まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

日本地図を作った人たち

2018年02月01日 | 日記
NHK R1から、近世、水戸藩の長久保赤水(ながくぼせきすい)という人が、伊能忠敬より42年も前に、当時としては精巧な日本地図を作ったという話題が聞こえてきた。
 
日本地図と言えば、わが郷土の生んだ中高年の星、伊能忠敬先生、と思い込んでいたので、これは私的には由々しき問題である。
早速、調べてみた。
 
「長久保赤水 地図」で検索すると、ネット上に公開されている地図の画像が出てきた。北海道は描かれていないが、全体としては今の日本地図の形になっている。
う~ん、侮れん( 一一)。
いいできだ。
 
長久保赤水という人は、20年以上にわたり、それまでにあった諸国の絵図を統合したり、天文学者が発表した緯線の研究などの情報を収集し、分析・考証をおこなって、この地図を作り上げたのだという。
現在、日本と韓国の間で領有紛争となっている竹島も、当時の名称「松島」という名でこの地図で確認されており、近世以前から日本が使っていた島であるという根拠の一つになっているのだとか。
 
伊能忠敬とはアプローチは違うが、これはこれで大したものだ。
 
水戸でこういう地図が世に出ていたとなると、当然、地理的にも近い佐原の伊能忠敬がこれを知らないはずはなく、きっと参考にしていたのだろう。
 
旅人や商売人などのために各地バラバラの絵図をまとめて全体の地図を作ろう。実際に測定して方位、距離を明らかにしもっと正確で便利なものにしよう。
生い立ちも、アプローチも違う人たちが、時間を超えて一つのものを作っていく。そう考えると、どちらが上とか下ではなく、なんだか楽しい話だ。
 
伊能図は幕府の海防政策のために作られたいわゆる公文書のような位置づけで、一般にはあまり使われていなかったらしい。一方、赤水図は明治初期までの約100年間に8版を数え、人々に一般に利用され、親しまれたものだという。
 
五十代後半から志を立て、ゼロから一歩ずつ日本地図を作っていったという伊能忠敬のイメージは壊れたけれども、逆に、既にこれだけ精巧な地図があったのだから、忠敬はかなり具体的な出来上がりのイメージ、できるという確信をもって中高年の時間を前に進んでいたのではないかと思う。やっぱりすごい人だ。
 
ナビもいいけれど、ツーリングマップルやJAFマップを見ている時間は楽しい。先人たちの努力のおかげである。
 
<情報サイト>
清學の士 長久保赤水
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<今日は何の日>
1953(昭和28)年の今日、NHKテレビが本放送開始。テレビ放送記念日です。
 
当日の受信契約数は868。受信料は月額200円。国産の14インチテレビは17万円。
大学卒の初任給が8000円(現在は20万円)くらいだったようですので、初任給を基準にしたテレビの代金は、今でいえば425万円も( ゚Д゚)。
 
今は、カーナビでもスマホでもパソコンでもワンセグは見られるし、1万円ちょっと(当時に換算すると500円から1000円)でテレビも買える。
技術の進歩が庶民まで浸透した!って実感できますね。
コメント
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