5月31日 国際報道2017
徳島県鳴門市。
第一次世界大戦中
ここに坂東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)があった。
収容されていたのはドイツ兵約1,000人。
中国青島で旧日本軍と戦い捕虜になった兵士たちだった。
もともと畜産や建設の技術を持っていた捕虜たちは
収容所の周辺に牧舎や橋を建設するなど数々の交流を重ね
地元で好意的に受け入れられた。
収容所での生活を捕虜自身が描いた画集が残されている。
競歩大会が行われゴールを目指す捕虜を住民が温かい目で見守る。
捕虜たちが仮装して開いた演芸会には地元の住民も多くつめかけたという。
オーケストラも結成された。
毎週のように演奏会が開かれるなか
1918年6月1日
アジアで初めてとされる「第9」が演奏されたのである。
総勢45人。
「第9」の全楽章を披露する1時間半の熱演だった。
こうしたエピソードはドイツでどのように伝わっているのか。
ドイツ西部のウィースバーデンに住むブルーノ・ハーケさん(86)。
父親のヘルマンさんは坂東俘虜収容所で過ごした。
ヘルマンさんが収容所から本国の母にあてた手紙には
「第9」の演奏を聴いたときの様子が綴られていた。
演奏は大成功でした
特に第3楽章にはほれぼれしました
なんとも言えない安らぎ
慰めの気持ちがあふれてきました
(ブルーノ・ハーケさん)
「父は演奏会の事を何度も語っていました。
父は私たちに
民族は違っても友好的な関係を結べることを教えてくれました。」
“交流の記憶を受け継いでいこう”というひともいる。
ドイツ北部のグレービンに住むシュテフェン・クラウスニッツァーさん(38)。
捕虜だった曽祖父のフランツさんは
収容所の近くで酪農の技術指導にあたっていた。
牧場で働いていた経験を生かし地元の牧舎に泊まり込むほど溶け込んでいたという。
(シュテフェン・クラウスニッツァーさん)
「戦時下にもかかわらず
住民が捕虜にとても親切で極めて人道的だったことが分かりました。
こんなことが実際にあったことにとても感動しています。」
シュテフェンさんはこの歴史から“今こそ学ぶものがある”と考えている。
5歳になる娘のアンソフィーちゃんが通っている幼稚園にはシリア難民の子どももいる。
アンソフィーちゃんが民族や宗教が違っても相手を尊重できる人間に育ってほしいと願っている。
(シュテフェン・クラウスニッツァーさん)
「私たちはシリア難民たちと平和的にやっていくべきです。
彼らから目を背けずきちんと向き合うべきです。
彼らがドイツになじんでくれればどこから来たかは関係ないのです。」
3月
鳴門市の合唱団がドイツを訪れた。
歴史的な収容所での演奏を記念するコンサートである。
地元の市民も合唱に加わる。
会場にはブルーノさんやシュテフェンさんをはじめ捕虜の子孫約50人も招かれた。
(ブルーノ・ハーケさん)
「100年後のきょう
この演奏を再び聴くことができて感動しました。」
(シュテフェン・クラウスニッツァーさん)
「100年前に生まれた日独の交流が今も忘れられず続いていることに感動しています。」
敵味方を乗り越えた交流を象徴する「第9」の旋律。
鳴門を遠く離れたドイツでも力強く鳴り響いている。