7月10日 おはよう日本
海を挟んで国境を接する北海道稚内市とロシアのサハリン。
6月 この二つの地域を回る「国境観光」と名付けた新たなツアーが行われた。
サハリンの南半分は戦前は日本が「樺太」として統治していて
2つの地域は歴史的に深くかかわってきた。
ツアーは日ロ関係が専門の大学教授などでつくるNPOが企画した。
狙いは稚内とサハリンを同時に訪れることで歴史的なつながりを学び
お互いの理解や交流の拡大につなげることである。
北海道内から首都圏などから34人が参加し
初日は稚内市を訪れた。
このうち市の資料館では
地元の歴史に詳しい学芸員の案内で探検家の間宮林蔵がつくったサハリンの地図などを見て回った。
翌日 一行は稚内港からフェリーでサハリンに向かった。
参加者の中には旅慣れた人も数多くいたが
今回のツアーには新たな魅力を感じたと言う。
(参加者)
「国境という言葉がなかったら参加していなかったかもしれない。
島国だから周りは全部国境のはず。」
稚内港を出てからわずか1時間半でロシアとの国境を超えた。
参加者には国境を通過したことを示す証明書が配られた。
そして出発から5時間半後サハリンの港に到着。
最初に訪れたのは明治38年に日露戦争で旧日本軍が最初に上陸した場所。
ここでは旧日本軍が記念に建てた大きな石碑が倒されていて
日本による統治から敗戦によってソビエトが支配するようになった歴史の流れを見ることができる。
(参加者)
「文字が読めるような読めないような
痛々しい感じで胸が痛んだ。」
次に向かったのは中心都市ユジノサハリンスクにある博物館。
日本統治時代の建物がそのまま使われている。
ここでは当時 日本とソビエトの国境だった北緯50度線上に置かれた国境標石を見学した。
菊の紋章が彫られた石は当時日本では唯一陸の上にある国境の目印だった。
翌日一行が向かったのはユジノサハリンスクからバスで1時間ほどのドリンスクの町。
日本統治時代は「落合」と呼ばれていた。
ここには廃墟と化した巨大な工場が残っている。
旧王子製紙の工場で当時サハリンにはこうした製紙工場が9つあり
多くの日本人が働いていた。
参加者の中には家族がここで働いていたという人もいた。
(参加者)
「まだ残ってたのでホッとした。
見られただけで満足した。」
ツアーでは歴史的な場所だけでなく今のサハリンを象徴する場所も訪れた。
その1つが液化天然ガスの工場。
ここで生産されたガスの多くは日本に輸出される計画で
参加した人たちは日本とサハリンの間に今も深いかかわりがあることを学んだ。
(参加者)
「白黒だったサハリンイメージにカラーが付いた感じ。」
「稚内から渡る見るというのはいろんな歴史を考えるうえでいい。」
ツアーを企画したNPOでは参加者から意見を聞いて
次回以降のツアーの内容を検討することにしている。
(ツアー企画したNPO理事ン北海道大学 岩下明裕教授)
「国境地域はいろんな可能性がある。
隣と付き合えるということで。
空間を超えて違う食べ物・違う言葉・違う人たちがいて
そこが魅力になるので積極的に利用することが大事だ。
今年をボーダーツーリズム(国境観光)の元年にしたい。」
国境を挟んだ2つの地域を同時に訪れる新たなツアー。
歴史的なつながりを知り
理解を深めるきっかけになることが期待されている。