まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

刺激的

2019年01月23日 | 少し働く日々
田舎で若い社長さんが立ち上げた警備会社にご縁があり、アルバイトをすることになった。
 
定年制はなく、60歳をこえてもウエルカムの業界であること。
 
今続けているバイトをベースとして、時間があるときは週1日からでも、自分の方の希望で働けること。
 
田舎中心の現場なので年間を通じては仕事が切れることもあるようだけれど、通勤時間がかからないだろうというのが決め手になった。
 
土木現場も交通誘導も初めて。もちろん警備関係の仕事も全くしたことがないが、四日間の研修中、社長が現場実習を主に座学をおりまぜ、とても親切に教えてくれた。
 
そして、昨日がどきどきのひとり現場デビュー。
 
朝少し早く現場に行き周辺を下見。
 
8時からいくつかの土木会社の合同のミーティングに参加。
数年ぶりのSKYTの掛け声に背筋が伸びた。
おっ、働いている感じ!と刺激的。
 
生れて始めて、笛を吹きながら大型トレーラーを後退誘導したのはちょっとビビったが、トラブルなくできた。
ドライバーさんに感謝である。
 
交通誘導といっても田舎道なので車の行き来は少ない。
一日工事の様子をながめているような時間だった。
 
トイレは比較的大きな工事現場だったのであった。
休憩時間もしっかりとれた。
 
仕事だから一定の緊張感は必要だけれど、辛かったのは持ち場を離れられないこと。
数メートルの範囲でウロウロしたり、屈伸したりと工夫はしてみたが、足腰の疲労感は大きかった。
 
あと一つは退屈との闘いである。
それでも、ワンコの散歩中の方が話しかけてくれたり、車の中から手をあげて挨拶をくれたり、土木の監督さんが休憩時に職人さん用のお茶を飲みなよとくれたり、けっこう人とのふれあいもあった時間だった。
 
今後はいろいろな現場にいけそうで、それはそれでストレスにはなるけれど、のぼのぼ過ぎる時間を送っているので、適度な刺激にはなるのかなと思う。
 
まだこれからだけれど、スポットのアルバイトとしては、継続できるのかなぁ。
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<今日は何の日>
今日は、『ワンツースリーの日』
 
「123」で「ワンツースリー」とよむ語呂合せから、人生に対してジャンプする気持ちを持とうという日だそうです。
上ばかり見ていると疲れますが、自分の中でちょっとジャンプする気持ちって、楽しく生きていくうえで必要ですね。
 
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考えようで

2019年01月21日 | 日記
新年になりこれといったこともなく過ぎてきたが、今日はいろいろ起こった。
 
カミさんが朝の通勤途上で後続の車に追突され、車が大破。
 
身体には今のところ異常がないようで、さすがに今日はさっき帰ってきた。
 
車は直せるものなら直して乗ればいいし、ダメならまた買えばいい。
その程度のものだ。
 
あと数ヵ月で定年というところまで仕事に拘ってきての交通事故。
考えようだけれど、車が身を守ってくれたと思えば、有難いことである。
 
シルバーバイトから帰ってみると、同居している子3号が職場からインフルエンザを貰ったようで早退して寝込んでいた。
職場で具合が悪くなり、早退して受診したようで、早期にインフルエンザだとわかったらしい。

当人はしばらく大変だけれど、無理して休養もせず仕事を続け、他へ感染させまくることを思えば、これも考えよう。
いい判断だった。
 
明日は交通誘導のアルバイトで初めてひとりで現場に立つ。
さて、どんなことがおこるかなぁ。
 
考えようで割り切れる程度のトラブルで済めばいいけれど(笑)。
 
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<今日は何の日>
今日は、『ライバルが手を結ぶ日』だそうです。
 
1866(慶応2)年の今日、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為の薩長同盟(薩長連合)ができました。
 
大きなエネルギーは、それ自体は似たもの同士で弾きあっても、共通点を上手く繋ぐ接手があると、力としては一つになれるんですね。
 
このことは既存の歴史認識ですが、少しひいてみると、倒幕(イデオロギーの違う体制にする)運動=過激武装組織、テロ集団ともとれる話です。
 
現代の日本は、勝てば官軍が作った歴史。
薩長のテロ集団が成した社会とも言えますね。
 
でも結果、それほど悪く無い。

これも考えようかな。
コメント (2)
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ローファー逝く

2019年01月19日 | 読経の日々
普通に会社勤めをしていたとき仕事履きで使っていた靴、これが今ある唯一の革靴。
ちなみに安物の合皮のローファーである。
 
冠婚葬祭などの正式な場では紐靴というのが礼儀らしいが、元来チャランポランタンなので、そういうことも最近知った。
 
無所属となった後、革靴を履く機会は冠婚葬祭のうち、葬祭ばかりで、それでも年に3~4度はちょっと履きで使ってきただろうか。
 
これが先日の葬儀中どうも履きごごちが変だと思ったら、底がぱっかり割れていた。
愛用のローファーもとうとう逝ってしまった。
5年くらい前に買ったものだから、当然の経年劣化ではあるけれど、ちと寂寞感あり。
 
実は今回の葬儀で、手入れをせずクローゼットに放置してあった皮の防寒着も使おうとおもったらボロボロ。
昔仕事で使っていたカバンなども修復不能なほど見るかげもないことに気づいた。
トホホである。
 
モノは後生大事にしまっておいても使わなければ、どんどん劣化する。
自分の意識しないところでも、どんどん物事はうつろいでいるんだなぁ、と実感した次第である。
 
生きていくには必要以上のものはいらないなぁ。
というか、使いきれないでしょ。
 
用途を考えて、最低限のものをそろえて、できるだけ無駄なく使いまわす。
そんな生活を目指そうと思う。
 
子1号は入籍後1年がたつが、二人で計画準備して、両家の近い親族だけだけれど、区切るとなる式が近々できそうだ。
ひとまずそこに履いていく紐の革靴を一つ新調しよう。
 
普段履きのスニーカー系は、ずいぶん整理したが、思いのあるものがまだ四足もある。
これは順次思い残すことなく履き潰して使い勝手のいい一足にしよう。
 
長距離ウォーキングの必需品、現代のわらじ、スポーツサンダル。
これは今使用中のものが合っている。
壊れたらリピートしたい。
 
普段の農作業、公園清掃のアルバイトで使うタビ。
そして長靴。
 
カミさんには不評なジイサンマンの普段履きの通称”便所サンダル”
 
ホームセンターで売っている安い人工ゴムサンダルである。
これ、高校の時の上履きと同じ作りで、丈夫だし、安いし、こんなに実用性の高いものはないと思うんだけど、いまどきどこへでも履いて行くので不評のようだ。
 
この辺が必要最低限のジイサンマンの足回りになりそうである。
 
最低限と言っても、×家族分とすると、結構な数だなぁ。
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<今日は何の日>
今日は、『家庭消火器点検の日』です。
全国消防機器販売業協会が1991(平成3)年に制定。
 
火事は初期消火がポイントです。
消火器の定期点検、使用期限などの確認。
家族内での使い方の訓練怠りなく!
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千葉県堺がみえてきた

2019年01月18日 | バーチャル日本一周
『バーチャル日本一周歩こうかい』のウォーキングマップで、いよいよ一周目のゴール、千葉が見えてきた。
 
 
今日歩いて、8,886km/8,955km(99%)。
残すところ69kmである。
このところ用事が多く距離を稼げないので、たぶん、一周目のゴールは2月上旬になるかな。
 
歩き始めたころは、生活歩行をいれて一日1~2kmしか歩けなかった。
だから5年計画、東京オリンピックに合わせてゴールをするなどとひとり妄想していたが、1年以上早く達成できそうだ。
 
歳相応に体のあちこちが壊れてきているのは仕方がないとして、積極的なウォーキング習慣で、体力はずいぶん戻ってきたと感じている。
 
バーチャルではあるけれど、もうじき歩いて日本一周ができそうだと思うとちょっと嬉しい。
無所属になって一番の大仕事である(笑)。
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<今日は何の日>
今日は、初観音です。
「念彼観音力」
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たくさんの人におくられて

2019年01月16日 | 読経の日々
昨夜、そして今日で、いとこの息子さんのお通夜、お葬儀が終わった。
 
死んだばあちゃん(私の母)の実家の話で、子供の頃は、お盆、お正月、お祭りなど節目にはそのお宅に行った思い出がある。
ばあちゃんにすれば自分の育った家で、一番ゆったりできる場所だったのだろう。
 
古いドラマのような話だけれど、ばあちゃんは娘時代に最初嫁いだ相手が太平洋戦争で持っていかれ、今でいえば、バツイチ。
きっと気持ちの上で辛いこともあったのだろう。
よく泊ってきた記憶もある。
 
そしてその家には、ばあちゃんの兄弟姉妹がいつもより集まって、必然、その子(私世代)もつながりができた。
 
だから今回のいとこの息子さんの件は、いとこ夫婦の気持ちを思うとわが事のようにショックである。
あまり調子のよくないハートの動悸がとまらない。
 
昨夜のお通夜は、公務員系の家系ということもあり、また現職で発病後間もなく亡くなったこともあり、会場(田舎の)が混乱するほどたくさんの人がお悔みにきてくれた。
 
こんなにたくさんの人に思いを残しての旅たちっていうのはよくない。
お葬式は、参列者がすかすかで、それほどまでに長生きし、かつ生きるための作務をつづけ、フェードアウトするのがいいなぁと正直思った。
 
『野垂れ死に』という言葉があるが、自他を意識しつつ、静かに自分の生活を維持し、最期は一人でもいい。
自分のできることを続け、静かに消えるのが望みかな。
 
仏教にはいろいろな意味不明の漢字があるけれど、
 
『一切皆苦』
 生きることは、人生は思い通りにはならない。
 
『諸法無我』
 人は思い通りにはならない力のなかで生かされる相対的な存在であり、変化を変化として捉え、変化(息子の死)を自分のこととして受け入れていくしかない。
 
このあたりが、思い切り納得できた。
納骨した今も残念でしかたがない。
 
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<今日は何の日>
今日は、『念仏の口開け』
 
正月の神様(年神様)が念仏が嫌いであるということから、12月16日の「念仏の口止め」からこの日までの正月の間は念仏は唱えなかったんだそうです。
 
神様仏様が好き嫌いがあったんじゃ、人は救えないですね(笑)。
実は神も仏も、好き嫌いのある普通の人ってことではないでしょうかね。
コメント (2)
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