リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

日本人は泣くことが好き

2011-05-13 06:08:12 | オヤジの日記
宣伝などを見ると、泣ける本、泣ける映画、泣ける歌など、「泣ける」の花盛りである。

私は、そのことに違和感を持っている。

そんなに泣くことは、いいことなのか。

あるいは、なぜ人は本や映画、歌で泣きたがるのか。

ただこの場合の「泣く」は、英語で言えば、「CRY(泣く)」ではなく、「MOVE(感動する)」の方かもしれないが。

つまり、コピーライターが、「泣く」に色々な意味を込めて、受け取る側のそのときどきの感性で解釈できるようにしたものだろう。

要するに、工夫がなく卑怯な表現方法と言っていい。

何でもかんでも「泣く」で表現されると、私のようなひねくれものは、この作品は「泣く」ことしか売りがないのかよ、と思ってしまう。

よく言われることだが、泣かせることは簡単で、本気で笑わせることの方が難しいものだ。
泣くことは、誰もがもっている過去の経験の一部分を刺激すれば、簡単に涙腺を刺激することができる。
動物や子ども、身内の死などを題材にすれば、高度な演出などなしで泣かせることができる。

それと同じ理由で、たとえば人間のもつ恐怖心のどこかを刺激して怖がらせるのがホラー映画、ホラー小説だ。
どこかヴァーチャルで、現実世界から遊離した状態を認識しながら、自分の気持ちを擬似的に爽快にさせるのが、ヴァイオレンス映画、小説。
音と映像の連携で、五感を刺激するのがアクション映画。

クリエイターの力量が際立っていれば、それらの作品は鑑賞に堪えるが、ことさらに「泣かせる」という冠をつけたがる作品は、一箇所だけにしか方向が行っていないので、奥行き感のないものが多い。


「泣けよ」「感動しろよ」あるいは、「泣いてください」「感動してください」とばかり強調して、涙腺のゆるい人だけを対象にした作品は、私には、方法が安易すぎて、金と時間の無駄遣いとしか感じない。


以前、CS放送で「余命一ヶ月の花嫁」というのを放映していたので、録画しておいた。

お気に入りの榮倉奈々が主演というので、録っておいたのだ。
暇なときに観ようと思って録っておいて、昨日観たのだが、1時間も観ないうちに、耐え切れずにやめた。


なんだこれ!?


実話らしいのだが、実話に頼りすぎて、演出が「泣かせる」方向にしか向いていない。

要するに、プロが作るものとして、工夫がない。
実話を尊重するあまり、エピソードに、演出者の魂がこもっていない。

これは、泣きたい人だけのために作られた映画だ。

だから、その点だけにしか、存在価値がない。

空虚だ。
空っぽすぎる。


榮倉奈々が可哀相だ!



結局、そこか!