3月5日 編集手帳
民謡か、
小唄か、
題名を『アインスタイン相対性ぶし』という。
惚ほれて通へば千里が一里
ぬしを待つ間まのこの長さ
おやまあ相対的ですね…。
時間も空間も絶対ではない、
という相対性理論をもって恋心の機微をうたっている。
アインシュタインが来日したのは1922年(大正11年)の秋である。
異色の歌は歓迎の渦のなかから生まれた。
遠来の客を迎えての高揚ぶりがしのばれるが、
その人にとっても日本は忘れられない国になったらしい。
日本の印象などをしたためた直筆の草稿や手紙が、
慶応義塾図書館(東京都港区)で初めて報道陣に公開された。
このうちドイツ語で書かれた草稿には、
日本の家屋や田畑を見ての感想が述べられている。
〈まるで自然と人間が一つになったようだ。
すべてが愛らしくおおらかで、
自然が与えてくれたものと親密に結ばれている〉。
43日間の滞在中にアインシュタインは仙台市を訪問している。
「3・11」がめぐってくるせいか、
車窓に映った東北地方のスケッチのようにも読めよう。
“千里が一里”。
取り戻すべき美しい瞼(まぶた)の風景に惚れて通う、
復興の道のりである。
民謡か、
小唄か、
題名を『アインスタイン相対性ぶし』という。
惚ほれて通へば千里が一里
ぬしを待つ間まのこの長さ
おやまあ相対的ですね…。
時間も空間も絶対ではない、
という相対性理論をもって恋心の機微をうたっている。
アインシュタインが来日したのは1922年(大正11年)の秋である。
異色の歌は歓迎の渦のなかから生まれた。
遠来の客を迎えての高揚ぶりがしのばれるが、
その人にとっても日本は忘れられない国になったらしい。
日本の印象などをしたためた直筆の草稿や手紙が、
慶応義塾図書館(東京都港区)で初めて報道陣に公開された。
このうちドイツ語で書かれた草稿には、
日本の家屋や田畑を見ての感想が述べられている。
〈まるで自然と人間が一つになったようだ。
すべてが愛らしくおおらかで、
自然が与えてくれたものと親密に結ばれている〉。
43日間の滞在中にアインシュタインは仙台市を訪問している。
「3・11」がめぐってくるせいか、
車窓に映った東北地方のスケッチのようにも読めよう。
“千里が一里”。
取り戻すべき美しい瞼(まぶた)の風景に惚れて通う、
復興の道のりである。