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“南相馬とともに歩む”被災地に移住した米女性

2014-03-19 09:20:00 | 報道/ニュース
3月9日

原発事故の影響が続く福島県。
3年が経とうとするいまも多くの人が故郷に戻れないでいます。
南相馬市と姉妹都市の関係にあるのがアメリカ オレゴン州のペンドルトン市である。

アメリカ人のケイト・オバーグさん(25)。
震災から9か月たった2011年 福島県南相馬市に移り住んできた。
(お茶の師匠 黒田玲子さん)
「地元の若い人は遠くに行ってしまった。
 そのときケイトが来てボランティアをして。
 涙が出るような人でしょ。」
(ケイト・オバーグさん)
「私の日本のお婆ちゃん。」
ケイトさんが南相馬市でボランティアを始めたのは高校生のときのホームステイがきっかけだった。
初めての海外で当時は戸惑いもあったが 人から暖かい を受け3週間の滞在は忘れられない思い出となった。
(ケイト・オバーグさん)
「当時の私は世間知らずでした。
 そんな私に南相馬の人はとても良くしてくれたんです。」
ホームステイから5年。
福島第一原発で事故が起きる。
南相馬市では一時5万人以上とも言われる住人が避難を余儀なくされた。
避難所も住まいを追われた人たちであふれた。
そのころケイトさんは故郷のアメリカ西海岸オレゴン州のペンドルトン市にいた。
遠く離れた日本から届く悲しいニュースに心を痛めていた。
(ケイト・オバーグさん)
「大好きな場所や人たちがこんなひどい目にあうなんて信じられませんでした。
 何かしたくてじっとしてはいられませんでした。」
ケイトさんはアメリカでチャリティ活動に奔走する。
食事会を開いたりして200万円の義援金を集めた。
震災の2か月後には南相馬市を訪問。
避難所のボランティアに加わった。
そして彼女は傷ついた人たちの助けになろうと南相馬市に移り住むことを決めたのである。
ケイトさんはいま保育園や小中学校で英語を教えている。
当初 日本語は全く話せなかったが熱意にうたれた地元の国際交流協会が受け入れ先を紹介してくれた。、
原発事故の影響もあり南相馬市では外国人の指導助手が一人もいなくなった時期もあった。
地元の人たちはケイトさんを喜んで迎えた。
(保育園の副園長 近藤能之さん)
「子どもたちはケイト先生が来るのを楽しみにしている。
 放射能のリスクがあるのにこちらに来て早くから活動していたから
 すごいね、とみんな言っていた。」
ケイトさんが移り住んだ頃 南相馬市の一部では放射線のレベルが高く立ち入り禁止になっている地区もあった。
ケイトさんも全く心配していなかったわけではない。
町内放送が流れると思わず線量計を窓際にかざしたこともあったと言う。
そんなかなでも週末には毎週のようにボランティアに参加してきた。
がれきの除去や被災した家の掃除など力仕事もこなした。
(ケイト・オバーグさん)
「私がいることで
 南相馬は怖がられているわけじゃない
 忘れられてはいない
 と感じてほしい。」
こうした活動で新たなきずなも生まれた。
仮設住宅に暮らす泉さん夫妻は自宅が原発の20キロ圏内にあり戻れる見通しは立っていない。
そんな泉さんを励まそうとケイトさんはたびたびここを訪れている。
(ケイト・オバーグさん)
「馬に乗りに来てください。」
(泉勝明さん)
「ケイトの家に行って馬に乗ろうか。」
(泉邦子さん)
「おばあちゃん おじいちゃん 一人暮らしの人にケイトは荷物を運んであげる。
 重いでしょと持ってあげる。
 すごいと思った。」
今では家族のような付き合いである。
ケイトさんはいま情報発信にも力を入れている。
地元のラジオ局に2週間に1度出演。
自分の言葉で地域の素晴らしさを伝え“被災者を勇気づけたい”と考えている。
(ケイト・オバーグさん9
「東北の復興は同じような被害を受けた時にどうすればいいのか
 世界中のお手本になると思います。」
たくさんの触れ合いを通じて南相馬市の住民となったケイトさん。
今後も復興の道のりに寄り添っていくつもりである。
(ケイト・オバーグさん)
「復興はまだ終わっていません。
 長い時間がかかると思います。
 私を愛してくれる人 私の愛する人がここにはたくさんいます。
 ずっと南相馬市は私の故郷です。」

ケイトさんの出身地であるペンドルトン市と南相馬市は姉妹都市として
お互いに高校生をホームステイさせる事業を続けていたが
震災後はペンドルトンからの訪問は中止されていた。
それが今年からは高校生の派遣が検討されている。
外国人のボランティアの人たちは繰り返し被災地を訪れたり
比較的長い活動を続けてくれる傾向があるということである。
たとえば宮城県石巻市では震災から3か月経った頃
日によってはボランティアの半数近くが外国人ということもあった。
海外からの支援の感謝を忘れずに
一人一人が被災地を支える気持ちをいつまでも持ち続けることが大切だとあらためて感じる。 

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