャーナリズムは、考えないのか。
スポーツジャーナリズムは、何を基準にアスリートの評価をしているのだろうか。
ただ、名まえが売れているから、何が何でも報道してしまえ、というイケイケの内容の伴わない記事は、スポーツを歪めることに気づかないのか。
ローカルな程度の低い大会と国際的な大会の優勝者が、同列に扱われる不思議。
どうやら日本人は格闘技好きの人種らしいが、それにしても一流のスポーツ選手に対するリスペクトの仕方を間違えていると思うのは、私の感性が異常だからか。
「有名な人は、どんなことでも記事にして、無理矢理『一流の冠』をつけて記事にすれば、格闘技好きは、喜ぶんだよね」
私には、そんな風に、記者が読者を馬鹿にしているように思えるのだが・・・。
浅田真央、キム・ヨナ、石井慧のネームバリュー。
浅田とキムはわかるが、石井のネームバリューが安藤の世界フィギアの優勝と同等だという価値観が、私にはわからない。
スポーツジャーナリズムが、ただ有名人の名前を大きく提示して、読者の関心を煽ることだけが仕事だと思っているなら、定見のない「にぎやかし集団」を貫けばいいと思う。
スポーツの本質を歪めて、そのことに罪悪感を感じないスポーツジャーナリズムは、そんなことが好きな限られた読者だけを相手にして、異質のスポーツマスコミを作り上げればいい。
彼らが作るスポーツの風景は、勝っても負けても、有名でさえあれば価値があるという世界である。
アスリートの技術や培ってきた崇高なものは、どうでもいいのだ。
ただ、目立てばいい。
そんなスポーツジャーナリズムは、私から見れば、スポーツの発展という観点からすると邪魔なだけだが、それを好む人もいる。
スポーツジャーナリズムに乗せられた「にぎやかな話題」しか興味のない人は、スポーツの本質を記事の見出しだけで判断する。
しかし、私の好きなスポーツが、そんな軽薄な文字で表現されるという腹立たしさ。
アスリートたちが作り上げた尊いものが汚される現実は、歯がゆいほど醜悪だ。
スポーツジャーナリズムには、もう少しスポーツを愛し、尊敬して欲しいと思う。