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三陸と鉄道

2012-04-01 16:36:19 | 報道/ニュース


  3月25日 サンデーモーニング


  JR気仙沼線  三陸鉄道北リアス線 三陸鉄道南リアス線 JR八戸線

  風光明媚な三陸沿岸を走る東北の列車。
  地元の人々とっては欠かすことの出来ない生活の足であるとともに
  観光客にも人気の路線だった。
  1年前の3月11日にも
  車窓からはまだ春浅い三月の三陸海岸が見えていた。
  しかしこの4時間後
  巨大津波の後に残されたのは脱線した車両
  倒壊した駅舎
  捻じ曲がった線路。
  JR東日本東北沿岸7路線では
  津波による駅舎流出23駅
  線路・架線などの損壊1680か所にのぼった。
  
  その在来線のひとつJR気仙沼線は、
  気仙沼と石巻を結ぶ総延長約73キロのうち約55キロが不通のままである。
  1977年 気仙沼線全線開通。
  1896年の明治三陸地震の復興策として
  鉄道の建設を切望したのが始まりだった。
  
  元宮城県本吉町長 千葉仁徳さん
  「鉄道を是非という念願は(明治三陸地震から)
   80年経過していたが悲願だった。」

  こうした歴史もあって鉄道に対する思いが強い地元住民。
  大震災発生後も早期の鉄道復旧を願ってきた。
  しかし地元の要望に対してJR東日本が提案したのは
  BRTと呼ばれるバス高速輸送システムだった。
  地盤が残った部分はレールをはずして専用のバスレーンにし、
  橋が壊れたりした部分は一般道を利用してバスを走らせる構想である。
  気仙沼線の場合
  不通区間の6割を線路があった場所にバス専用道を作り
  4割を一般道を使って運行するとしている。
  黒字経営の会社が国からの補助金を受けることは難しく
  鉄道の復旧に比べ経費がかからず
  工事期間を短縮できるこの案のほうが会社にはメリットがある。
  
  地元はこの計画が鉄道の廃止につながることを心配している。
 
  明治学院大学 原武史教授
  「鉄道の場合は色々な人たちが乗ることが出来る。
   人間の思いとか温かさが伝わってくることが
   励ましになる。」

  鉄道は生活の一部となっていた地元住民。
  一方、経済性を考えなければならない会社側。
  BRTの提案も仮の案とされており
  話し合いの余地はありそうである。
  こうした被災地の鉄道をめぐる議論を通して
  原さんは今の社会のあり方にも疑問を投げかける。

  原教授
  「早く目的地に行きたい人たちもいる。
   そういう人たちにとって新幹線は便利。
   さらに早いリニアがでてくる。
   でも皆が早く行きたいかというとそんなことはない。
   行程をゆっくり楽しみたい。
   景色を楽しみたい。
   客の需要は本来多様なもの。」

  高度成長期はすでに過去のものとなった今
  旅の味わい方や鉄道のあり方などを
  あらためて考える時代を迎えたのかもしれない。

  民俗学者の柳田国男はかつて鉄道の旅について書いている。

  “日本はつまり風景の至って小味な国で
   此間を走って居ると知らず識らずにも
   此国土を愛したくなるのである
   旅を或一地に到着するだけの事業にしてしまはうとするのは
   馬鹿げた損である”
                    『豆の葉と太陽』より
 
 
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