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民族対立 クリミアのいま

2014-03-29 10:20:00 | 海外ネットワーク
3月16日 NHK海外ネットワーク

ウクライナの民族対立を象徴する地域がクリミア自治共和国である。
18世紀にロシア帝国に併合されたクリミアではロシア系の住民が全体の61%を占めている。
住民たちはロシアの影響力を排除しようとする暫定政府の政策に強い不満を抱いてきた。
一方 14%と少数派なのがイスラム教徒のクリミア・タタール系の住民である。
旧ソビエト時代に中央アジアに強制移住させられた苦難の歴史がある。

住民投票前に行われたロシア系住民の大規模集会で約3千人がウクライナからの分離独立やロシア編入を訴えた。
「ロシアに編入して欲しい。
 クリミアはロシアの土地だ。」
ロシア系住民がロシアとの一体化を求める背景には帝政ロシア時代から続く複雑な歴史がある。
分離独立を目指す地元の政党の支部長キリル・ベロフさん(30)。
祖父の代からここで暮らしてきたが8才のときにソビエト連邦崩壊し国籍が突然ウクライナに変わった。
それでも常にロシア系としての歴史を意識してきたと言う。
(キリル・ベロフさん)
「この肖像画はニコライ2世。
 ロシア帝国の最後の皇帝です。」
ウクライナでは公的な機関やテレビなどでロシア語の使用が原則認められず
ロシアとできるだけ距離を置く政策がとられてきた。
(キリル・ベロフさん)
「パスポートもウクライナ語で書かれています。
 本来ロシア語の私の名前は発音も表記も変わってしまっているんです。」
さらに2月に発足したウクライナの暫定政権はロシア語を公用語から除外。
ロシア系住民の反発は一気に強まった。
(キリル・ベロフさん)
「我々は母国語で映画を観ることすらできません。
 私は自分の祖国がどこかを知っています。
 ロシアにひかれるんです。」
ベロフさんはウクライナ中部の基地に向かった。
そこではロシア系の若者たちで作る自警団やロシア寄りの地元政府が独自に作った軍の部隊が基地を取り囲んでいた。
ウクライナの国旗の横に新たに掲げられたロシアの国旗。
ウクライナ兵の多くは基地を去った。
そしてウクライナの紋章も。
「過去の遺物になればいいんだ。
 必要ならウクライナ政府に送ってやる。」
ロシア系住民の声に呼応するかのように町には住民投票でロシア編入に賛成するよう呼び掛ける看板が次々に出現。
テレビでも
ロシアとともに
ロシアでは公務員の給料が2~3倍
年金もウクライナの2倍
クリミアの春
ロシア!

「給料も年金ももちろん上がるしいい生活ができるようになる。」
「クリミアはロシアなんだ。
 ウクライナとは何の関係もない。」

こうした動きに少数派のクリミア・タタール系の住民は危機感を強めている。
「クリミアはウクライナだ。」
「クリミアから手を引け!」
クリミア・タタールの人たちはイスラム教スンニー派で
18世紀にロシア帝国に併合される前からクリミアで暮らしてきた。
クリミアの人口の14%を占め多数派のロシア系住民とも共存してきたが
いまロシアの脅威を強く感じている。
旧ソビエトの独裁者スターリン。
クリミア・タタールの人たちは第二次世界大戦中ナチスドイツへの協力を疑われ
スターリンによって中央アジアに強制的に追放された。
そこで多くの人が命を落とす。
今回の動きが新たな迫害を引き起こすとタタールの人たちの間で不安が高まっている。
「ここに私たちがいることをどうか認めて。
 私たちはこれまで虐げられてきた。」
タタール系住民の集落で商店を営むセラン・ムジュダバエフさん(45)は
強制移住先のウズベキスタンで生まれ
9才のとき家族とともにクリミアに戻った。
(セラン・ムジュダバエフさん)
「当時は村ごと強制移住させられたと聞かされた。
 私はもうどこにもいかない。」
ムジュダバエフさんはいま家族と離れて暮らしている。
ロシア系住民の襲撃を恐れ3月に妻と子ども3人をウクライナ西部の町に避難させた。
ひとり残って故郷を守ろうと覚悟を決めている。
(セラン・ムジュダバエフさん)
「住民投票には反対です。
 私はクリミア・タタール人です。
 ここ以外に祖国はありません。」
タタール系の住民たちは自警団を作り3人1組で町の警戒にあたっている。
「昨夜は大丈夫でしたか。」
「静かでした。
 パトロールをしてくれて感謝しています。」
「我々は自分の家を守る。
 子どもや妻や親を守る。
 今まで平和に暮らしてきたのにどうしてロシアが必要なんだ。
 どうして。」
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