まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

「一月往ぬる二月逃げる三月去る」先人たちは上手いことを言う

2025年02月23日 | 日記

還暦の大きなまがりかどを過ぎて、二巡目の人生がようやく小学校低学年辺りまで来た。

一回目で大体の流れは分かっているし、『苦楽』のもと、自分に与えられた感性も承知!

曹洞宗の懺悔文を思う。

みな自分が起こしたと、自業自得なんだ。

最近は嫌な人には会わないし、嫌と思う地域の仕事、アルバイトはしない。

基本、拒否!

『断固』でないところが、自分らしい。(笑)

である。(まあ、地域については、そうもいっていられないけれど)

自分の興味の向く方、好きな方っていうのかな、それをしている毎日は、「あら、楽し!
冥土の途は花盛り」(これは受け売り。出典は、Google先生へ)である。

自分は何も持たない赤子として父母の慈愛にもとに誕生した。

一回目の人生前半は、生活するための金銭に苦労(食うに困るほど)したけれど、妻というか、同居人というか、とにかく、カンの強い連れ合い(母と同じ波長)と十代の頃波長が合って、今のお上が悪政をしいても当面は食うには困らない基盤ができた。

そんなことを考えていて、1月。

「新年だぁ」と、たそがれている内に字田舎の先人たちの電池切れ多数。

子1号が嫁いだ先のジッジ(二巡目小学低学年)の遷移。

二月はどんどん逃げていく。

「おい。おい。待ってくんなよ」

である。

「ぼっ」としているとダメだ!

ブログを書く気はあっても「なかなか。。。。」

思ったらやらなくちゃ!と思い、思いつきでようやく書けた。

来月ももう間近だけれど、「ぼやっ」としていられない。

簡単には去らせないぞ!

だって残り少ない元気な時間、これぞ極楽浄土の日々。

電池切れになるのか、組織がポンコツになるのか。

これってよくわからないけれど、『思い』『意思』『意志』そんなパワーを自分が持っていることが大事かと、で、『今日 行く 今日 用』の企画力。

日々をしっかり生きていきたい。

もともと何もない赤子だったんだけから、スッテンテンになって『電池切れ』がいい。

後は自分のあとに生きている人の問題だ。(笑)

なんの心配もない。

彼らの問題だ。


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