晩春に咲く山吹の花が満開を迎えました。
落語にもなっていますが、昨日ラジオで、太田道灌の山吹の花伝説が紹介されていたのを思い出し、改めて庭先に自生して咲いている花をながめてみると、これがなかなか、悪くない!
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき
現在の都電荒川線面影橋駅付近(山吹の里)に、道灌さんが鷹狩りに出た際、突然のにわか雨にあい、箕を借りようと立ち寄った農家の娘(紅皿)が、一輪の八重咲きの山吹の花を手折り、差し出してこの歌を詠んだのだとか。
道灌さん、はじめ、なんだこの娘は、と痛くご立腹したものの、後に、この歌は、後拾遺和歌集に収められた兼明親王(醍醐天皇の皇子、かねあきらしんのう)が読んだものだと知り、古歌を理解しなかった自分を恥ずかしく思い、歌人として大成したのだとか。
「うちは貧しいんで、お貸しできる箕もないんですよ」とは言わず、歌に込めでやんわり、分かってくださいという、奥ゆかしい心配り。
今の時代、分かりにくいよなぁ、はっきり言わなきゃわかんないだろ、という話ではありますが、相手のおかれた状況をみとる感性、立場を慮る感性。西洋人化してきた日本人が失いつつあるところかな、とも思います。
「奥ゆかさ」という言葉、本当に久しぶりに聞きました。
ありがとうございます。
そう言えば、亡くなった母は よく口にしていたこと、思い出しました。
自分を振り返ります。ストレートな表現が良しとされて 教育をうけたように感じます。
自生で咲いている花に、心とまることが よくあります。
娘が小さい頃は、れんげ畑をお借りして、たくさんの子どもたちと遊びました。
それは 喜んで、駆け回っていた子どもたちの可愛い姿を思い出します。
本当、自然で 子どもたちは いっぱい遊ぶことが出来ます。
そうそう!! 農家のおばさんの畑で、白く可憐な苺の花が たくさん!!
「 もうすぐですよねぇ~。楽しみで~す!!」と 離れた所で畑作業なさっているおばさんに お声をかけました。
大きな声で。(*^_^*)
にっこり笑って 頷いて下さいました。
こんな やりとりをさせて頂くと とてもハッピーになります。
これも 自然の恵みですよね。
夏になれば、キュウリに いろいろな種類のナス、等々。
いっぱい季節を楽しめます。
子供も生まれたときの感性は、自然だと思います。
だんだん社会性を学びながら、自然が失われてしまうわけですが、子供のころの感性ってとても大事かな、と最近感じます。
道端に咲くタンポポやヒメジオンなどにも新しい発見をし、行き交う人には声をかける。子供の時って、普通にそんな時間を過ごしていませんでしたか?
私はときどきそういう感覚がよみがえってくるようになりました。
あれ、これって、どこかで、いつか感じたような、そんな感じです。
物がなくても、楽しい時間を過ごせるようになってきたと思います。