3月11日 ワールドWAVEモーニング
3月初め 上海中心部の喫茶店に約100人の中国人が集まっていた。
いずれも日本への旅行を計画している人たちである。
20~30代の若い人が中心である。
(旅行雑誌担当者)
「この読者会では多彩な街 大阪を新たな角度から深く紹介します。」
中国の日本専門旅行誌がその読者を対象に開くこのイベント。
この日のテーマは大阪。
たこ焼きや大阪城など人気の高い食や観光地を紹介した。
生活にゆとりのある若い世代にとって
日本はヨーロッパなどと比べて気軽に行ける旅行先として再び人気が高まっている。
反日デモの発生など中国では日本に対して複雑な気持ちを抱える人がいる一方
今なお日本の文化に関心を持つ人が少なくない。
(参加者)
「日本に行くとみんな友好的です。
報道されているような日中関係の緊張はないと思います。
早く大阪に行ってみたい。」
また他の自治体も日本を紹介するイベントを開催。
最近の日本人気の高まりを逃すまいと観光客誘致にやっきになっている。
香川県や福島県など日本各地の自治体など20以上のブースが設けられたこの展示会、
まもなく迎える桜の時期に中国人客を呼び込もうと桜の名所を中心にアピールした。
(来場者)
「日本は景色もいいし伝統文化もすてき。
事や三味線 それにお寺も見てみたい。」
日本の各自治体などが中国で売り込みを強化する背景には日本を訪れる中国人旅行者の急増がある。
月毎の数は去年9月から5か月連続で過去最高を記録。
今年1月に日本を訪れた中国人旅行者は16万5700人と去年の同じ月の2倍以上となったほか
尖閣諸島をめぐる対立で日中関係が冷え込む前の一昨年と比べても13,9%増加した。
この傾向が続けば旅行者の最盛期を迎える今年7月には一昨年の月間20万人の記録を突破する勢いである。
日中関係が改善されない中でもなぜ多くの中国人が日本を訪れるのか。
理由の1つが通貨人民元の値上がりとともに進む急激な円安である。
2011年8月 1人民元=12円だったが
2014年2月 1人民元=16円台後半で取引されている。
中国人にとって日本での買い物は数年前と比べるとすいぶん割安に感じると言う。
中国の航空会社もこれをチャンスとみている。
格安航空会社は今月から新たに上海ー大阪便の就航を決定。
他の都市への増便も決めている。
中国人観光客がが日本観光に期待することに変化もあらわれている。
中国で唯一の日本旅行を専門にした月刊誌を発行する雑誌社。
去年1月からの発行でいまでは20万部の部数を誇る。
雑誌社のゼネラルマネージャー 袁静さんは
中国人の経済や教育の水準が高まるにつれ旅行に対する考え方も変わってきていると言う。
(袁静さん)
「たとえば問い合わせが多く人気のあった特集が“南部鉄器”です。
このページは南部鉄器の文化や歴史を紹介しています。」
いま日本を訪れる中国人の間で関心が高まっているのは
日本各地の歴史や文化を感じる伝統的かつその土地でしか買えない商品だと言う。
先祖代々 技術を受けつぐ職人が数量を限定して作る1万円を超える値段の茶わんなど
雑誌では値段の高い工芸品が紹介されていて読者からも好評だと言う。
(袁静さん)
「中国では工芸品の技術伝承が難しく中には途絶えたものも多くあります。
だからこそ日本に今も伝わる工芸品の素晴らしさを出来るだけ紹介しています。」
日本を繰り返し訪れる人も増加していて今後は地方都市でも中国人観光客が増えると分析する袁さん。
中国人旅行者の増加は日中関係の改善にもつながるのではないかと期待している。
中国から海外旅行に行く人は去年は9,000万人を超え増加率は年間約20%。
よほど日中関係が悪化しないかぎり中国人観光客をめぐる日本の旅行市場はかつてを上回る活況が期待できる。
しかし日本から中国に行く観光客は減少傾向に歯止めがかかっていない。
去年1年間に中国を訪れた日本人の延べ人数は前の年に比べて18,2%減少し
約287万人と10年ぶりに300万人を下回った。
日中の政治的な関係の悪化に加えて大気汚染や鳥インフルエンザといった中国国内の問題も関係しているとみられる。
日本人向けの観光ツアーを組んでいる旅行代理店にとって影響は深刻である。
上海のある代理店の日本人客の数は2000年代初めの最盛期には年間7万人超だったが
去年はわずか4、500人と16分の1に減り
100人以上いた日本語ガイドも今では6人だと言う。
(日本人向け旅行会社 幹部)
「人員削減と担当業務の見直しで余剰人員の整理を余儀なくされました。」
交流は相互理解の基本となるもので観光もまたそれに一役かっていると言える。
これほど日本を訪れる中国人が増えたとしても中国を訪れる日本人が減少し続ければ相互理解は深まらない。
かつて日本語ガイドを務めていた男性は
また日本人のためにガイドをする日が来るのを待ち望んでいる
と話していた。
3月初め 上海中心部の喫茶店に約100人の中国人が集まっていた。
いずれも日本への旅行を計画している人たちである。
20~30代の若い人が中心である。
(旅行雑誌担当者)
「この読者会では多彩な街 大阪を新たな角度から深く紹介します。」
中国の日本専門旅行誌がその読者を対象に開くこのイベント。
この日のテーマは大阪。
たこ焼きや大阪城など人気の高い食や観光地を紹介した。
生活にゆとりのある若い世代にとって
日本はヨーロッパなどと比べて気軽に行ける旅行先として再び人気が高まっている。
反日デモの発生など中国では日本に対して複雑な気持ちを抱える人がいる一方
今なお日本の文化に関心を持つ人が少なくない。
(参加者)
「日本に行くとみんな友好的です。
報道されているような日中関係の緊張はないと思います。
早く大阪に行ってみたい。」
また他の自治体も日本を紹介するイベントを開催。
最近の日本人気の高まりを逃すまいと観光客誘致にやっきになっている。
香川県や福島県など日本各地の自治体など20以上のブースが設けられたこの展示会、
まもなく迎える桜の時期に中国人客を呼び込もうと桜の名所を中心にアピールした。
(来場者)
「日本は景色もいいし伝統文化もすてき。
事や三味線 それにお寺も見てみたい。」
日本の各自治体などが中国で売り込みを強化する背景には日本を訪れる中国人旅行者の急増がある。
月毎の数は去年9月から5か月連続で過去最高を記録。
今年1月に日本を訪れた中国人旅行者は16万5700人と去年の同じ月の2倍以上となったほか
尖閣諸島をめぐる対立で日中関係が冷え込む前の一昨年と比べても13,9%増加した。
この傾向が続けば旅行者の最盛期を迎える今年7月には一昨年の月間20万人の記録を突破する勢いである。
日中関係が改善されない中でもなぜ多くの中国人が日本を訪れるのか。
理由の1つが通貨人民元の値上がりとともに進む急激な円安である。
2011年8月 1人民元=12円だったが
2014年2月 1人民元=16円台後半で取引されている。
中国人にとって日本での買い物は数年前と比べるとすいぶん割安に感じると言う。
中国の航空会社もこれをチャンスとみている。
格安航空会社は今月から新たに上海ー大阪便の就航を決定。
他の都市への増便も決めている。
中国人観光客がが日本観光に期待することに変化もあらわれている。
中国で唯一の日本旅行を専門にした月刊誌を発行する雑誌社。
去年1月からの発行でいまでは20万部の部数を誇る。
雑誌社のゼネラルマネージャー 袁静さんは
中国人の経済や教育の水準が高まるにつれ旅行に対する考え方も変わってきていると言う。
(袁静さん)
「たとえば問い合わせが多く人気のあった特集が“南部鉄器”です。
このページは南部鉄器の文化や歴史を紹介しています。」
いま日本を訪れる中国人の間で関心が高まっているのは
日本各地の歴史や文化を感じる伝統的かつその土地でしか買えない商品だと言う。
先祖代々 技術を受けつぐ職人が数量を限定して作る1万円を超える値段の茶わんなど
雑誌では値段の高い工芸品が紹介されていて読者からも好評だと言う。
(袁静さん)
「中国では工芸品の技術伝承が難しく中には途絶えたものも多くあります。
だからこそ日本に今も伝わる工芸品の素晴らしさを出来るだけ紹介しています。」
日本を繰り返し訪れる人も増加していて今後は地方都市でも中国人観光客が増えると分析する袁さん。
中国人旅行者の増加は日中関係の改善にもつながるのではないかと期待している。
中国から海外旅行に行く人は去年は9,000万人を超え増加率は年間約20%。
よほど日中関係が悪化しないかぎり中国人観光客をめぐる日本の旅行市場はかつてを上回る活況が期待できる。
しかし日本から中国に行く観光客は減少傾向に歯止めがかかっていない。
去年1年間に中国を訪れた日本人の延べ人数は前の年に比べて18,2%減少し
約287万人と10年ぶりに300万人を下回った。
日中の政治的な関係の悪化に加えて大気汚染や鳥インフルエンザといった中国国内の問題も関係しているとみられる。
日本人向けの観光ツアーを組んでいる旅行代理店にとって影響は深刻である。
上海のある代理店の日本人客の数は2000年代初めの最盛期には年間7万人超だったが
去年はわずか4、500人と16分の1に減り
100人以上いた日本語ガイドも今では6人だと言う。
(日本人向け旅行会社 幹部)
「人員削減と担当業務の見直しで余剰人員の整理を余儀なくされました。」
交流は相互理解の基本となるもので観光もまたそれに一役かっていると言える。
これほど日本を訪れる中国人が増えたとしても中国を訪れる日本人が減少し続ければ相互理解は深まらない。
かつて日本語ガイドを務めていた男性は
また日本人のためにガイドをする日が来るのを待ち望んでいる
と話していた。