3月9日 NHK海外ネットワーク
宮城県女川町の水産加工会社で技能実習を受けていた中国人20人が実習中に震災に遭った。
当時 この会社の専務の男性は命がけで彼女たちを津波から守り帰らぬ人となった。
この出来事は当時の温家宝首相が感謝 中国でも広く共感を呼んだ。
中国ではこの出来事をもとに書かれた小説が出版された。
日本語にも翻訳されている。
震災をテーマに描かれた小説「津波、命がけの絆」。
宮城県の縫製工場で働く中国人の実習生が会社の社長で津波から逃れる
しかし会社の社長は津波で命を落とすというあらすじである。
日本人と中国人の間に生まれた絆が随所に書かれている。
大災害には情けもないが人間には情がある。
大災害にあたっては、助け合いに国境は関係ない。
上海在住の中国人作家 于強さん(69)。
小説の作者である。
地方公務員として日中間の交流事業に携わって に注友好をテーマに執筆活動を続け
東日本大震災が起きた時 于さんは日本にいた。
息子とその家族が住む千葉県をたまたま訪れていたのである。
孫を連れて近くの小学校に避難した。
(于強さん)
「体育館のガラスは余震で大きく揺れとても恐ろしかった。
怖がる孫2人を連れて帰りニュースを見るとすさまじい映像が流れていた。」
そんななか目にしたのが宮城県女川町での出来事だった。
水産加工会社 佐藤水産の専務の男性が会社の中国人実習生20人を無事に避難させた後
自らは津波に巻き込まれなくなったというのである。
専務は日本語が離せない実習生たちを 高台に避難させた。
そしてほかに残された人がいないかを確認しにひとりで会社の方に戻ったという。
実習生の1人がその時撮影した映像にはみるみるうちに水が流れ込んでくる様子が映っている。
専務が命がけで守った実習生たちは被災から1週間後に全員帰国の途に就いた。
(于強さん)
「魂が揺さぶれるような人間愛は本当に感動的で感激した。
この出来事を題材に東日本大震災についての小説を書きたいと思った。」
于さんは女川町のこのエピソードをはじめ震災に関する膨大な資料を集めた。
そしてその情報をもとに構想を練り小説を書きあげたのである。
(于強さん)
「自己犠牲をいとわない専務の姿勢に感銘を受けながら小説を書き続けた。
途中で筆を止めることができなかった。」
息を切らし、全員一気に山を駆け上がった。
「皆 気をつけて。
私は行かなければ!」
中国人従業員たちの安全確保を優先してから家族を助けに向かったのだ。
他人を優先した自己犠牲の精神は崇高と言うほかない。
小説の題材になった実習生たちはいまどうしているのか。
2人に中国で話を聞くと
震災からしばらくは非難する時に受けたショックから引きこもりがちになっていたと言う。
しかし時がたつにつれ専務がいなければ今の自分
被災地のために何かできないかと考えるようになった。
(元実習生)
「震災を通して人間どうしの本当の感情
国境を超えた愛を感じました。
私は絶対再び日本に行くと決意しました。
家族は心配し反対しましたが時間をかけて説得しました。」
ふたりは他の仲間とともに震災から約11か月後に麻ぽ長和町を訪れ同じ会社での実習に参加した。
震災から3年がたった今も自分たちを救ってくれた専務への思いは忘れてはいない。
(元実習生)
「専務はなくなってなんかいない。
私たちの心に生き続けている。
彼のおかげで私たちも生き続けているのです。」
「小説を通して専務がしたことを奥の中国人に知ってもらいたいし
“私たちは決して忘れない”ということを日本人にもわかってもらいたい。」
被災地で生まれた日本と中国の間のきずな。
于さんは日中関係が冷え込む今だからこそ をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っている。
(于強さん)
「震災の中でる両国民の間にこんなにも感動的な人間愛が生まれたということを
心にとめて交流を深めてもらいたい。
小説が今後の両国の関係改善の中にとっていい方向に働くよう願っている。」
この于強さんの小説は中國では5000冊
さらにインターネット
于強さんはこの作品だけでなく女川町の人たちとの直接の交流を通して
国境を越えて助け合うことの大切さを訴えていきたいと
宮城県女川町の水産加工会社で技能実習を受けていた中国人20人が実習中に震災に遭った。
当時 この会社の専務の男性は命がけで彼女たちを津波から守り帰らぬ人となった。
この出来事は当時の温家宝首相が感謝 中国でも広く共感を呼んだ。
中国ではこの出来事をもとに書かれた小説が出版された。
日本語にも翻訳されている。
震災をテーマに描かれた小説「津波、命がけの絆」。
宮城県の縫製工場で働く中国人の実習生が会社の社長で津波から逃れる
しかし会社の社長は津波で命を落とすというあらすじである。
日本人と中国人の間に生まれた絆が随所に書かれている。
大災害には情けもないが人間には情がある。
大災害にあたっては、助け合いに国境は関係ない。
上海在住の中国人作家 于強さん(69)。
小説の作者である。
地方公務員として日中間の交流事業に携わって に注友好をテーマに執筆活動を続け
東日本大震災が起きた時 于さんは日本にいた。
息子とその家族が住む千葉県をたまたま訪れていたのである。
孫を連れて近くの小学校に避難した。
(于強さん)
「体育館のガラスは余震で大きく揺れとても恐ろしかった。
怖がる孫2人を連れて帰りニュースを見るとすさまじい映像が流れていた。」
そんななか目にしたのが宮城県女川町での出来事だった。
水産加工会社 佐藤水産の専務の男性が会社の中国人実習生20人を無事に避難させた後
自らは津波に巻き込まれなくなったというのである。
専務は日本語が離せない実習生たちを 高台に避難させた。
そしてほかに残された人がいないかを確認しにひとりで会社の方に戻ったという。
実習生の1人がその時撮影した映像にはみるみるうちに水が流れ込んでくる様子が映っている。
専務が命がけで守った実習生たちは被災から1週間後に全員帰国の途に就いた。
(于強さん)
「魂が揺さぶれるような人間愛は本当に感動的で感激した。
この出来事を題材に東日本大震災についての小説を書きたいと思った。」
于さんは女川町のこのエピソードをはじめ震災に関する膨大な資料を集めた。
そしてその情報をもとに構想を練り小説を書きあげたのである。
(于強さん)
「自己犠牲をいとわない専務の姿勢に感銘を受けながら小説を書き続けた。
途中で筆を止めることができなかった。」
息を切らし、全員一気に山を駆け上がった。
「皆 気をつけて。
私は行かなければ!」
中国人従業員たちの安全確保を優先してから家族を助けに向かったのだ。
他人を優先した自己犠牲の精神は崇高と言うほかない。
小説の題材になった実習生たちはいまどうしているのか。
2人に中国で話を聞くと
震災からしばらくは非難する時に受けたショックから引きこもりがちになっていたと言う。
しかし時がたつにつれ専務がいなければ今の自分
被災地のために何かできないかと考えるようになった。
(元実習生)
「震災を通して人間どうしの本当の感情
国境を超えた愛を感じました。
私は絶対再び日本に行くと決意しました。
家族は心配し反対しましたが時間をかけて説得しました。」
ふたりは他の仲間とともに震災から約11か月後に麻ぽ長和町を訪れ同じ会社での実習に参加した。
震災から3年がたった今も自分たちを救ってくれた専務への思いは忘れてはいない。
(元実習生)
「専務はなくなってなんかいない。
私たちの心に生き続けている。
彼のおかげで私たちも生き続けているのです。」
「小説を通して専務がしたことを奥の中国人に知ってもらいたいし
“私たちは決して忘れない”ということを日本人にもわかってもらいたい。」
被災地で生まれた日本と中国の間のきずな。
于さんは日中関係が冷え込む今だからこそ をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っている。
(于強さん)
「震災の中でる両国民の間にこんなにも感動的な人間愛が生まれたということを
心にとめて交流を深めてもらいたい。
小説が今後の両国の関係改善の中にとっていい方向に働くよう願っている。」
この于強さんの小説は中國では5000冊
さらにインターネット
于強さんはこの作品だけでなく女川町の人たちとの直接の交流を通して
国境を越えて助け合うことの大切さを訴えていきたいと