惣菜というものが、嫌いだった。
その理由は、高校時代に遡る。
私の父親は、おそらくほとんどの人が知っているような大企業に勤めていたが、その稼いだ金をすべて自分のために使った人だった。
彼は、家に一文も入れず、新橋にアパートを借りて遊び歩き、帰ってくるのは、月に一回程度。
母は、それを補うように、最初中学校の教師をやり、その後銀行に勤めた。
私には三歳上の姉がいるが、彼女は高校を卒業すると、誰もがその名を知っている銀座のデパートに就職した。
しかし、二ヶ月で辞めた。
次に勤めたのは、内幸町にあるマスコミ関係の会社だった。
だが、そこも一年足らずで辞めた。
姉によると、「人間関係に疲れた」ということらしい。
その後、姉は働く意欲をまったく見せず、50余年、歳を重ねた今も家に依存し、引きこもった暮らしを送っている。
姉が会社勤めを拒否し始めたころ、私は高校二年生だった。
陸上部の練習で疲れて帰った夜8時過ぎ、食卓で私を待っていたのが、姉が東急ストアで買った惣菜だった。
天ぷら、ポテトサラダ、コロッケ、炒飯、餃子、ときどきナポリタンスパゲッティ、刺身、ハンバーグ、豚肉のしょうが焼きなど。
毎日が惣菜だ。
これは、料理とはいえない。
ただ、人が作った作品を並べただけのものである。
なぜ、そうなったのかと言えば、姉が包丁やハサミが怖くて、使えなかったからだ。
包丁とハサミが使えなければ、料理はできない。
だから、いつも食卓が「お惣菜祭り」になる。
かなり不経済ではあるが、母親が家に帰ってくるのは、毎晩9時以降になるので、疲れた母親に料理をお願いするわけにはいかないという事情がある。
毎晩、天ぷら、ポテトサラダ、コロッケ、炒飯、餃子、ときどきナポリタンスパゲッティ、刺身、ハンバーグ、豚肉のしょうが焼きなど。
朝は、前日の残りを食う。
昔の惣菜は、それほど美味くなかった。
いや、美味かったのかもしれないが、それが毎日続くと、心が折れてくる。
当たり前すぎる味に、体が拒否反応を示しだす。
ご飯に味噌汁をかけて食ったほうが、まだ美味いと感じる。
だから、実際、私は晩メシをそうして食った。
味噌汁は、親切な隣のスズキさんの奥さんが、我が家の事情を汲んで、ほとんど毎日鍋いっぱいに作って持ってきてくれたのである。
毎日、具に工夫が凝らしてあるので、これは飽きない。
擬似おふくろの味のようなものかもしれない。
そんなこともあって、私は惣菜というと、過去を思い出すせいか、からだ全身で拒否反応を示していた。
惣菜こわい、惣菜こわい、惣菜なんか、オラ、一生食わねえどぉ!
そう思っていたのだが、一昨日同業者の事務所に行ったときのことだ。
昼メシどきは過ぎていたが、同業者は昼メシの最中だった。
彼が食っていたのは、白いご飯とキンピラゴボウ、肉じゃが、サバの立田揚げだった。
食欲をそそる、いい匂いがした。
見た目も美味そうだった。
キンピラゴボウが食いたい光線を出した。
すると、少しだけ分けてくれた。
すげえ美味かった。
肉じゃが食いたい光線を出したら、食わせてくれた。
すげえ美味かった。
サバの立田揚げ食いたい光線を出す前に、同業者が恵んでくれた。
すげえ美味かった。
奥さんの手作り? と聞いたら、同業者は「オリジン弁当だよ」とサバをかじりながら言った。
オリジン弁当は知っている。
全国展開をしているかどうかは知らないが、中央線武蔵境駅のそばにあったような気がする。
え? 今どきの惣菜って、こんなに美味かったの?
俺が、姉の呪縛に全身を絡めとられている間に、惣菜は、こんなに進化していたのか!
驚いた。
感動した。
しかし、いくら美味くなったといっても、私は惣菜は買いませんがね。
惣菜なんか食卓に出したら、「手を抜きやがって!」と高校一年の娘に怒られるのが、目に見えているからだ。
今の私は、惣菜よりも娘のほうが怖い。
その理由は、高校時代に遡る。
私の父親は、おそらくほとんどの人が知っているような大企業に勤めていたが、その稼いだ金をすべて自分のために使った人だった。
彼は、家に一文も入れず、新橋にアパートを借りて遊び歩き、帰ってくるのは、月に一回程度。
母は、それを補うように、最初中学校の教師をやり、その後銀行に勤めた。
私には三歳上の姉がいるが、彼女は高校を卒業すると、誰もがその名を知っている銀座のデパートに就職した。
しかし、二ヶ月で辞めた。
次に勤めたのは、内幸町にあるマスコミ関係の会社だった。
だが、そこも一年足らずで辞めた。
姉によると、「人間関係に疲れた」ということらしい。
その後、姉は働く意欲をまったく見せず、50余年、歳を重ねた今も家に依存し、引きこもった暮らしを送っている。
姉が会社勤めを拒否し始めたころ、私は高校二年生だった。
陸上部の練習で疲れて帰った夜8時過ぎ、食卓で私を待っていたのが、姉が東急ストアで買った惣菜だった。
天ぷら、ポテトサラダ、コロッケ、炒飯、餃子、ときどきナポリタンスパゲッティ、刺身、ハンバーグ、豚肉のしょうが焼きなど。
毎日が惣菜だ。
これは、料理とはいえない。
ただ、人が作った作品を並べただけのものである。
なぜ、そうなったのかと言えば、姉が包丁やハサミが怖くて、使えなかったからだ。
包丁とハサミが使えなければ、料理はできない。
だから、いつも食卓が「お惣菜祭り」になる。
かなり不経済ではあるが、母親が家に帰ってくるのは、毎晩9時以降になるので、疲れた母親に料理をお願いするわけにはいかないという事情がある。
毎晩、天ぷら、ポテトサラダ、コロッケ、炒飯、餃子、ときどきナポリタンスパゲッティ、刺身、ハンバーグ、豚肉のしょうが焼きなど。
朝は、前日の残りを食う。
昔の惣菜は、それほど美味くなかった。
いや、美味かったのかもしれないが、それが毎日続くと、心が折れてくる。
当たり前すぎる味に、体が拒否反応を示しだす。
ご飯に味噌汁をかけて食ったほうが、まだ美味いと感じる。
だから、実際、私は晩メシをそうして食った。
味噌汁は、親切な隣のスズキさんの奥さんが、我が家の事情を汲んで、ほとんど毎日鍋いっぱいに作って持ってきてくれたのである。
毎日、具に工夫が凝らしてあるので、これは飽きない。
擬似おふくろの味のようなものかもしれない。
そんなこともあって、私は惣菜というと、過去を思い出すせいか、からだ全身で拒否反応を示していた。
惣菜こわい、惣菜こわい、惣菜なんか、オラ、一生食わねえどぉ!
そう思っていたのだが、一昨日同業者の事務所に行ったときのことだ。
昼メシどきは過ぎていたが、同業者は昼メシの最中だった。
彼が食っていたのは、白いご飯とキンピラゴボウ、肉じゃが、サバの立田揚げだった。
食欲をそそる、いい匂いがした。
見た目も美味そうだった。
キンピラゴボウが食いたい光線を出した。
すると、少しだけ分けてくれた。
すげえ美味かった。
肉じゃが食いたい光線を出したら、食わせてくれた。
すげえ美味かった。
サバの立田揚げ食いたい光線を出す前に、同業者が恵んでくれた。
すげえ美味かった。
奥さんの手作り? と聞いたら、同業者は「オリジン弁当だよ」とサバをかじりながら言った。
オリジン弁当は知っている。
全国展開をしているかどうかは知らないが、中央線武蔵境駅のそばにあったような気がする。
え? 今どきの惣菜って、こんなに美味かったの?
俺が、姉の呪縛に全身を絡めとられている間に、惣菜は、こんなに進化していたのか!
驚いた。
感動した。
しかし、いくら美味くなったといっても、私は惣菜は買いませんがね。
惣菜なんか食卓に出したら、「手を抜きやがって!」と高校一年の娘に怒られるのが、目に見えているからだ。
今の私は、惣菜よりも娘のほうが怖い。