6月7日 編集手帳
歌人の窪田空穂(うつぼ)は、
瓦礫(がれき)の野と化した東京の街をさまよい歩いた。
1923年(大正12年)9月、
関東大震災の直後である。
娘を亡くした被災者に出会ったらしい。
悲痛な一首を詠んでいる。
〈梁(はり)の下になれる娘の火中(ほなか)より助け呼ぶこゑを後(のち)も聞く親〉。
わが子の残した
最後の声である。
親の耳から消える日はあるまい。
何の災害であれ、
事故であれ、
そういうものだろう。
長野県下諏訪町の会社員、
河西勝基(かさいかつき)さん(21)の記事を読んだ。
今月3日、
富山県立山町の北アルプスに小型飛行機が墜落した事故で亡くなった4人のうちのお一人である。
自宅に電話があった。
飛行機が墜落したこと、
警察に連絡したこと、
機体に挟まれて身動きができないことを、
父親の均さん(55)に伝えた。
「おやじ、
俺、
絶対に生きて帰るから」。
その言葉を最後に通話は途絶えた。
“後も聞く親”がここにいる。
〈焼け野の雉(きぎす)〉という。
巣のある野を焼かれたキジは、
わが身を忘れて子を救いに戻ると、
語り伝えにある。
いますぐ、
息子のもとに飛んでいく翼をください。
沈黙した受話器を握りしめて、
その人は天に祈ったことだろう。