リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ミキティ優勝

2011-05-02 10:22:41 | オヤジの日記
世界フィギアスケートで安藤美姫が優勝した。

しかし、ネットでの報道を見る限りでは、「安藤優勝」と「キム・ヨナ2位」「浅田真央6位」の扱いが同等のように思える。

そして、信じられないことに、全米柔道大会での石井慧優勝も同じ扱いだったような気がする。
いくら元金メダル選手とはいえ、国際的な選手が、ほとんど出ない大会での優勝は世界フィギアほどの価値はない、とスポーツジャーナリズムは、考えないのか。

スポーツジャーナリズムは、何を基準にアスリートの評価をしているのだろうか。
ただ、名まえが売れているから、何が何でも報道してしまえ、というイケイケの内容の伴わない記事は、スポーツを歪めることに気づかないのか。

ローカルな程度の低い大会と国際的な大会の優勝者が、同列に扱われる不思議。

どうやら日本人は格闘技好きの人種らしいが、それにしても一流のスポーツ選手に対するリスペクトの仕方を間違えていると思うのは、私の感性が異常だからか。

「有名な人は、どんなことでも記事にして、無理矢理『一流の冠』をつけて記事にすれば、格闘技好きは、喜ぶんだよね」

私には、そんな風に、記者が読者を馬鹿にしているように思えるのだが・・・。

浅田真央、キム・ヨナ、石井慧のネームバリュー。
浅田とキムはわかるが、石井のネームバリューが安藤の世界フィギアの優勝と同等だという価値観が、私にはわからない。

スポーツジャーナリズムが、ただ有名人の名前を大きく提示して、読者の関心を煽ることだけが仕事だと思っているなら、定見のない「にぎやかし集団」を貫けばいいと思う。

スポーツの本質を歪めて、そのことに罪悪感を感じないスポーツジャーナリズムは、そんなことが好きな限られた読者だけを相手にして、異質のスポーツマスコミを作り上げればいい。

彼らが作るスポーツの風景は、勝っても負けても、有名でさえあれば価値があるという世界である。

アスリートの技術や培ってきた崇高なものは、どうでもいいのだ。
ただ、目立てばいい。

そんなスポーツジャーナリズムは、私から見れば、スポーツの発展という観点からすると邪魔なだけだが、それを好む人もいる。

スポーツジャーナリズムに乗せられた「にぎやかな話題」しか興味のない人は、スポーツの本質を記事の見出しだけで判断する。


しかし、私の好きなスポーツが、そんな軽薄な文字で表現されるという腹立たしさ。
アスリートたちが作り上げた尊いものが汚される現実は、歯がゆいほど醜悪だ。

スポーツジャーナリズムには、もう少しスポーツを愛し、尊敬して欲しいと思う。